アカトキ / 第15話

拾伍話目:ホオズキ

渡会…視点主。大抵の事は許せる度量の持ち主。 里中…渡会の後輩。世渡り上手の苦労人。 墨岡…美人画を中心に活躍する絵師。変な性癖持ち。 ホオズキ(鬼灯)…ナス科ホオズキ属の一年草、または多年草。別名はカガチ、ヌカヅキ等。草丈は1mに満たず、淡黄色の花が開花する。が、有名なのはその後の袋状の果実の方であると思われる。開花と果実の時期である6~9月頃に全国で「ほおずき市」が開かれる。盆の時期には鬼灯を提灯に模して飾る地域もあり、観賞用として多く愛されているものの本植物は薬にも毒にもなる物である。花言葉は誤魔化し、浮気、私を誘って、心の平安等。
 長月《ながつき》の下旬。少しだけ、常よりやや暑い日。  後輩の里中と共だって、見慣れぬ土地を歩いていた。彼の勤める出版|書肆《しょし》より更に二駅程遠い町である。  此の辺りは金銭に余裕が有る者達が住まう地域であり、自然と建物も質が良い物ばかりが建ち並ぶ。こうして歩くだけでも興味深い。 「…先輩、本当に往くんですか? 僕ぁお勧めしませんよぉ」 「何だ、往くよ。約束したろうに、破る方が不躾じゃないか」  隣の里中は合流してからずっと及び腰である。案内し乍《なが》らもずっと此の態度で、何なら先日の約束の際も厭そうにしていた。  彼が此処まで苦手とする人物なぞ会った事が無い。此奴は性格上、仕事でそんな選り好みをしない筈なのだが。 「やれお前さん、そんなにあの御仁が苦手なのかい? 私から見たら、至って優しそうな方だったが」 「や、一応担当なんであしらい方は承知してますけどね。でも、人に大手を振って紹介出来る方かと言われると…ちょいと、其の、趣味が倒錯的《とうさくてき》すぎるんですわ。あ、先輩其処を右です」  倒錯的ねぇ、と私は里中の科白《せりふ》を繰り返す。  仔細は知らないが、彼が不承不承で面会を許す程度なので其処まででは無い気がする。何だかんだ此の男は妙に世話焼きなので、私に利が無い相手は紹介して来ないのだ。二十代をとうに過ぎた相手に対する態度としては、少々不適切だが。  今から会いに行く御仁は、里中が担当をしている画家であるらしい。曰く美人画を得手としており、新聞や雑誌で彼方此方引っ張り蛸だと言う。 「まぁ構やしないさ。お前が着いてくるなら、もし相手が遣り過ぎても窘《たしな》めてくれるだろう? でも、変わった人だよなぁ。態々私なんぞを素描してみたいとは」 「あの方誰であれ気に入った相手を描きたがるんです、其処が問題なんですけど。其の心算ですよ、先輩を被害に遭わせたら四方から大目玉なんで…」  里中はもしもの未来を憂えて身を震わせている。…そも私が多少痛い目に遭ったとて、嘆く相手は早々居ない様な。  ――…件の人物との出会いは、数日前に遡る。  其の日は、里中に出来上がった原稿を渡して家でのんびりしていた。  ジローも不在でさて一人で昼寝でも決め込もうかと思っていたのだが、私室に戻って気付く。翻訳を終えた原稿用紙が三枚、文机に置きっぱなしになっていたのだ。  流石に頁が抜けた原稿を其の儘にしてはいけないので、彼を追い掛ける形で里中の職場へ渡しに行った。郵送でも良いのだろうが、依頼で食っていくしかない身である以上信用は行動に基づく物だ。唯でさえ、翻訳業なぞ仕事も実入りも少ないのである。  出版書肆に到着すると、里中は既に他の御仁との対応に追われていた。忙しい身の上だ。  こんな出来る男が私の担当をしている事に、毎度密かに驚いている。実績に與《あたう》るかすら怪しいのではないだろうか。 「嗚呼、渡会先生ですね。御世話になっております」 「如何《どう》も今日《こんにち》は。実はですね――」  そうなのですね渡しておきましょうか、と受付に言われたが丁寧に固辞し待つ事にする。一応里中にも謝罪せねばなるまい。  暫く来賓用の椅子に座ってぼうっとしていたのだが、対面に人が座ったので我に返った。 「やぁ、どうも。今日はちと暑いですね」 「はぁ、どうも…嗚呼、失礼。此れから使われますか?」  てっきり此処を打ち合わせの場にするのかと思ったが、慌てて中腰になった処を手で制された。 「いえ違います違います。私も人を待っているだけですよ、会えたら去ります故お気になさらず」 「そ、そうなのですか」  ほっと息を吐き、尻を下ろして対面に座る相手を観察する。  