逸漣 / 第3話

3. 自立

 気づくとわたしは、ぬいぐるみが沢山並んだ部屋でベッドに寝かされていた。手足を動かそうにも、びくともしない拘束具で固定されていた。 「大丈夫、もう終わったから」 「よく頑張ったわね、美樹」  先輩、何を言っているの?  差し出された鏡に映る顔は包帯に巻かれていて、何が何やらわからなかった。 「パパは美容外科医なの。手術室よりは不衛生だけど、この部屋で美樹に生まれ変わったのよ」  わたしは拘束具をガタガタと鳴らすぐらいしか動けないが、それでも外そうと必死に暴れた。 「無理よ、特別にあつらえたのだもの。美樹が怪我をしてしまうわ」 「何で……美樹さんは留学してるんでしょう?」 「嘘なの……十歳で交通事故にあってしまって……もう、いないの」  美紗先輩はわたしの肩を撫でて、 「でも、美樹は帰って来てくれたの!今日は美樹の誕生日だもの」  部屋の中にはご両親とお婆ちゃま、美紗先輩の歌声が響く。 「ハッピーバースデー、ディア美樹ちゃーん」  わたしはもう息も絶え絶えで、喉が張り付いたように声も出てこない。 「復活おめでとう、美樹」  ご両親が花束を持って、美樹の復活を祝ってくる。お父様の胸に顔を埋め、お母様は肩を震わせている。涙ごと受け止めて包み込む、美しい夫婦愛。そこに美紗先輩も寄り添って行った。  わたし以外が皆、感動的なシーン。  おかしい、みんなおかしいんだ!逃げないと!懸命に暴れるが手足が痛いばかりで、擦りむいて血が出てきた。 「ヨシヨシ、痛いね。消毒してあげるからね」  お母様はわたしの手を撫でて、  「お母さんね、元看護師なのよ」  フフフと微笑み、優しく手当てしてくれた。  患部がガーゼとネットで保護され、肘の内側に点滴を打たれる。  皆の心からの笑顔に取り囲まれ、わたしの心臓はどんどんと凍っていく。 「美樹。よぅ疲れたでしょう?お眠りなさいね」  お婆ちゃまが、わたしの頭を撫でる。  ──徐々に意識が混濁し、訳がわからぬまま、また眠りにつく。  ◆    目を覚ますと、窓からの光が少し眩しい。  身動きは取れないが、窓があるだけ少しはマシな気持ちだ。時計は止まっていて、時間は分からない。おそらく朝だと思う。   そしてここはきっと、十歳で亡くなった美樹の部屋。ぬいぐるみが沢山並んでこっちを見ている。  本棚がぐるりと壁を囲むように設えられていて、沢山の本が並んでいた。    わたしは美樹の顔になって、美樹として生きるのだろうか。この先拘束具は外して貰えるのだろうか。  先を案じるだけで、涙が止まらない。  それよりも顔全体が痛い。包帯に涙が染み込み、濡れて痛痒い気もする。  ドアがガチャリと開き、お母様が入ってきた。 「美樹、おはよう。おしも、綺麗にしようね」  下にオムツを敷き、履いていたオムツをずらす。尻を濡れガーゼで拭き取り、泡で洗い、またガーゼで拭く。  前も泡で洗い、濡れガーゼで拭き取った。汚れた紙おむつと手袋をまとめて、ゴミ袋へ入れた。  最後に下に敷いていたオムツを履かせて、テープを留める。 「よし」  そう言ってお母様は、テープを指先でひと撫でした。    尿道カテーテルが刺さっているようで、ベッドの横にかけられた袋の中身を、大きな紙コップに移し替え、それを捨てるために部屋を出て行った。   お母様の手際の良さに驚く。プロだわ、相手が悪い。逃げられない……そんな絶望的な気持ちになる。  お母様が再び部屋に入り、吊り下げた点滴の袋を新しいものに替えた。 「美樹、少しご飯も食べましょうね。美紗が食べさせに来てくれるわ」  点滴は痛み止め、それとも化膿止めだろうか。頭がふわふわする気がする。  お母様は「美樹……ありがとう。帰ってきてくれて」と言って腕や足を摩った。ついでに床ずれしていないかも確認する。優しい手の感触に気が狂いそうになる。  しばらくすると、美紗先輩がトレイを持ってやってきた。  ベッドの横の椅子に座る。  病院のように片足だけのテーブルがあり、そこにトレイを置くと、野菜のおひたしとお粥が見えた。 「美樹、あーん」  わたしが口を開けると、プラスチックのスプーンからお粥が口に運ばれてくる。  ほとんど味のない、粒が良く砕けた粥だった。 「美味しい?私が作ったのよ」  茶碗を左手にもち、スプーンを口元へ持ってくる時、美紗先輩の首に猫のモチーフのネックレスが輝いた。 「これ、誕生日プレゼントでしょう?カバンの中、勝手に見ちゃった。