義井映日 / 第15話

第14話 呼び子

第14話 呼び子   書庫の灯りが消えた後、引き出しの奥から羽根を取り出した。  昼に書庫へ行けば、クロエがいる。並んで調べれば、羽根のことを聞かれる。  代わりに、父上から受け継いだ書物を、私室の棚から下ろした。十数冊ある。歴代の王の名と、即位した年と、討った天使の数。戦のことばかりで、翼を持つ何かの記述も、呼び子という語も、どこにもない。  王家に稀に生まれるものなら、王家の書物に残っているはずだった。  二冊目の途中で、同じ頁を三度読んでいることに気づいた。灯りが、短くなっていた。 ◆  幾晩も来なかったクロエが、翌る夜、古びた本を抱えて私室を訪れた。 「お話ししたいことが」  口元が、固かった。机に出していた羽根を、引き出しに戻した。  クロエが、本を開いて差し出す。 「『呼び子』――王家の者の強い願いに応え、稀に魔界へ顕現《けんげん》するとされる存在、とあります」  古い言葉で綴られた、初めて読む伝承だった。その先の頁が、破られている。 「ここは」  クロエが、破れ目を指で示した。  本を受け取って捲ると、頁の番号が三十枚分、飛んでいた。破れ目に触れる。断面は滑らかで、刃物で切り取られた跡だった。  本を、クロエに返した。 「他の書物は」 「呼び子に触れているものは、この一冊だけでした。書庫のどこにも、ほかにはありません」  王家の記録からも、書庫からも消え、残った一冊からも三十枚が抜かれている。 「どこにあった」 「目録にない本を、一冊ずつ当たりました。一番奥の棚です」  紙の端が、擦り切れて毛羽立っていた。幾度も、指で辿ったのだろう。 「なぜ、これを」 「翼のようなものを見た、と伺った時、昔聞いた話を思い出しました。自分が拾われた時も、翼のあるものが傍にいた、と」  あの森でのことを、クロエに話したことはない。 「同じとは限りません。ですが、自分に関わることかもしれないと思って、出自を調べました。呼び子という語に行き当たったのは、四晩目です」 「それから、何をしていた」 「呼び子を守るという、番護の記述を探していました。破られた頁の先に、あるはずのものを。見つかりませんでした」  クロエは表紙に目を落とし、しばらく黙っていた。 「自分は、ずっと疑問でした。なぜ、陛下にだけ近づけたのか。なぜ、あんな場所に、突然現れたのか」  開いた紙の上で、クロエの指が一文をなぞった。 「呼び子は、呼んだ者にしか、真の姿を見せない」  声が、震えていた。 「縁談の書類を見た時から、自分は、陛下のお心一つで決まる身なのだと思っていました。この一文を読んで、それが、生まれた時からだったのかもしれないと。もし、そうなら、自分という存在は、いつか陛下の意思一つで、消えてしまうものなのでしょうか」  本を抱く腕に、力がこもっていた。  願ったのが私なら、その覚えがない。五つの私が、何を願っていたのか。  表紙を押さえるクロエの指が、白くなっていた。その上に、手を重ねた。 「たとえ、それが真実だとしても、私の意思一つで消えるなら、あの朝、指輪は返ってこなかった。お前は、今日まで、お前の意思でここに立ってきた」  クロエはしばらく黙っていたが、やがて、握り返してきた。 「そう、思わせてください」  握り合った手の少し先で、表紙と紙の間から、押し花が一枚覗いていた。 「これは」  尋ねると、クロエは我に返ったように瞬きをした。 「昔、私が差し上げた花です。押し花にして、返してくださいました」  摘んではいけない花だった。 「そんな昔のもの、よく形が残っているな」 「大事にしていましたので」  幼い頃の顔が、そのまま出た。  返した時のことも、押し花にしたことも、覚えていない。覚えているのは、乳母に「摘んだのは私だ」と言った時の、自分の声だけだ。あの時、誰も咎めなかった。皇子と呼ばれていたからだ。  クロエが本を卓に置き、押し花をつまんで持ち上げた。灯りに透けて、葉脈がまだ残っているのが見える。  押し花の下から、番護の頁が出てきた。  見つからなかった、とクロエが言った頁だった。 「ここに挟んだのは」 「たまたまです」  答えが、早かった。  クロエが、本をこちらへ向けた。  番護。姿形は定まらず、翼を持つ場合もある。呼び子が真に危険に晒された時のみ、その姿を現す。  番護が現れる時、呼び子は既に何かを失っている。  何を失うのかは、書かれていない。その先が、切り取られた三十枚だった。  その一行の上で、クロエの指が止まり、すぐに離れた。顔を上げると、目が合った。  私の机の引き出しには、あの羽根がある。 「つまり、あの夜、陛下の私室に現れたということは」  クロエが、そこで言いさした。その先を、私が引き取った。 「私の身に、危険が及んでいたと」  クロエが、小さく頷いた。 「本来、呼び子を守るはずの番護が、なぜ陛下の元に現れたのか……そこだけは、まだ分かりません」 「お前の所へは、来なかったのか」 「……来ました」 「いつだ」 「隊が下がりきった後です。三匹に囲まれて、膝をつきました。その時、頭の上が暗くなりました」  クロエの指が、左腕の白い跡に触れた。 「羽ばたきは、聞こえませんでした。顔を上げた時には、賊が退いていました。後は、それだけです」  野営地の焚き火で、クロエは空を見上げていた。あれは、それを探していたのか。 「私の所へ来たのは、何も起きる前だった」  私の窓辺にいた影は、確かに躊躇っていた。  クロエが、頁に目を落とした。 「私のところへ来たものに、悪意は感じませんでした。むしろ……庇われている、という方が近い気がします」  視察団の日程を、宮廷の誰かが聞き出した件は、翼とは関係がない。  クロエが本を閉じかけて、一度手を止めた。それから閉じて、胸に寄せた。  その手に、もう一度、手を重ねた。  これ以上、何も失わせない、と思った。  クロエが立ち上がり、手が離れた。一礼して、クロエは部屋を出ていった。  扉が閉まる音を聞いてから、引き出しを開けた。  羽根は、そこにある。  見せる機会は、今夜もあった。

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