義井映日 / 第14話

第13話 夜半の来訪者

第13話 夜半の来訪者   深夜、物音で目を覚ました。  寝所の窓辺に、影があった。月明かりに、輪郭だけが浮かび上がる。背から、翼のようなものが伸びていた。  右目の奥が、疼いた。  息を潜め、闇の中でその輪郭を目に焼き付ける。  背丈は、成体の悪魔ほど。だが、纏う気配は、これまで感じたどの敵意とも違っていた。迷い、あるいは躊躇い。そんな色が、滲んでいる。  枕元の短剣を握る。 「――何者だ」  誰何《すいか》した瞬間、影が身を翻し、窓の外へと飛び去った。羽ばたきは、ほとんど聞こえなかった。  衛兵を呼び、周辺を検《あらた》めさせた。屋根の上、庭木の陰と探しても、姿はない。  衛兵が下がってから、窓辺に戻った。  桟に、黒い羽根が一枚。  摘み上げて、引き出しに入れた。  寝台に座り直す。短剣の柄に、伸びた爪が食い込んでいた。  庭で見た灯りは、これだったのか。 ◆  扉を叩く音がして、キリアンが姿を見せた。事の次第を伝えると、その顔が珍しく強張った。 「私室にまで、とは」 「巡回は、倍にしたな」 「はい。庭に四名、廊下に六名」  十名が立っていて、誰も気づかなかった。 「羽ばたきを、お聞きになったのですね。それでは、通常の刺客とは考えにくい」  キリアンが、墨の染みた指で、窓の桟を撫でた。 「手が届く距離にいた」  キリアンが、顔を上げた。 「何も、されなかった」 「野営地の相手と、同じか」 「断定はできません。ですが、跡を残さぬ点は一致します」  野営地にも、翼の跡はなかった。  キリアンが、窓から離れた。 「何か、心当たりが」  キリアンは、しばらく机の端を見ていた。 「かつて、前線で諜報を担っていた頃、一度だけ、似た報告を聞いたことがあります」  この男が昔の話をするのは、初めてだった。 「見たと言った者は、一名だけでした。羽音以外、何も聞こえなかったと」 「その者は」 「大戦の末期です」  キリアンは、それ以上言わなかった。  やがて、キリアンが声の調子を改めた。 「陛下、今夜からは、寝所の警護も増やします」 「大袈裟にするな。まだ、確証はない」 「確証がないからこそ、警戒するのです」  キリアンが、一歩前に出た。 「引き続き、羽を持つ者に心当たりがないか、探ってくれ」 「畏まりました」 ◆  夕暮れの庭で、クロエと顔を合わせた。 「顔色が優れませんね」 「何でもない」 「兄さまが、そう仰る時は、大抵何かあります」  昨夜の一件を、かいつまんで話した。  クロエの口元が、固く結ばれた。 「……私室の近くで影を見た者がいたことは、キリアンから伺っていません」 「大事にするな、と言った」 「それは、また同じことの繰り返しではありませんか」  言い返せなかった。 「これからは、必ず伝える」  クロエは、黙って小さく頷いた。  それから、こちらの顔を覗き込んだ。 「翼のようなものが見えた、と仰いましたね」 「ああ。それが、何か」 「あの夜、私も見ました」 「砦の外で、敵を止めていた時か」 「……はい」  クロエは、目を伏せた。 「もし本当に翼を持つ何かなら、書物で見た覚えがあります」  クロエは、自分の言葉を打ち消すように、首を振った。 「まだ、確かではありません。もう少し、調べさせてください」  さっき、約束したばかりだった。  同じことを、この者もしている。 「今夜から、私も見張りに加わります」 「それは」 「陛下の身に何かあれば、魔界そのものが揺らぎます。副魔王として、当然の務めです」  それだけではないだろう。口には出さなかった。 ◆  灯りを落とした私室の隣室に、約束通りクロエがやってきた。 「本当に、見張りなど付き合わせてよかったのか」 「私が、そう決めたのです」  それで、話は終わった。  椅子を二脚、窓辺に並べる。庭の様子だけを窺う時間が続いた。  最初の夜、クロエが口を開いた。 「昨夜も、ここに座っていたのですか」 「独りでな」 「今度からは、独りになさらないでください」  返事は、しなかった。 「昔も、こうして並んで座ったことがありましたね」 「蛍を追いかけた、あの日のことか」 「よく覚えていらっしゃいますね」 「泥だらけで、一つも捕まえられなかった」  クロエが、息を呑んだ。  会話が途切れた。  窓の外で、梟《ふくろう》が一声鳴いた。  揃って腰を浮かせ、顔を見合わせた。クロエが、先に吹き出した。  その夜は、何も起きなかった。  次の夜も。  三晩、続けて何も来ない。  クロエが隣にいる間だけ、来ない。  四晩目から、クロエは来なくなった。理由は、聞かなかった。 ◆  キリアンが報告に来たのは、それから数日後のことだった。 「クロエ様が、何かを調べておられるようです」 「何をしている」 「書庫に、何日も籠っておられます。司書によれば、王家に稀に生まれるという『呼び子』の伝承を、繰り返しお読みになっていると」 「――呼び子」  キリアンが、頷いた。 「クロエの動きは、探らなくていい」  キリアンが、墨の染みた指を握り込んだ。 「……出過ぎました」  その夜、書庫の扉の前まで行った。灯りが漏れ、頁を捲《めく》る音が続いている。そこに立っていたが、中で椅子が軋む音がして、引き返した。  机の引き出しを開ける。黒い羽根が一枚。指先で摘み上げると、灯りに透けて、紫がかって見えた。  掌に、紫炎を灯す。近づけても、焦げない。炎の方が、避けた。  引き出しの奥へ、押し込んだ。  必ず伝える、と言ったのは私だ。  書庫の窓に、まだ灯りがある。  消えるまで、見ていた。

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