ありがとう」  こくんと、首を縦に振る。 「美樹のはブルーの目の猫で、私のは赤い目の猫ね。美樹とお揃いって双子らしくていいよね」  また、美樹……わたしは目の前が暗い霧で覆われて何も見えなくなる。   「美紗先輩、帰りたいです。おばあちゃんも心配してるはず」 「先輩じゃない!美紗、でしょ!」   スプーンをわたしに投げつけ、トレイに茶碗を強く置き、粥がこぼれた。 「ねえ、美樹。誕生日会のこと、誰かに言った?」 「おばあちゃんに……友達の家に遊びに行くって……」 「それ、私だって言った?」  わたしは首を横に振る。   「そう、じゃあいいわ……これからは私もいるし、パパもママもおばあちゃんもいるわ。楽しく暮らしていきましょうね」  美紗先輩は封筒をポケットから出した。 「コレ……誰にも言ってない?見せたりしてない?」  もう一度頷くと、美紗先輩はにっこりと微笑み、クシャッと握りつぶしてポケットに戻した。  白に金の飾り罫が美紗先輩によく似合うなって思ったあの封筒……嬉しかった招待状が、今は残酷なゴミになった。    わたしの頭を撫でると、美紗先輩はトレイを下げて出ていってしまった。  お腹が満たされていなかったが、点滴で朦朧としてそのままウトウトとしてくる。  夕方にお婆ちゃまが来て、昔の話をする。 「美樹はピアノが大好きでね、歌を歌いながら弾いてくれてたの。エーデルワイス覚えてる?」  毎日聞いていると、美樹がどういう性格の子だったのか、家族の人となりが見えてきた。  本当にわたしを美樹だと信じて話しているのか、お婆ちゃまはわたしに『美樹として生きるのが賢明だよ』と教えてくれているのか、薬でぼんやりとしたわたしの頭ではわからなかった。     夜になると、お父様が回診にやって来る。  包帯をとり消毒しながら、何か経過をお母様に伝える。それをお母様はカルテに書き込んだ。  お父様はわたしの頬をそっと撫で、 「美樹、愛しているよ。大丈夫、もう少しで傷も綺麗になるよ」  と言って、お母様と部屋を出て行った。  これが何度繰り返されたのか、わからなくなってきた。    点滴の薬が全身に回り、わたしはまた眠りに落ちた。  ◆     何週間が過ぎたのだろう。  お父様がわたしの包帯を外し、銀の手鏡を見せてくれた。まだ腫れてはいるが、別人の顔になっていた。もう少しで美紗先輩と同じ顔になるのだろうか。  いつも意識が朦朧としているので、手枷と足枷が外され、ベッドから起きられるようになった。しかし手足の筋肉が落ちて、足が滑ると止められず、倒れてしまった。 「美樹、まだ無理よ」  美紗先輩がわたしを支え、ベッドに座らせる。一人で座り続けることも出来ないので、美紗先輩もベッドに座り、支えてくれる。 「美樹、もう少しだね。嬉しいな」  美紗先輩は、とびきりの笑顔でわたしの肩に頭を添えた。 「私ね、美樹といる時が一番好きなの。可愛い双子ねっていつも褒められてきたの」  先輩が無邪気に声を上げて笑う。  しかしもう、前のように素直にときめくことはできなかった。  彼女の笑顔は美しかった。恐ろしいほど冷たい美貌。目の奥が氷のように澄んでいて、感情がないみたいだった。  点滴のスタンドにつかまり、部屋の中を歩く練習をする。美紗先輩が寄り添って励ましてくれる。    そんな日が二、三日続くと、点滴のスタンドさえあれば、一人で歩けるようになり、部屋の簡易トイレに自分で行けるようになったのでカテーテルを外して貰えた。  普通のトイレに行きたいが、また拘束されたくはない。体力、筋力をつけて脱出しなくてはならない。    朝と夜はお父様の回診があり、お母様は一時間ごとに見に来てくれた。その時、部屋の鍵は外れたままになる。  脱出を試みるなら、美紗先輩がわたしと話している時間、またはお婆ちゃまのお話の時間が望ましいだろう。  しかしまだ、この家を抜け出すだけの体力がない。何日拘束されたまま寝たきりだったのだろうか、手足がとても細い。  顔の傷が落ち着いたからか、部屋に大きな鏡が置かれた。日が落ちるまではわたしは、顔がわたしのものでなく「美樹」の顔になっていることを思い知らされ続ける。  記憶が上書きされ、元の顔を思い出せなくなってきていた。鏡の奥で、わたしは水に溶ける角砂糖のように、静かに魂の輪郭が薄れていく。

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