四十を半ば過ぎた辺りの、紳士然とした風貌の男性である。毛髪は白髪交じりだが丁寧に撫で付けられており、質の良い大島紬《おおしまつむぎ》の袷《あわせ》と紗《しゃ》の羽織、そして絹の山高帽《やまたかぼう》と洒脱《しゃだつ》な格好をしていた。髭もこざっぱりと剃り落としているが、少しだけ目元に隈が有る。  其の陰がまた妙な色気を放っていた。  …何と言うか、非常に世の異性から人気が出そうな容姿であった。  ジョンの様な天性の美貌とはまた違う、人好きのする外見である。  目の前の人物は柔和な笑みを浮かべ、膝に置いた山高帽をやんわりと撫でていた。 「余りお見掛けしない方と存じますが…もしや小説家志望か、此方への求職願いですかな?」  紳士にそう問われ、頭を振る。確かに薄い封筒一枚持った私の姿はそう捉えられなくもない。  何なら急ぎで来た故に身形を其処まで整えていなかったので、端から見たら貧乏三文文士そのものだろう。いや、実際懐は何時も寒々しいが。 「嗚呼いえ、私は翻訳を手職としておりまして。滅多に他の先生とは会わないのです。もしや、貴方は著名な御仁なのでは…浅薄《せんぱく》故に失礼を働いていやしませんかね?」  心配になってそう尋ね返すと、紳士は目を丸くして頭を下げた。 「此れは失礼をば! いやはや勘違いが過ぎました、貴方も先生なのですね。…いえいえ、私も其処まで売れてはいません。本分は、文字ではなく絵ですがね」 「ははぁ、絵を…。申し訳無い、其方も余り詳しくなくて」  翻訳を生業としているので古書や外国の本はよく読むが、近代の書籍はさっぱりである。 「畑が違う以上致し方有りませんよ。嗚呼申し遅れました、私は墨岡《すみおか》と言う者です」  紳士は墨岡と言う苗字らしい。此方も名乗ると彼は目を丸くした。 「おやもしや…」  おっと、覚えが有るのだろうか。しかしこんな印象的な人物に会ったら、いかな私とて記憶している筈だ。 「何処かでお会いしましたかね?」 「いえ、初対面で間違いは無いかと。…処で渡会さん、私はですね」  墨岡先生はふと身を乗り出した。何とも秘密の相談事をして来そうな雰囲気であり、つい私も倣って身を乗り出す。 「美人画を主とする絵描きでして、色んな方のスケッチ――素描《そびょう》をさせて頂くのが趣味なのですが」 「はぁ、何とも勉強熱心な…凄いですね」  察しの悪さは自他共に認めるぐらいなので、此れだけだと何を言わんとしているかはまだ判らない。 「町中を歩く方にも、よくお声を掛けさせて頂いているんです。無論お礼はする前提で、只《ただ》ほど高い物は有りませんから…で、貴方です!」 「は、はい」  紳士が居住まいを正したので何故か私も背筋を伸ばして仕舞う。 「此処でぼんやりしていらっしゃった貴方を一目見て、ぴんと来たのです。是非、是非貴方も描かせて頂けませんかね?」 「は。わ、私ですか?」  ええそうです、と対面の相手はにこにこしている。こんな事を頼まれるのは人生初である。 「謝礼は致しますよ。お幾らが良いですかね?」 「ちょ、ちょっとお待ちを。其の、生まれて此の方、一度も素描の相手に選ばれた事が無いので、作法等もとんと…」  とんとん拍子に話が進み掛けていたので慌てて止めた。  謝礼が伴うとなると話が変わってくる。此の墨岡先生は、恐らく私とは住む世界が違う御仁である。身に着けた服の質からして明らかであった。  そう言った方とお近付きになるのは滅多にない機会なのだが、私はそも売れたくて文字をえっちらおっちら書いている訳では無い。翻訳ぐらいしか取り柄が無いから、翻訳業をしているのである。出世云々なぞ考えてすらいない。金は有れば嬉しいが、施しを受けて良くない方に転ぶ事も有る。  寧ろ何かしら失礼を働いて、職を追われる方が困るのだ。根っからの小心者であるからして。 「作法なんて特には有りませんよ。そうですねえ、此方の指定する体勢をして頂いて、其れを私が描かせて貰うだけです。嗚呼でも、困ったな…今描ける物が――」  如何にも説得出来そうに無い。既に御自分の世界に入って仕舞われている。  困り切って固まっていたのだが、其処に鶴の一声が響いた。 「あーッ、せんぱ…わ、渡会先生珍しいですね! 何か御用事ですか?!」  