義井映日 / 第7話

第6話 王の鎖 二

第6話 王の鎖 二   決裁の手が、また止まった。  クロエの屋敷へゼンを送り出して二日になる。朝議の副魔王の席は二度とも空いたままで、誓いの場から数えれば三度目だった。その間に出した使いには、素っ気ない断りの文が返ってきた。体調不良、とあった。  書類の文字が上滑りしていく。窓の外を見る回数が増えていった。  その夜、ゼンが執務室へ戻ってきた。顔色が優れない。 「――クロエ様は、ご無事です。ですが」  言葉を濁す。 「朝晩お訪ねしても、玄関先までしか通していただけませんでした。応対に出た侍女も、目を伏せたままで」  窓という窓に灯りがなかったという。 「家の者が申すには、即位の日取りが定まった頃から、夜も眠れておられなかったと。ここ数日は、食事も」  即位の、日取り。  王座に就いたその日に、指輪は返された。  証を返すのは、辞意の印だ。  分からないのは、理由だけだ。 「退がっていい。よくやった」  ゼンは跪いたまま、顔を上げた。 「陛下」 「何だ」  その目が一度、政務室の方へ動き、床に落ちた。続く言葉はない。  誓いの場でも、この男の言葉を途中で切った。  促さずに、そのまま行かせた。頭の中では、もう別のことを考えていた。 ◆  残りの書類を置いたまま、私室に籠《こも》った。  これまでのクロエを思い返す。  継承の儀での、迷いのない眼差し。使者を迎えた日の、悪びれない笑み。  どの顔も、昔のままだった。  引っかかるものは、二つあった。  言い直す回数が減っていった呼び方。乱れてもいない袖口に触れた指。  灯りを持って政務室へ移った。  縁談の控えを探す。  机の端に、束が重ねてあった。一番上は先月の分だ。  クロエ・縁談三件・全て却下。私の筆跡だった。  クロエの席は、すぐ隣にある。  クロエが見ていれば、理由になる。  束を引き出しに仕舞った。  返された指輪を、指先で弄《もてあそ》ぶ。焔を象った爪の中で、紫の石が鈍く光っていた。  確かめるには、会うしかない。  夜が明ける前に、独りで屋敷へ向かう。侍従にそう告げて間もなく、宰相が血相を変えて駆け込んできた。 「なりません。王が、単身で臣下の屋敷に赴くなど」 「前例がないことは、分かっている」 「陛下、どうか御自重を。明日には、南方の使節団との会談も控えております。もし何かあれば」 「お前に任せる。それで足りるはずだ」  アークにも、先に尋ねてある。  返ってきたのは、自分の口からは申し上げられません、の一言だった。 「――陛下」  宰相の声が尖った。 「副魔王殿の欠席が、三度。貴族院が、既に理由を問い始めております。ここで陛下が自ら屋敷へ走られれば、庇い立てと取られます」  一歩、詰め寄ってくる。 「誓いの炎は、六つのままです。その上、王が副魔王の門を叩けば、どちらが仕える側か分からなくなりましょう」  返す言葉を探した。 「分かっている。それでも、行く」  なおも食い下がろうとする宰相を、目で黙らせた。 「許可を求めているわけではない」  宰相が一礼した。それきり、何も言わなくなった。  私が王になる前なら、まだ言い返してきた。  指輪を懐に入れ、部屋を後にした。 ◆  夜明け前、城下の外れへ続く道を駆けた。  蹄《ひづめ》の音が眠った家並みに響き、冷たい夜気が頬を切るように過ぎていく。二晩、まともに眠っていない。  馬を止めた道の脇に、朝露に濡れた草原が広がっていた。首に手を置くと、馬は汗で湿っていた。  虫の声は、私が来ても止まなかった。  再び手綱を握る。あの日取りの何が引き金だったのか、考えるたびに同じところへ戻ってくる。私が王になったこと自体が嫌なのか、それとも王として何かを見誤ったのか。  幼い頃は、この道を走って通った。アークの屋敷だった頃の話だ。  馬でも、まだ着かない。  東の空が明るくなる頃、屋敷の屋根が見えてきた。  門が閉ざされていた。昔は、いつも開け放たれていた門だ。 ◆  馬を下り、門を叩いた。しばらく応答がなかった。  幾度目かで門の小窓が開き、門番が顔を出した。慌てて羽織ったのだろう上着の襟から、寝間着が見えている。  私の顔を見るなり、目を剥《む》いた。 「へ、陛下……このような刻限に」  寝間着は、見なかったことにした。 「クロエに会いに来た。開けろ」 「ですが、クロエ様より、何者も通すなと」 「私もか」  門番は俯いた。 「何か、知っているのか」  肩が震えた。言いかけては口を噤《つぐ》む。それを二度、三度と繰り返した。  待てば、話したかもしれない。 「開けろ。これは、命令だ」  低く告げる。  小窓が閉じ、閂《かんぬき》を外す音がした。途中で、つかえた。  軋《きし》みを上げて門が開いていく。  その隙間に体を滑り込ませた。

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