義井映日 / 第26話

第25話 刃の来訪者

第25話 刃の来訪者   執務室の扉が、荒々しく叩かれた。 「陛下!」  リオンだった。息が、上がっていた。 「クロエ様が、宮殿裏手で、何者かに襲われております! ノアが、まだ向こうに」  最後まで聞かず、駆け出していた。回廊を突っ切れば、裏手までは近い。  着いた時、まだ戦闘の最中だった。黒装束の影が三匹。ノアが、クロエを背にして立っている。  指先に、青白い光。  紫炎ではない。天使の光とも違う。  白い炭を思い出した。 「クロエ!」  叫ぶと同時に、紫炎を纏わせた手を地に叩きつけた。爆ぜるような衝撃波が走り、一匹を吹き飛ばす。 「陛下、なぜここに」 「それは、こちらの台詞だ」  答える間もなく、残る二匹が動いた。一匹がクロエへ、もう一匹がこちらへ迫る。  振るわれた刃に、光が纏っていた。紫炎で受けると、弾かれたのはこちらだった。二歩下がる。腕が、痺れていた。  踏み込む。懐に入ると、刃が届かない。剣の扱いを、知らない者の構えだった。  クロエの方を見遣ると、光を纏った刃が翻るのが見えた。躱している。それでも、肩口が裂けた。 「クロエ!」  怒りのままに、力を放った。紫炎が、目の前の影を呑み込む。  同時に、クロエが動いた。斬られたまま、もう一匹の腕を掴んで、地に叩きつける。  速すぎる。あの日と、同じだ。  音が、絶えた。倒れた三匹を見渡し、ようやく息をついた。  クロエの背に、翼はない。間に合った、ということか。  ノアの左肩から、血が落ちていた。 「動くな」 「かすり傷です」  構わず、傷の縁を焼いた。声は、上げなかった。  クロエの元へ、足早に歩み寄る。怪我がないか、上から下まで確かめるように目を走らせた。肩口の傷に、目を留める。血が、布に滲んでいた。 「大した傷では」 「黙れ」  詰所まで、半ば抱えるようにして運んだ。手当てを受けるクロエを見つめながら、ようやく声を絞り出した。 「なぜ、独りで見回りになど出た」 「警備の手薄な場所を、確かめておきたかっただけです」 「ゼンは」 「――撒きました」  その肩を見つめたまま、何も言えなかった。 「陛下?」 「何でもない」  手当てをしていた者を下がらせ、自ら包帯を巻き直した。  騒ぎを聞きつけ、ロノヴェとゼンが駆け込んできた。 「クロエ様!」  真っ先に駆け寄ったのは、ゼンだった。 「警備の穴を、突かれました。私の責任です」  ロノヴェが、深く頭を下げた。 「お前独りの落ち度ではない。敵が、それだけ入念に隙を窺っていたということだ。他に手薄な場所がないか、総点検しておけ」 「畏まりました」  一礼し、足早に出て行った。ゼンは、まだクロエの傍らを離れようとしない。 「クロエ様、無茶しすぎです」 「いつものことだろう」 「いつものことにしないでください」  珍しく、真剣な声だった。 「二度と、撒かないでください」  クロエが目を伏せた。 「すまない」 「そういえば」  しばらくして、クロエがふと真顔になった。 「先日の焼け跡に、自分は同行を許されませんでした。あれも、こういうことを危惧してのことですか」 「そうだ」 「教えてくださっても、良かったのに」 「言えば、お前は無理にでもついてきただろう」  クロエが黙り込んだ。それから、小さく笑った。 ◆  気を失った一匹を、地下の牢へ運ばせた。目を覚ますなり、詰問した。 「誰に、差し向けられた」  答えはなかった。ただ、怯えた目で、こちらを睨み返すだけだった。額に、脂汗が滲んでいる。  牢の灯りに、顔が見えた。  若い。ゼンと変わらないくらいだ。  沈黙が続いた。掌に、紫を滲ませる。賊の喉が、大きく上下した。 「爪を、出せ」  賊がこちらを見た。 「出せと言った」  両手が、震えながら開かれた。  爪は、伸びなかった。 「削がれたのか」  悪魔が爪を根元から失えば、二度と生えない。壁も裂けず、身も守れない。  それでも、刃を握らされていた。 「剣は、どこで習った」 「習っておりません」 「話す気がないなら、いい」  牢を出ようとした時、賊が掠れた声で呟いた。 「紋章は、預かっただけです。依頼主の顔は、見ていません」 「紋章、だと」  差し出された小さな徽章には、見覚えのある意匠があった。貴族院の、下級職員が使う印だった。 「これを持たされて、何をしろと」 「副魔王殿の、警備の穴を、確かめてこいと」 「殺せとは」  賊が、初めて顔を上げた。 「言われて、おりません」  辻褄が合わない。  殺すつもりがないなら、あの光を渡す必要がない。 「あの光は」 「渡されました。誰からかは、分かりません」 「振れば、届くのか」 「はい。当たらずとも」  それ以上、賊は何も語らなかった。震える手で、顔を覆うだけだった。  その手に、爪はない。  削がれた者が、この一匹だけとは思えない。  牢を出ると、ロノヴェが待っていた。 「貴族院の議長を、直接お呼びになりますか」 「いや」  少し、考えた。 「今度は、こちらから出向く。貴族院の庭で、議長の真意を確かめる」 ◆  医務室の前に、ゼンが立っていた。目礼だけして、扉を開ける。  クロエは、寝台の上で眠りに落ちていた。白い包帯越しに、手当ての跡が覗いている。隣の寝台で、ノアが天井を見ていた。目が合うと、小さく頭を下げる。  しばらく、クロエの寝顔を見つめていた。 「無理をするな」  小さく呟いて踵を返しかけた時、手首を掴まれた。 「――起きていたのか」 「陛下の足音は、すぐに分かります」  目を開けたクロエが、小さく笑った。 「今日は、独りでは眠れそうにありません。隣に、いてくれませんか。今日だけは」  断る理由も、ない。寝台の傍らに腰を下ろした。  繋がれた指を、そっと握り返した。そのまま、朝まで動かなかった。

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