逸漣 / 第4話

4. お揃いのネックレス

 部屋にはいくつもの監視カメラがあり、本棚の上のぬいぐるみの中に二つ、天井に黒い半球が四つ。多分ベッドの下にも。  誰にも気づかれずにトレーニングするのは難しい。  ベッドに入り、仰向けで寝ている振りをして、足を少しあげていたり、部屋の中をウロウロ歩きながら本を読んだりしている。  点滴も外れたのに、いつも頭が霧の中にいるようで、本の内容はあまり理解できていない。    今日はドアの辺りで、すごい轟音がする。何か工事をしているようだ。嫌な予感がする。やめて!やめて!これ以上、わたしを絶望させないで!  ドアが開き、美紗先輩が入ってきた。  彼女の後ろ──扉の向こうに、さらに扉が取り付けられていた。二重扉になったのだ。  冷たい金属を当てたような痛みで心臓が縮んだ。    逃げられない──  それだけは、朦朧とした意識の中でも理解できてしまった。 「美樹、ご飯食べようね」  サイドテーブルにトレイを静かに置く。食べ終わるまで、先輩は笑顔でわたしが食事している顔を見つめている。食べ物を捨てたりしないように。そして彼女は一緒に食事をすることはない。きっと料理をすり替えられないように。  あまりに全てが完璧すぎて、また絶望感に打ちひしがれる。  心が何度も強く叩きつけられて砕けてくると、この状態で最善なのは『美樹として生きる事』なのではないかと思えてくる。  食後、ウトウトとしていると、美紗先輩はわたしの歯を磨き、洗面器に濯いだ水を吐かせる。  そしていつもはない『茶色の消毒薬』でうがいをさせられた。  そして美紗先輩もうがいを済ませると、わたしをベッドに押し倒し、キスをしてきた。 「千秋、私の事好きだったでしょ?美樹として生きたら毎日一緒に居られるわよ」  思考力は鈍り、力も入らないわたしの身体を、美紗先輩は柔らかく包み込んでいく。  甘く優しく……愛されていると感じてしまうこの行為は、わたしの心を粉々にするには最高の手段だったようだ。  わたしは大声で泣きながら、美紗先輩の素肌の温もりに小さな悦びを覚えていた。    悦びと、これは恋ではないと気づいた悲しみがない交ぜになり、わたしは泣き叫んだ。   わたしのファーストキスは消毒薬の味がした。初恋は握りつぶされた薔薇の花びらのように無惨に散っていった。  しかしその花びらの残骸には、ほんのりと温もりだけが残った。  ──これからは「美紗」と呼ぶと決めた。  わたしの首に猫のモチーフのネックレスを美紗がつけてくれた。  わたしの身体にまたがる美紗の胸元にもルビーの目の猫が揺れている。 「美樹になってくれるなら、千秋になる時間を少しずつあげる。だからお願い……パパとママとおばあちゃんを悲しませないで」  毎日、食後は美紗との「触れ合いの時間」になった。  その間だけは、美紗はわたしを『千秋』と呼ぶ。  そして「お願い、パパ達を助けてあげて。そうじゃないと、千秋が……殺されちゃうかもしれない」と頭を垂れるのだった。  美紗は、ご両親とお婆ちゃまを愛している。そのためのこの行為がどれだけ残酷なことなのか、わかっているのだろうか。

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