義井映日 / 第23話

第22話 問われる資格

第22話 問われる資格   クロエが議事を閉じようとした時、押し殺した声が響いた。 「畏れながら、申し上げたき儀がございます」  声の主は、オルテガ卿だった。侯爵の派閥に近い立場でありながら、これまで表立った動きは見せていなかった重臣だ。細く整えた口髭を、話す前に一度撫でる癖がある。 「申してみよ」 「副魔王殿の出自について、いま一度、皆で確認すべき時ではないかと存じます」  誰も、目を合わせようとはしなかった。末席で一名が頷き、それを見て、もう一名が頷く。先だって、目を逸らした顔だった。 「出自については、既に明らかになっている」 「ええ。ですからこそ、です。森で拾われた者が、王家の血を継ぐ者たちと同じ座に就く。それを、快く思わぬ者もいる、ということです」  血筋の話だ。取引を蹴った返しが、これか。 「その物言い、聞き捨てならないな」  声に、はっきりと怒気を滲ませた。 「クロエは、アークが――当時すでに副魔王であった者が、正式に引き取り、育てた。王家の庇護のもとにあった者を、拾われた子と侮るか」  オルテガ卿の口元から、笑みが消えた。 「――言葉が過ぎました。ですが、そのように受け取る者が、宮廷内にいるのも事実です」 「その意見の出所は」 「――それは、ご容赦を」  答えぬことが、答えだった。侯爵の名は、誰も出さなかった。  クロエが、席を立って一歩前に出た。 「自分は、構いません。皆の意見として、聞くべきだと思います」 「聞く必要はない。副魔王の座は、私が定めた。出自は関係ない」  言ってから、気づいた。  私が定めた、と言った。  クロエが、一歩下がって席に戻った。  オルテガ卿は、それ以上言葉を継がなかった。だが、頭を下げたその口元に、笑みが浮かんでいる。侯爵なら、押し切られる前に笑っていた。この男は、引いてから笑う。  朝議が終わり、重臣たちが退出していく中、ロノヴェだけがその場に残った。 「陛下」 「何か」 「オルテガ卿の背後に、誰がいるか。調べさせていただいてよろしいでしょうか」 「頼む」 「侯爵の時と、同じ手順で構いませんか」  同じ手順で、逃がした。 「いや。掴んだ端から、私に上げろ。動くかどうかは、私が決める」 「畏まりました」  ロノヴェが、深く一礼した。上げた顔から、いつもの穏やかさが消えていた。 ◆  昼過ぎ、執務室の扉が控えめに叩かれた。キリアンだった。 「三日前、北の街道で目撃されています。同じ日に、南の宿場でも」  どちらも確かな筋だという。侯爵が逃げてから、五日が過ぎていた。  偽の足跡を、撒いている。 「逃げるだけなら、そこまでしない」 「はい。手の者も、金もかかります」 「その費用は、誰が出している」 「そこを、追っております」  朝議の顔が、浮かんだ。根拠は、まだない。 「もう一つ、ご報告が」  キリアンが、古びた束を机に置いた。 「番護について、気になる記述を見つけました。呼び子を守るために現れる、と伝わっていますが、これには、別の解釈がありました」  示された一節に、目を落とした。  番護は、呼び子を生んだ願いの主を、共に守るために顕現する。 「願いの主、とは」 「呼び子を、魔界へ呼び寄せた者。陛下ご自身のことです」  紙を持つ手に、力がこもった。 「では、あの夜、私の寝所に現れたのは」 「クロエ様を守るためではなく、陛下を、守るためだったのかもしれません」 「あの夜、私は何から守られていた」 「そこまでは、この記録には」  キリアンが首を振った。 「ただ、番護が現れるのは、願い主に危機が迫っている時。そう記されています」  あの頃、まだ何も表に出ていなかった。今なら、いくつか思い当たる。 「これは、どこで」 「書庫ではありません。前線の記録に紛れていたものです」 「なぜ、そこを」 「昔、自分がいた場所です」  消した者も、そこまでは追わなかったらしい。 ◆  扉越しに、灯りの気配がした。クロエの居室だった。声をかけると、窓辺に立ったまま、振り向かなかった。 「眠れないのか」 「少し」  開いた窓から風が入り、蝋燭の火が揺れた。 「オルテガ卿の言葉、気にしているな」 「正直に言えば」  窓の外を見たまま、クロエが続けた。 「あの場で、陛下が庇ってくださったのは、嬉しかったです。でも、自分の出自を疑う声が、これで消えるわけではありません」  蝋燭の火が、また揺れた。 「むしろ、これからも繰り返し出てくるのでしょう。宰相殿に后の話を切り出された時から、何も変わっていないのかもしれません」  歩み寄り、隣に並んだ。眼下に、庭の灯りが見えた。  今度は、その日のうちに伝えることにした。 「今日、キリアンが記録を持ってきた。番護が守るのは、呼び子だけではないらしい」 「では」 「お前を呼んだ側も、守るそうだ」  しばらく、返事はなかった。 「では、あの夜、陛下の寝所に現れたのは」 「まだ、確かではない。だが、その記述が正しければ」  窓枠の上で、指に力がこもった。 「自分たちは、思っていた以上に、繋がっているのかもしれません。陛下に、危機が迫っていたということですよね。心当たりは」 「侯爵の一派が、もう動き出していたのかもしれない。当時は、気づきもしなかった」  クロエが目を落とした。 「ずっと、自分の存在理由を、探していました。呼び子として生まれた意味を」 「見つかったか」 「まだ、途中です。でも」  クロエが顔を上げた。声が、震えている。 「オルテガ卿たちが何を言おうと」  気づけば、手が伸びていた。触れる前に、止めた。 「番護が、その証だ。お前と私は、離せない」 「はい」  クロエの目が、大きく揺れた。何かを堪えるように、唇を固く結んでいる。  伸ばした手を、下ろした。  窓の外で、夜風が音を立てている。庭の灯りは、四隅とも消えていなかった。

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