義井映日 / 第17話

第16話 揺らぐ玉座

第16話 揺らぐ玉座   あの日から、三日が経っていた。  二名の弔いを、済ませてきた。一名の方には、隊の者たちが集まった。剣を地に伏せ、その柄に、順に掌を当てていった。  若い兵の方は、稽古をつけた古参が一名、来ただけだった。 「稽古の後、いつも一番遅くまで残る奴でした」  それだけ言って、古参は頭を下げた。責める言葉は、一つも出なかった。言われた方が、楽だった。  その足で、朝議へ向かった。  誰もが、クロエの方をちらちらと窺い見ては、目が合うとすぐに逸らす。囁き交わす声も、クロエが近づくたびにぴたりと止んだ。私の頬の傷を見る者は、いない。 「何か」  クロエが、重臣の一名に問うた。  相手はびくりと肩を跳ねさせ、首を振った。 「い、いえ。何も」  目を合わせないまま、そそくさと離れていく。ほかの重臣たちも、一名、また一名と、クロエから距離を取っていった。  口を開きかけて、やめた。王が庇えば、噂に理由を与える。 ◆  扉を叩く音がして、キリアンとサイファーが揃って入ってきた。 「城下でも、話が広まり始めています」  キリアンによれば、副魔王があれほどの力を隠していたことに、驚きと同時に警戒する声が出ているという。中には、あの力があれば玉座さえ意のままにできる、と言う者もいる。  拳を握った。 「クロエが、私に取って代わると」 「そう囁く者がおります。無論、自分は微塵も信じておりません」  墨の染みた指を握り込み、キリアンが慌てて付け加えた。 「疑ってはいない。他には」  キリアンの返事が、遅れた。 「……あれは悪魔ではない、と」  膝をついた相手に、振り上げた手。呼ばなければ、下りていた。  サイファーが、目を細めたまま、机に似顔絵を置いた。目も鼻も口も、ありふれた形をしていて、覚えられる特徴が一つもない。 「出所は、貴族街です。この面構えの男を見た者が、一名」  その隣に、キリアンが家紋の写しを三枚並べた。どれも似ている。照合は、まだ済んでいないという。 「貴族の一派か」 「その見込みが高いかと。クロエ様への疑いを煽り、陛下との間に楔を打つつもりでしょう」 「出所を潰せ。金を払っている者を、先に押さえろ」  サイファーの目が、さらに細くなった。 「――口を封じよ、ということでしょうか」 「違う。誰に雇われたかを吐かせろ」  二名は、揃って退がった。 ◆  庭に出ると、ゼンがクロエの傍らに控えていた。以前より、明らかに距離が近い。  問う前に、ゼンが口を開いた。 「今日から、片時もクロエ様のお側を離れません」 「誰の指示だ」 「独断です。団長への届け出は、後程」  ゼンは、そこで初めて目を伏せた。 「越権であることは、承知しております。それでも、黙って見過ごせませんでした。咎めていただいて構いません」 「今回だけは、不問にする。次からは、先に一言よこせ」 「畏まりました」  ゼンが、クロエに向き直った。 「クロエ様、少々窮屈かとは存じますが」 「いいえ。ありがたいです」  クロエは、少し間を置いてから、力なく笑った。 「……それが、自分を守るためなのか、自分から誰かを守るためなのか、少し分からなくなりますが」  ゼンの表情が固まり、そのまま深々と頭を下げた。あまりに大袈裟で、クロエが小さく噴き出した。 「そんなに畏まらないでください、ゼン」 「失礼いたしました」  生真面目に礼をし直すゼンに、クロエの笑みが、少しだけ自然なものに変わった。 ◆  昼過ぎ、謁見の間で政務を執っていると、扉が開いた。揃いの意匠を纏った騎士たちが、一斉に姿を見せる。  顎に古傷のある団長のロノヴェを先頭に、ゼン、サイファー、キリアン、それに口の軽いリオンと、無口なノア。紫炎の騎士団の全員だった。  列の後ろから、クロエが入ってきて、玉座の脇で足を止めた。  誓いの場では、六つの炎しか灯らなかった。今日は、七つ目の場所が埋まっている。 