Ariasa(ありあーさ) / 第8話

7話

7話  境界の森に入る頃には、日は赤く染まって辺りは薄暗くなっていた。各々が役割分担をして野営の準備を始めるのだが、アルマだけは落ちている小枝を右手で持てるだけ拾う事しか許されず、ソワソワと他に仕事ができないか探していた。  そうしていると、ふと繋いでいたはずのトビーが居ない事に気付く。 「ん? トビーがいないね。トビーが持ってた荷物は置いてあるけど……」 「あら、本当ですね。デトラスが繋ぎ方をミスるとは思えないけど……」  野営地に魔物除けの結界を張り終えたアミュレットも、アルマの隣に来て首を傾げた瞬間だった。  ズリズリズリ……  森の奥から何かを引きずりながらこちらに近づいてくる音が聞こえ、アルマはとっさに剣の柄に手をかける。デトラスとコラルも音に気付き、武器を手に音の先を警戒する。 「まさか、魔物にトビーが襲われたんじゃ……」  ごくりとコラルが緊張を隠さずに呟くと、薄暗い森の奥でようやく輪郭を確認できるようになる。 「あれは……レーゲンとトビーかな?」 「お姉様、よく見えますね。暗くて顔まで見えません」  アルマの言葉に臨戦態勢を解き、デトラスが様子を見にレーゲンの方まで行くと、合流して早々デトラスが頭を抱える様子とレーゲンの笑い声が森に響く。  そして、デトラスがトビーの後ろに付いてズリズリと明らかに何かを引きずって近づいてきた。近づくにつれて、草木の匂いとは違う、どこか生々しい鉄の香りが風に乗って漂ってきて、はっきりと顔が見える距離まで来ると、その後ろにあるモノも確認できるようになる。 「……えっ! ちょ、ちょっと待ってください。それってもしかして、シルバーホーンじゃないですか!」 「おう、コラル。よく知ってるな」 「知ってるも何も、魔導師の装備を作るときの高級素材ですよ! 特に角なんて、魔力の伝導率がいいから、杖の素材や装飾に使われますし、魔法道具の核にもなったりする、万能素材です! わぁ、大きな子ですね。角も立派……」  レーゲンが感心するようにコラルを見たあと、立派な樫の木の近くでトビーを止め、「トビー、助かった。頑張ったな」と、ポンポンと首を叩いてねぎらった。トビーは疲れたと言わんばかりに、ぶふぅっ、と鼻息を荒く答え、首筋は夜の冷気の中でもほんのりと熱を持ち、じっとりと汗でぬれていた。  シルバーホーンの尻を押して助けていたデトラスも、額の汗を拭いつつトビーの腹帯に括り付けていたシルバーホーンを引っ張るための縄を解くと、ドサッとシルバーホーンの体が完全に地面に落ちた。  すると、その様子をわなわなと震えながら見ていたアミュレットがレーゲンをキッと睨む。 「ちょっと! なんで初日にこんな大物を仕留めてくるのよ! これから徒歩の旅なのよ! いくらトビーがいるとはいえ、もう少し小さな獲物を捕まえてきなさいよ!」 「キーキーうるせぇな。そこにシルバーホーンが居たから狩って来ただけだ。それ以上の理由はねぇよ。それよりも、さっさと解体するぞ。血抜きはしたが、さっさと処理をしねぇと夜が更ける」 「誰のせいよ!」 「Erati(発動)」  アミュレットの癇癪をスルーし、ジャラジャラと付けているアクセサリーの一つである魔法道具の指輪の一つに魔力を込めながら、シルバーホーンに手をかざす。その瞬間だった。バチバチッと毛並みのあちこちで小さな火花が弾ける。 「ったく、仕留めた直後もやったのに、またこんなに付いたのか」 「今のは、雷撃魔法? でも随分と小規模……。何をしたんですか?」 「ダニを殺したんだよ。解体中に吸われたらたまったもんじゃねぇ。それよりほら、コラル。お前も手伝え」  ポンと自分のナイフをコラルに手渡す。 「えっ?」 「素材、欲しいんだろう?」 「はい。え、でも、やった事ない……」 「教えてやるよ。素材が欲しかったら手伝え」  怖気づいて表情を引きつらせるコラルを、ニヤニヤと笑いながら腕を肩に回して逃がさないというように逃げ腰のコラルを捕まえた。  