義井映日 / 第18話

第17話 書庫の午後

第17話 書庫の午後   翌日、昼の政務を片付けてから、書庫へ向かった。アークを訪ねたクロエは、留守だと言われて、書庫に回ったという。  クロエは、山積みの古い文献に囲まれて、机に向かっていた。足音に気づいて、顔を上げる。 「陛下が、こんな場所にまで」 「私にも、無関係な話ではない」  隣の椅子を引き、積まれた本の一冊を手に取った。羽根は、置いてきた。 ◆  午後の陽が、窓から柔らかく差し込んでいた。机の端と端に、一冊分の隙間を空けて座る。  目次から入り、索引を見て、頁を繰る。政務の書類と同じ手順だが、この棚の本には、目次のないものが多い。三冊目まで、呼び子の字は一度も出てこなかった。 「番護の頁の続きを、探しています」  顔も上げずに、クロエが言った。 「呼び子の名は、どこにも残っていません。ですが、番護だけなら、消し忘れがあるかもしれないと」  クロエの手元の紙には、頁の切り取られた本の名が、十幾つ並んでいた。  本を繰るクロエの手は、止まらなかった。しばらくして一度だけ席を立ち、水差しを二つ持って戻ってくると、一つをこちらの前に置いて、何も言わずに棚へ向かった。  日が傾くまでに見つかったのは、番護という語が一度だけ、それも索引の中にあるものだった。開いてみると、その頁は、切り取られていた。 「またです。この本も、目録にはありません」  断面に、指を当てた。同じだ。刃物で、丁寧に。 「いつの本だ」 「装丁からして、あの本よりも古いかと」  古い本ほど、念入りに消されている。  本を戻しに、一番奥の棚まで行った。ほかの棚より、埃が薄い。クロエが通っているからだけでは、ないのかもしれない。  机に戻ると、積み上げた山が、ぐらりと傾いた。とっさに手を伸ばして支えたが、勢い余って、揃って床に座り込む形になった。 「大丈夫か」 「はい。陛下こそ」  すぐ近くで、目が合った。互いの息がかかる近さで、傾いた陽の中、クロエの頬の文様が濃く見えた。捲れた袖口から、左腕の白い跡が覗いている。どちらも、しばらく動かなかった。  先に身を引いたのは、クロエだった。 「す、すみません。片付けが雑だったばかりに」 「いや、こちらこそ」  散らばった山を、黙々と積み直した。目が合うたびに、クロエがこらえきれずに小さく笑う。本を揃える手を止めずに、言葉が続いた。 「殿下の下に入ったばかりの頃、書庫に籠っていた私を、よく呼びに来てくださいました」 「そうだったか」 「はい。覚えておいでではないと、思っていました」 ◆  窓の外が茜色に染まる頃、思わず呟いた。 「腹が減ったな」 「侍女に、何か持ってこさせましょうか」 「いや」  書庫の隅の、湯を沸かす小部屋へ向かった。勝手の分からない棚を探って、ようやく茶葉と、日持ちのする焼き菓子を見つける。火を起こす手間を省いて、掌の紫で湯を沸かした。沸きすぎた。  茶と菓子を持って戻ると、クロエが目を丸くした。 「陛下が、ご自分で……?」 「たまには、これくらいできる」  クロエが、おずおずと口をつけた。 「少し、渋いです」  この前の礼の、つもりだった。 「不出来で悪かったな」 「いえ。この渋さは、陛下らしいです」  湯が熱すぎたのだと、後で気づいた。クロエはそれを言わずに、もう一口飲んだ。 「明日は、私が淹れます」  器を両手で包んだまま、クロエが言った。  菓子を、遠慮がちに少しずつ齧る。その横顔を見ていると、クロエが首を傾げた。何も言わずに、自分の器を取った。  日が沈んでも、まだ書庫にいた。灯りの代わりに指先に紫を灯して、頁を繰り続ける。消された跡ばかりが、増えていった。 「今日だけでは、終わりそうにありませんね」 「明日も、付き合おう」 「本当に、よろしいのですか。政務の方は」  昼から、誰も呼びに来なかった。私がいなくても、政務は回っている。 「これも、大切な仕事のうちだ」  クロエが、驚いたように瞬きをしてから、口の端を上げた。本を閉じかけて、ふと手を止める。 「アーク様は、どちらへ行かれたのでしょう」 「聞いていない」  屋敷を譲ってから、あの男がどこに住んでいるのか、聞いたことがない。 「では、また明日」  頷いた。 ◆  書庫を出ると、扉の脇に宰相が立っていた。いつから、そこにいたのか。  背後で扉が閉まるのを待って、宰相が口を開いた。 「陛下。近々、后のことも、そろそろお考えいただければと」  宰相の目が、一度だけ、閉じた扉の方へ動いた。昨日、この男は眉を寄せていた。 「追って、話す」  短く答え、それ以上は踏み込ませなかった。足音が消えてから、呟いた。 「――誰が、そんな話を吹き込んだ」  后の話は、これまでも遠回しに出ていた。机の隅の縁談の束は、まだ埃を被ったままだ。  明日、確かめる。  振り返ると、書庫の灯りは、まだ消えていなかった。

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