曇りの夜空 / 第2話

第二話 あたしは殺人処女

 ネレイド館、あたし達が住む葉船町の隣にある水白町の中にある西洋ゴシック調の名物館だ。この館を作った男がケルンやミラノの大聖堂にいたく感銘を受けてしまったらしく、たまたま親から受け継いだ大金をジャブジャブ使って元は多少大きいだけだった日本家屋の形を整えたのだとか。  刺さりそうなほど尖った館を見上げながら門扉の隣の壁を昇ってあたしは中へと侵入した。 「ちょっと夢邦、不法侵入しちゃっていいの?」  三十路の緑ポニーテールこと、鈴原雫が文句垂れながらあたしの背後に着地する。 「ガキが変わった形の建物に好奇心が駆られて侵入し、保護者が悪いと思いながらも追っかけてきただけよ。ごめんなさいで済むわ」 「ははは、子供って最強ね」 「最弱よ。だから強い奴らが守ろうと気を使ってくれるだけ」  あたしは薔薇色の髪を軽く掻きながらあたりを見まわした。お姉ちゃんと少し髪色が違うのは少々気に食わないが、まぁお姉ちゃんが気に入ってくれているから文句は言うまい。  日本庭園だったことを思わせる池や鹿威しが残っており、奥で威圧感を放っている無駄にデカいゴシック館とのギャップが凄まじい。ここまで回収する金はなかったのか、それともこれがクールだとでも思ったのか、何にせよ滑稽な見た目である。  丁寧に刈られた芝生の感触を楽しみながら歩を進めていると不意にあたしの鼻腔に鬱陶しい臭いが張り付く。発生源を辿ってみると物置のような木造建築が目に入った。 「……どうやら本命はあの天辺に人が突き刺せそうな館じゃなくてこれみたいね」 「ここで殺人が起きるって言うの?」 「馬鹿の手紙を信じるならね。もっとも、既に起こっているかも知れないけれど」 「ちょっと、何でそんな不吉なこと言うのよ」 「あら、雫には感じないかしら? さっきから漂う血の香りが」 「は?」  慌てて鼻をヒクヒクと稼働させている。犬か、豚か……ま、可愛らしいわね。 「……本当だ。この中に何かある」 「さて、取り合えず見てみましょうかね」  あたしの身長より少し高いところにあった取っ手は驚くほど軽かった。鍵はかかっていないようだ。そのまま力を入れて扉を開けようとすると少しだけ重くなる。  ………………ふーん。 「やーめた」 「ちょっと夢邦、何で開けないのよ」 「これ以上住居侵入するのは心苦しいからね。それに開けた時死体が転がってたらトラウマになっちゃうわ」 「はぁ??」  踵を返して琴をあしらった髪飾りを弄る。自然と口角が上がった。 「あんた、死体の一つや二つでトラウマ抱えるタマじゃないでしょうが」 「ったく、そんなデリカシーの無い発言ばっかりするから男の一匹も捕まえられないのよ」 「余計なお世話よ、馬鹿ガキが」  白く塗られた壁に手を当て少し視線を上げた。はめ殺しの窓から倉庫の内部へと陽光が注がれている。少し小さいがあたしなら問題ない。 「さて、そんなことより雫」 「そんなことって何よ。こちとら私と言う存在意義に関する文句を……」  細い足で軽くローキックを喰わせて言葉を続ける。 「ガムテープ買って来なさい」 「なんでそんなもんを?」 「ガキらしく、悪戯でもしようかと思っただけよ」    万札押し付けながら「つりは取っときなさい」と付け加えると、うちのワンちゃんは喜びながらコンビニの方へ去っていった。惜しいわね、あと20若ければ可愛かったかもしれないのに。  日陰に身を潜めバッグからイチゴオレを取り出し喉に流す。舌を楽しませるほのかな酸味と少しドロッとした甘み、喉を通る確かな質感と流麗な水分、胃の中まで味蕾があるかのように錯覚してしまう甘美かつ豊満な旨味。 「ふふふ。血の匂いを嗅ぎながらでもイチゴオレは美味しいものね。なんにでも合う万能飲料だわ」  イチゴオレを堪能するついでに倉庫を観察してみる。ぱっと見で見える範囲ではやはり木製倉庫といった様子であり、本館に比べてほとんど手入れされていないように見えるのだが、よくよく目を凝らしてみれば最近手を加えられた形跡がチラホラと発見できた。木と木の隙間から微かに覗く金属の光なんてものはその典型だ。  倉庫に手を当てると太陽が温めた温度のほかに、微かではあるが妙な振動を感じ取ることが出来た。機械か何かが振動しているのだろう。それも当然扇風機だのエアコンだのではない、もっと大きな仕掛けがありそうだ。 「さて………と」  クナイを取り出しケブラー糸を巻き付ける。 「忍者の訓練しといて良かったわね」  もう一本のクナイを取り出し同じようにした後、雄々しくそびえ立っている近くの木に糸を巻き付けた。 「夢邦、ガムテープ買ってきたわよ」 「ご苦労様。それじゃそこに少し屈んでちょうだい」 「OK」  ホクホク顔の雫は文句の一つも言わずに屈んだ。あたしは地面を蹴った後に雫の平均より少々広い背中も蹴ってさらに駆け上がり、そのままはめ殺しの窓枠を掴む。 「よっと」  買ったばかりのガムテープを窓に張り付けて、ある程度の量が張り付いた後に先ほど用意しておいたクナイを手に持つ。 「あら? 何する気?」 「何する気って雫、ここまでやって気づかないほど老いぼれてるのかしら?」  持ち手の方をハンマーのように使い、ガムテを張り付けた窓にたたきつけた。バキッと乾いた音がしたと同時に一気に歳をとったかのようにヒビが広がっていく。簡易的だが音を消すにはこれで十分だ。 「さらにもう一発」  パラパラとガラスの雪が倉庫内に広がっていく。あたしはクナイをロープ代わりにして中へと入り込むとあたしの影が室内に黒を落とす。 「あーー、やっぱりそうだったわけね」  目の前には血の海に横たわるパンツ一丁の小太り男が横たわっていた。死んではいないが、気絶しているようだ。  やっぱりこの血はこの男から流れている血じゃない、多分豚か牛か、その辺りのやつみたいね。外へ異常を伝えるためにわざわざ用意したんでしょうけど、なんともご苦労なことだわ。 「この人間の顔をした豚さんの血……なわけないか」  目隠しと耳栓、おまけに口枷、そして両手足が縄で拘束されており動くことも出来ない。一見すればなかなかレベルの高いドMプレイの最中のようである。 「雫、あんた絶対にその扉開けるんじゃないわよ。もし開けたとしたら」  そんな素敵な豚さんの頭上………否、首の上には何か――多分毒――が塗ってある切れ味鋭そうなナイフが糸で吊るされていた。糸を辿っていくと入口の扉へと繋がっており、取っ手をある程度下げれば自動的に降ってくるよう仕掛けがされているではないか。  このシンプルかつ無駄のないトラップを発動させてしまったとしたら。 「殺人犯になるわよ」 イチゴオレを再び口に含み絶対的な旨味と幸福を身体に注ぎ込む。 「あ~美味しい♪」  あたしの殺人処女は守られたみたいで良かったわ

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