デトラスが黙々と角を縛っていたロープを解いて後ろ足に括り付けていた、その手際の良さにレーゲンが「へぇ、デトラスさん、分かってるじゃん」と笑う。 「吊らないと、解体しづらいからな」  括ったロープの逆側を樫の木の枝に向かって放り投げ、枝にかかったロープをレーゲンがキャッチして、位置を調整する。 「コラル、お前も縄を持て」 「へ?」 「お前も男だ。俺達と一緒に引き上げろ」 「悪いね、私の肩が健在だったら代われたんだけど、アミュレットに怒られそうだから」  アルマはアミュレットに抱き着かれて動きを封じられており、アルマの手は借りられそうになかった。コラルはそれを見て「だ、大丈夫です! 僕も男ですから!」と、レーゲンから縄を受け取る。 「よし、じゃあ行くぞ。……せーのっ!」 「ふんっ……!」 「っ! うわぁっ!?」  一番手前にいるデトラスが一気に力を込めると、力を入れるタイミングが少しずれたコラルが派手に転び、レーゲンに「お前っ、下手くそだな!」と力んだ声で罵られた。しかし、推定120㎏ほどある巨大な鹿である。太い樫の枝にかかったロープの摩擦が思った以上に激しかったため、デトラスとレーゲンの二人だけでは上がり切らず、レーゲンが舌打ちをする。 「コラル! 引っ張れねぇなら縄にぶら下がれ!」 「は、はい!」  コラルはすぐに立ち上がると、助走をつけて縄に向かってジャンプする。ガサガサッと木が大きく軋むが、コラルの体重が加わったおかげで何とかシルバーホーンの巨体を浮かせることが出来、コラルが縄にぶら下がっているうちにレーゲンが縄を幹に固定した。 「おぉ、さすがだね。……でも今、思ったんだけど、浮遊魔法を使えば楽に上げられたんじゃないかな?」 「あっ……」 「アルマさんよぉ。そういう事はもっと早く言ってくれ……」  両膝に手を突いて呼吸を整えるレーゲンに、アルマは「ごめん。今思い出した」と申し訳なさそうに苦笑をした。  コラル自身も、魔導師としてその発想が浮かばなかったことを誤魔化すように「じゃ、じゃあ僕が風魔法で解体しますよ!」と拳を握る。 「ばーか。んな派手な事をしたら、内臓が傷ついて肉に臭みが移る。食うなら、美味しく食いてぇだろ? あと、皮も、骨も、腱も、お前が欲しがっている角も、丁寧に取らないと売れねぇ」  レーゲンはそう言いながら手際よく、皮を剥ぐために切れ込みを入れる。 「コラル。見本を見せてやるから、お前は反対側の脚の皮からやってみろ。デトラスさんはコラルが使い物にならなくなったら頼むわ」 「分かった」 「そんなぁ! それだったら最初からデトラスさんに頼んでくださいよ!」 「うるせぇ。知っておいて損はねぇよ。あと、素材が欲しいなら、ちゃんと向き合え」  レーゲンはそう言うや、グッと力を込めて皮を剥いでいく。毛皮に覆われていた脚が見る見るうちに肉をあらわにしていき、コラルは「うぅ……」と眉をひそめつつも、レーゲンの動きをしっかりと見て、促されるままに自分も慎重に毛皮を剥ぎ始める。 「うわっ! ダニ!」  毛の隙間という隙間にびっしりと張り付く黒い粒に、コラルは思わず後ずさった。 「もう動いてないから安心しろ」  デトラスが慣れた手つきで死骸をつまんでポイッと投げ捨てつつ、すぐ隣で細かい動きを丁寧に教えていく。  そして、デトラスとレーゲンに指導されながらシルバーホーンの皮を剥ぐと、防虫の処置を施した後、次の作業へ移る。 「次は、頭を落とす。角を傷つけたくなかったら下で構えてろ」  レーゲンは淡々と首に狙いを定めてナイフを差し込むと、ゴキッとナイフをねじって首を落とす。コラルは「あわわっ」と慌てて首を受け取り、ズシッと感じるその重みと、思わず合ってしまった目に、グッと言葉を失う。 「おい、ぼーっとしている時間はねぇぞ。さっさと防虫の処置をして次だ」 「……生きていたんですね。この子も」 「当たり前だろ。だから、頂いた命は無駄にしねぇんだよ」  レーゲンの言葉に、コラルは泣きそうになる目に力を入れて「はい」と頷くと、虫が嫌いなニオイを発する粉を振りかけて、続きの作業に戻る。  