義井映日 / 第16話

第15話 交わる影

第15話 交わる影   翌朝の朝議も、警備を厳にした中で進んでいた。誰もが油断なく周囲に気を配っていたが、議事そのものは、いつも通りの手順で進んでいった。  各地の収穫報告、境界の向こうからの親書。  クロエが議事を進める声を半ば聞き流しながら、書類に目を通していた。守りは、固めてある。  議題の合間、クロエが親書の使者を迎えに、謁見の間へ立った。出ていく前に、こちらへ小さく頷いた。  間もなく、廊下が騒がしくなった。 「陛下! 謁見の間に、賊が!」  朝議の間が、凍りついた。  剣を掴んで駆け出すと、傍らの侍従が腕を掴んだ。 「陛下、どうかお下がりを!」 「放せ。ここで守られているだけの王などいらない」  振り払い、駆け抜けた。供を増やせ、と言われたばかりだった。 ◆  謁見の間の床に、数名の衛兵が倒れていた。呻きながら息のある者もいれば、ぴくりとも動かない者もいる。  玉座の前の階段を、覆面の賊たちが取り囲んでいた。五、六匹はいる。  囲みの中心に、クロエがいた。足元に、抜いた剣が落ちている。その手の甲に、細い傷が三本走っていた。手が、動いていない。毒か。  賊の袖口から、鉄の爪が覗いていた。三本、同じ幅に並んでいる。  階段を駆け上がり、間に割り込んだ。 「下がれ」  覆面の一匹が、こちらを向いた。 「副魔王クロエ様には、その座から退いていただく。あのように若く、経験の浅い者に、副魔王の重責は務まらぬ」  殺しに来た相手を、様付けで呼んだ。 「馬鹿な」  駆けつけたキリアンが、声を上げた。 「貴様ら、宮の者か」 「我らは、より相応しい後継を推す者たちだ。陛下には、そのご決断を促しに参った」  剣を抜き、刃に紫炎を纏わせた。稽古場の外で使うのは、初めてだった。  一匹が間合いを詰め、鉄の爪を喉元へ突き出してくる。半身になって躱《かわ》し、懐へ踏み込んで、峰で打ち据えた。爪が、赤く溶けて垂れた。  息をつく間もなく、別の一匹が突きを繰り出してきた。刃で受け止めると、相手の目に憎悪が見えた。押し返すたびに、紫炎が強く燃え上がる。  横合いから振り下ろされた爪を、体を捻ってかわしきれなかった。頬が、浅く裂けた。  クロエを背にして下がると、背後の一匹がクロエへ回り込もうとする。その前を塞いだ時、爪の先が肩を掠めた。  焼けるような痛みの後から、傷口の感覚が消えていく。爪に、何か塗られていた。  踏み込みが、鈍った。汗が目に入り、視界の端が霞《かす》む。膝をつきかけて、辛うじて堪えた。刃の紫炎も、細っていく。  王が、自ら盾になっている。賊の一匹が、足を止めた。王に刃を向けるのを、ためらったのか。  その隙に、残りの賊が間合いを詰めてきた。  背後で、風が起きた。黒い影が頭上を越え、賊たちの間へ降りた。  一匹の腕を捻り上げて床に叩きつけ、もう一匹の得物を素手で払い落とす。追いきれない速さだった。 「クロエ!」  琥珀の目が、そこにあった。だが、その奥の光は、いつもの柔らかさとは違い、鋭く尖っていた。背には、あの夜見た翼と同じ輪郭が透けている。引き出しの中の羽根と、同じ色だった。  重臣たちも侍女たちも、息を呑んで立ち尽くしていた。皆、クロエの顔と手を見ている。翼に目を向ける者は、一名もいない。  天井を見上げたが、梁の影が暗く沈んでいるだけだった。 「陛下には、指一本触れさせません」  いつもより低く、力のこもった声だった。  扉へ逃げかけた一匹が、届く前に床へ叩きつけられた。  爪を振るった一匹は、腕を掴まれた。折られた。悲鳴が上がる。  最後の一匹が、剣を捨てて膝をついた。  それでも、クロエは止まらなかった。 「クロエ」  振り上げた手が、止まった。  音の絶えた謁見の間で、クロエがゆっくりと振り返った。背の翼が薄れて消え、目の奥の鋭さも引いていく。  乱れた髪の一房が、頬にかかっていた。クロエは、妙に几帳面な仕草でそれを直した。 「大丈夫、ですか」  いつもの声に戻っていた。その目が私の頬に止まり、顔が、さっと青ざめた。  倒れていた衛兵のうち、二名が命を落としていた。  一名は、あの野営地で脚に包帯を巻いていた若い兵だった。痛むか、と聞いた相手だ。  肩の毒より、そちらの方が重かった。 ◆  肩の傷は浅かったが、毒が回っていた。自分で焼き、布を当てたまま、尋問の報告を聞いた。 「口を割ったのは、末端の一匹だけです。金で雇われただけの荒くれ者で、誰に雇われたかも、詳しくは知らされていないと」  キリアンが、厳しい顔で告げた。 「他の者たちは」 「頑なに口を割りません。ですが、装備の質からして、素人の集まりではないでしょう」 「言葉遣いが、宮廷のものだった」  キリアンが、書類から目を上げた。 「日程を問い合わせた者と、同じです」  押収した品の中にあった紋様の写しを、キリアンが差し出してきた。 「これに、見覚えは」  朝議の席のどこかで、見た覚えのある家紋だった。そこから先が、繋がらない。 「調べておけ。この線から、辿れるかもしれない。それと、亡くなった者たちの縁者には、私自ら弔意を伝える」 「畏まりました」  一礼して扉へ向かうキリアンの背に、声をかけた。 「お前も、無事でよかった」  足を止めたキリアンの顔に、らしくない照れ笑いが浮かんだ。 「自分などより、陛下のご無事を優先すべきところでした」 「そう固いことを言うな」  クロエは事件の後始末に追われ、夕刻まで姿を見せなかった。  宮のあちこちで、クロエの変貌を見た侍女や重臣たちが、声を潜めて囁き合っていた。「あれは一体」「まさか、あのお姿が本当の」――聞こえないふりで、やり過ごした。  止めれば、認めることになる。 ◆  日が沈んでから、ようやくクロエと顔を合わせた。 「怪我をされたと」  クロエの指先が、頬の傷にそっと触れた。 「お前の手は」 「もう、動きます」  クロエが、指を開いて見せた。 「かすり傷だ。お前ほどではない」  クロエの表情は、硬いままだった。 「先程のこと……覚えておられますか、陛下」 「ああ」 「あれが、番護の力なのだと思います。無我夢中で、自分でもよく分かりません。ただ、体が勝手に動いていました」 「怖くは、なかったのか」  クロエは、少し考えてから答えた。 「怖かったのは、力そのものより……自分が、自分でなくなる感覚でした」  昨夜読んだ一行が、頭に浮かんだ。  番護が現れる時、呼び子は既に何かを失っている。 「それでも、陛下を守りたいという気持ちだけは、ずっと私のものでした」  持ち物ではない、と言った声を、覚えている。  その手を取った。 「ありがとう」  クロエが、小さく笑った。  窓の外はもう暗く、遠くで巡回の松明の灯りが揺れていた。繋いだままの手の温もりを、確かめる。

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