義井映日 / 第21話

第20話 逃げゆく影

第20話 逃げゆく影   召喚の使者を出した翌朝、ロノヴェが執務室を訪れた。 「陛下、謁見の間での対応、本当によろしいのですか」 「懸念は」 「侯爵ほどの男です。宮廷内にも、息のかかった者がいないとは限りません」 「だからこそ、大勢の目がある場で、公に決着をつけたい。屋敷に乗り込むより、よほど分が良い」 「理屈は分かります。ですが、宮廷内であれば安全だという保証にはなりません」 「では、どうしろと」 「せめて、警備の増員だけでも」 「それは、既に手配している」 「――失礼しました。念のため、確認を」  ロノヴェは、なおも何か言いたげな様子だったが、それ以上は口を噤んだ。 「謁見の間の警備は、いつもの倍に」 「畏まりました」  クロエは、同席させなかった。  后問題が絡む以上、公正さを疑われる。そう伝えると、頷いた。  それだけだった。 ◆  謁見の間へ、独りで向かった。  廊下の途中で、重臣が二名、後ろから追い越していった。  挨拶は、なかった。  謁見の間に、ローデンヴァルト侯爵が姿を見せた。  玉座の傍らは、空いたままだ。 「御召喚とのこと、恐悦至極に存じます」  笑みは、崩れなかった。 「王命により、そなたを問い質す。賊への資金提供、后問題への不正な干渉。証拠は既に揃っている」 「証拠、とは。誰かの偽りの証言でも、掴まされましたか」  その一言に、キリアンの表情が、一瞬強張った。 「まさか」 「あの使用魔は、既に姿を消しております。口を割ったこと自体、誰かに仕組まれた芝居だったとしたら?」  キリアンを見た。  顔が、答えていた。 「証拠を疑うのなら、堂々と身の潔白を証明すればいい。何を恐れている」 「恐れる、とは心外です。ただ、根拠の薄い糾弾で、名誉を貶められることを危惧しているだけで」  侯爵は、周囲を軽く見渡した。控えていた重臣達の何名かが、目を逸らすのが見えた。 「この場にいる方々は、皆、私が長年、この魔界のために尽くしてきたことをご存知のはずです。ですが……そのご恩を、こうも簡単に忘れられるものでしょうか」 「陛下は、まだお若い。副魔王殿への執心は結構ですが、この魔界の未来まで、お独りの情で決めていいものでしょうか」 「本題を言え」 「陛下には、まだ伴侶がいらっしゃらない。この魔界の安定のためにも、しかるべきお方を、早々にお迎えになるべきかと」  腹の底に、じわりと怒りが灯る。 「うちの娘なら、家柄も申し分ない」  この男は、捕まりに来たのではない。 「陛下さえ頷いてくだされば、この一件、穏便に収める用意がございます」 「婚姻を、脅しの道具に使うか」  声が、思わず低くなった。 「命の駆け引きに加え、私の伴侶選びまで交渉材料にするとは、随分と余裕だな」  笑みの端が、硬直した。 「取引を持ちかけているつもりか」 「取引、とは外聞が悪い。互いの利益を、すり合わせているだけです」 「私が頷けば、この場は収まると」 「左様でございます」  試すような視線が向けられた。 「もし、断ったら」  あえて、問いを重ねてみせた。 「さて。それは、陛下ご自身の想像力にお任せいたします」 「私を拘束したところで、この魔界が安泰だとは、限りませんよ」 「脅しか」 「まさか。ただの、忠言です」  嵌められた。  返事を待っている。どちらでも構わないという顔で。 「断る」  迷いなく、そう答えた。 「后の座を、そのような取引の材料にするつもりはない」  初めて、侯爵の表情から余裕が消えた。 「それは、賢明な判断とは言えませんね」 「賢明かどうかは、私が決める。衛兵、拘束しろ」  誰も動かない。  近衛が二名、扉の脇にいる。  顔を、上げなかった。  侯爵が、深く一礼した。 「では、これにて」  背を向ける。歩調は、来た時と変わらない。 「待て」  その時、扉の外で、何かが激しく崩れる音がした。ロノヴェが、素早く反応する。 「陽動です! 裏手の通用門が破られました!」 「やはりな」  剣を抜き、紫の焔を纏わせた。 「陛下は、我らが」 「いや、私が行く」  制止を振り切り、逃げる侯爵の背を追った。  廊下を抜け、裏門へと向かう。  謁見の間から通用門まで、走って幾つ角を曲がるか、知らなかった。  通用門の周辺に、十数匹はいた。  ロノヴェが一匹を壁へ叩きつけ、キリアンが背後から二匹を絡め取っている。  足を止めかけた。 「陛下、こちらは我らに! 先を!」  ロノヴェの声に押され、そのまま侯爵の後を追う。  中庭を突っ切ったところで、行く手を塞ぐように二匹が飛び出してきた。  覆面はない。爪だけが伸びている。  一匹目の腕を、焔を纏った刃で払った。焦げた臭いが上がる。  二匹目が背後へ回る。振り向きざま、鞘で顎を打ち抜いた。  倒れた二匹を越えて、なお走る。  ようやく追いついた時、侯爵は独りではなかった。傍らに、娘の姿があった。 「侯爵、その令嬢まで巻き込むつもりか」 「巻き込むも何も。娘は、私と運命を共にする身です」  握りしめた両手の指先が、白くなるほど強張っている。 「貴殿は、それでいいのか」  娘が、顔を上げた。 「――申し訳、ございません」  誰に言ったのか、分からなかった。  侯爵が、中庭の隅へ目をやった。  そこだけ、灯りが消えている。  巡回の順路は、私が決めた。  倍にした時に、隅が空いた。  侯爵が、懐から取り出した何かを地面に叩きつけた。刹那、白い煙が視界を覆う。 「目眩ましか!」  咄嗟に、腕で顔を庇う。上がった息が、煙を吸い込んだ。  煙が晴れた頃には、姿は、既にどこにもなかった。 「追え!」  叫んだが、応じる声はない。  中庭に、独りだった。  隅の暗がりまで、歩いた。  足跡を探した。石畳では、何も残らない。 ◆  日がとうに傾いた頃、キリアンが戻ってきた。 「侯爵と、娘のエレナ様。共に、姿を消しました」 「別動隊は」 「全員、拘束しました。末端の者ばかりですが」 「使用魔の件は」 「――自分の失態です」 「違う。私が急がせた」  傍らで、リオンが縄を巻き終え、地面にへたり込む。 「――終わった……」 「気を抜くな」  ノアが支えながら、それでも安堵の滲む声で返す。 「生きて終われただけで、御の字だろ」  尖った耳の先が、二名ともまだ震えていた。 「引き続き、行方を追え」 「畏まりました」  クロエの元へ向かった。  部屋に入るなり、クロエが勢いよく立ち上がる。 「陛下! ご無事で」 「ああ。心配をかけた」  朝から、ここを動いていないと、ゼンが言った。 「怪我は」 「ない」  それ以上は、聞かれなかった。 「侯爵は」 「取り逃した。娘共々、姿を消した」  クロエの表情が、曇る。  握られた手に、力がこもるのが分かった。何も言わず、ただその温もりを確かめるように、しばらくそうしていた。  逃げたのは、二名だけだ。  目を逸らした顔は、明日も朝議にいる。  断ったことは、既に広まっているだろう。  王が、副魔王のために取引を蹴った。  血筋を重んじる者には、それで十分だ。  それも、言っていない。

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