そこからは、怒涛の作業だった。  一つ一つの作業を丁寧に、しかし内臓を取り出すときだけはあまりのグロさに半泣きになりながら、解体を進めていく。 「うえぇぇ……こ、ここですか?」 「バカ! 目を逸らしながらナイフを入れる奴がいるか!」 「自分の手を切りたくなかったらちゃんと見ろ。……そうだ。そこを切れ。レーゲン、皮の処理をして来ていいぞ。俺が見てる」 「分かった」  デトラスがコラルにばらし方を教えている最中に、レーゲンが剥ぎ取られた見事な銀色の毛皮に、手早く大量の塩をもみ込み、防腐加工を施していく。  解体された肉と内臓の一部は、アミュレットが受け取って今晩の食事にするために調理をし始め、残った肉は干し肉にするために、防腐処理を終わらせたレーゲンとバトンタッチしたデトラスが切り分けていくと、アルマが片手で塩をもみ込む。  そしてコラルは終始シルバーホーンの解体作業に従事し、レーゲンとマンツーマンで角や骨、腱を素材に変えていく作業を行っていった。 「まだ吐くなよ」 「……ぅっ。まだ終わらないんですか……」  顔色を悪くしながら作業を続け、何度も深呼吸をして獣と血の臭いに苦悩しながら、それでも諦めることなくレーゲンに食らいつくように作業を続けた。  そして夕食が出来上がる頃には、コラルはげっそりとしていた。 「うわ、ちょっとコラル、真っ青じゃない。夕飯食べる前に吐き気止めでも飲む?」  アミュレットが骨で出汁を取ったスープと、肉に加えてハツやレバーも加えた炒め物を渡しつつそう言うと「お願いします……」と力なく答えた。好物の肉の匂いすら、今の彼には刺激が強いらしい。 「初めてのコラルには刺激が強かったね」  アルマも真っ青のコラルを見て水を手渡しながら労うと、受け取りながらコクリと頷く。すっかり意気消沈しているコラルに、アミュレットは仕方ないわねと、吐き気止めをコラルに渡しながら「よく頑張ったと思うわよ」と背中を撫で、子守歌を詠うように讃美歌の鼻歌を歌う。その温かい声に包まれて、コラルの肩からどうにか力を抜くことは出来た。しかし、張り詰めた心の糸は、悲鳴を上げるように軋んだままだった。  夕食を食べ、干し肉を燻製するためと、夜の危険から身を守るための火を絶やさない、火の番の順番を決めてから各々が毛布にくるまって眠り始める。  最初の火の番はアルマで、細心の注意を払いながら風の魔法で干し肉に向かって、煙を巻き込むように吹くそよ風を発生させる。 「アルマ様……」 「コラル。眠れないのかい?」  しかし、横になっても寝付けなかったコラルが、アルマの所へ来てちょこんと横に座ると、ギュッと自分の体を抱き締めるようにうずくまる。 「僕、初めてお肉を食べるのが怖くなりました。シルバーホーンの目を見てから、ずっと心の中にあの子も『生きていた』という事実が頭から離れなくなって、見方が変わっちゃったんです」 「そうだね」 「僕、お肉が大好きだったんです。でも……もう、前みたいに何も考えないで食べる事は出来ないかもしれないです」 「でも、ちゃんと食べていた。偉いね」 「レーゲンさんが、命を頂くから無駄にしないって言っていたので、残したら僕が殺されそうだなって」 「ははっ、確かに」  アルマは軽く笑いながらそう言うが、すぐに穏やかに微笑む。 「でも、怖くなったのは、コラルがちゃんと命を見た証だね。……でも、生き物は食べないと生きていけない。だから私達は、その命に感謝をして頂くんだ」 「はい」 「成長したね」 「……はい」  アルマはそっとコラルの頭に手を乗せて撫でる。否応なしに向き合わされた命の重さを、アルマの温かな手がそっと受け止めてくれた。張り詰めていた心がほどけた瞬間、コラルは堪えていた涙が静かに溢れ出し、小さな嗚咽だけが夜の静寂へと溶けていった。

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