「何事だ」  ロノヴェが進み出て、深く一礼した。 「城下の心無い噂について、団を代表し、意見具申に参りました。クロエ様のお働きは、我らが誰よりも見て参りました。根拠なき噂に、副魔王殿の名誉を汚させるわけには参りません」  落ち着いた、重みのある声だった。団員たちが、一斉に同じ姿勢で頭を垂れる。  ただ、キリアンだけが、一拍遅れた。その一拍に、迷いが見えた。 「キリアン、何か」  キリアンは、少し躊躇ってから口を開いた。 「お味方する気持ちに、偽りはございません。ですが……このように公然と、しかも謁見の間で表明することが、かえって噂に油を注ぐ結果にならないか、その懸念だけは」 「一理ある。だが、黙っていれば、疑いを認めたと取られかねない」  ロノヴェにそう返されても、キリアンは食い下がらず、頷きもしなかった。  ゼンが、列から一歩前へ出た。団長は、咎めなかった。 「今朝、庭で申し上げたことを、ここでも申し上げます。クロエ様は、この身命を賭してでもお守りするに値するお方です。噂に惑わされる者があれば、自分が正します」  クロエが、息を呑んだ。壁際では、宰相が眉を寄せている。王の騎士団が、王より先に副魔王を庇っていた。 「お前たち」  声が、揺れた。  クロエが目元を押さえ、その指の間から、笑い声を漏らした。 「大袈裟ですよ、皆」 「表明を、認める」  キリアンを見た。目は、合わなかった。  懸念を退けたのは、私だ。 ◆  夜、クロエの居室の扉を叩くと、すぐに返事があった。 「噂のことは、聞いているか」 「はい。聞こえてきます、嫌でも」  クロエは、背を向けたまま答えた。 「気にする必要はない」 「そう言い切れる陛下が、羨ましいです」  振り返ったクロエと、目が合った。 「呼び子だということは、もう分かっています。ですが、自分がこれから何になるのかは、まだ分かりません。周りにまで『悪魔ではない』と言われると……時々、本当にそうなのではないかと、思ってしまいます」  クロエは、指を組み合わせて俯いた。  その語を、私はキリアンから聞いていた。伝えないでいるうちに、ゼンか侍女か、誰かが先に伝えていた。 「あの日、謁見の間で自分が見せたもの……あれは、本当に自分だったのでしょうか。今でも、思い出そうとすると、記憶の輪郭がぼやけるのです」  顔を上げないまま、クロエが続けた。 「試してみたのです。昨夜、独りで。出そうとしても、何も起きませんでした。もし、あれが自分の意思とは無関係に現れる力なら……いつか、抑えきれずに、大切な誰かを傷つけてしまうのではないかと、それが一番怖いのです」  隣に腰を下ろし、その手を取った。 「お前が何者であろうと、私にとっての答えは変わらない」 「――それは、答えになっていません」  クロエが、泣き笑いのような顔で、小さく笑った。 「ですが、今はそれで、十分な気がします」  しばらく、どちらも動かなかった。窓の外では、ロノヴェが別の隊から回させた衛兵が、庭の四隅に立っていた。見慣れない顔だった。 「一つだけ、約束してほしい。その力が、いつか本当に抑えきれなくなりそうな時は、独りで抱え込まず、必ず私に言え」  クロエは黙っていたが、やがて、小さく頷いた。 「約束します」  その声には、まだ迷いが残っていた。  クロエが、ゆっくりと顔を上げた。暗い庭を見据える目に、先ほどまでとは違う光があった。 「噂も、この力も、いつまでも怯えているだけでは、何も変わりません。知らないから、怯えるのです」  組んでいた指が、ほどけた。 「森の話を、私に聞かせたのはアーク様です。明日、アーク様に会いに行きます」  頷いた。  あの若い兵が、稽古の後いつも一番遅くまで残っていたことも、クロエにはまだ言えていない。あの日、兵が倒れたのは、クロエの傍だった。

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