私と紳士の間に、見慣れた顔が割って入った。里中である。  普段とは違う呼ばれ方に違和感が有れど、救いの手に安堵する。先生なぞ巫山戯《ふざけ》ていても呼ばれた事が無い。 「お、おぉ里中。其の、済まない、実は渡した原稿が三枚抜けてしまっていて…」 「成程ぉ、態々《わざわざ》申し訳有りません…。で、ええと墨岡先生も僕に用が有るんですよね?!」  何故か妙に勢いが良い。しかし対面の墨岡先生は何処吹く風であった。 「うん。次の雑誌に掲載する絵の下描きを確認して欲しくてね。話は変わるが里中君、此方の御仁は君の言っていた―」 「あぁあ、そ、そうですねえ。はい、僕の学生時代の先輩です!」  慌てて首肯する里中を、紳士は面白そうに観察している。私は私で何でこうも焦っているのか判らず、二人の顔を交互に見詰めるしかない。 「それでね、先程渡会さんを是非素描させて欲しいと頼んで」 「いやいやいやいや?! 駄目ですよ、此の方一応大事なうちの先生なんですから!」  一応とは何だ。  恐る恐る里中の味方に入る。 「其の、生憎ずぶの素人なので、失礼をし兼ねないかと…」 「本当に難しい事はして貰わないよ。…そうだなぁ、謝礼は飯の方が好みですかね。肉鍋とか如何です?」  肉鍋とな。途端にむくりとやる気が湧いて来る。久しく牛肉は食べていない。  趨勢《すうせい》が傾きかけている事に気付いた里中が益々慌てる。 「あ、ちょっと食い物で釣らないで下さいよ。此の人飯に弱いんですって!」 「ふふ、とても美味い店を知っているとも。何なら里中君も私の監督役として同行したら如何だい、君が居るなら良いんじゃないかね?」 「は。う、うぅぅん…」  里中まで揺らいでいる。此れはもう劣勢である。  真ん中に居た私の後輩は机を睨んで暫く唸っていたものの、やがて覚悟を決めた顔をして対面の紳士を見た。 「…本当に、遣り過ぎないで下さいよ? あと鍋は僕も行きますからね、其れぐらいじゃないと割に合いません」 「委細《いさい》承知だ。其れでは…――」  そんなこんなであれよあれよと日取りが決まり、今に至る。  曰く三軒先が墨岡先生の邸宅らしい。矢張り住む世界が違う御仁であった様だ。 「なぁ、里中」 「はい何でしょう」  横を浮かない顔で歩く里中に声を掛ける。 「先日の遣り取りを思い出したんだが、お前さんはあの方に何と言って私を紹介したんだ?」 「なんっ…えぇとですねぇ…」    物凄く目が泳いでいる。此処まで動揺している里中は久しく見ていない。 「何だ言いたくないのか。まぁ私をけちょんけちょんに紹介していても一向に構わんが」 「し、してませんよぉ。…いえね、以前僕も素描の相手になった事がありまして。其の時の委細巨細《いざこざ》でげろっちまっただけです」  妙な解答である。  しかし此れ以上仔細は喋る気がないらしい。仕方が無いので話題を変えてやる。 「其れで、墨岡先生の困った倒錯的な趣味とはどんな物なのだ。お前が辟易するなぞ余っ程じゃないか?」 「何と言いますか…。ほら、大抵の所帯を持たない先生方って、大きく二分されるでしょう。遊び人かそうじゃないか、判りますかね?」  判らいでもない。  私は万年懐の寒い小市民故に後者である。身持ちが堅いと言うかそうなるしかないのだ。金を借りてまで遊ぶ度胸も無い。 「そんでまぁ。墨岡先生ははら、見た目からして…持てるんですよ。其の、凄く」 「そうだろうなぁ。…と言う事は、独身でいらっしゃるのか」  里中は首肯すると大きく溜め息を吐いた。 「何分刺激を望まれる性格なので、遊び人では在りまして。其れは良いんですよ。問題はですね、彼の御仁が一番|性的倒錯《フェチズム》を受ける物が…――き、緊縛《きんばく》なんで」 「きん…ばく?」  頭に漢字が浮かばず首を傾げていたが、かたぁく縛る方ですと言われ漸く合点がいった。  緊縛。そうかぁ…。  江戸から今日に至るまで、ある浮世絵の様式が流行っている。無惨絵《むざんえ》である。芝居の殺しの現場等を描く事が多いのだが、幾つかの絵は相手を縛って宙吊りにした状態で描かれている。  其の様式に影響されてなのか、ある種の加虐的或いは彼虐的な趣味を持つ方々の中で流行っているのが緊縛であるらしい。らしいぐらいしか知らない。湯屋でちらと聞いた程度だ。  殴る蹴るよりは遥かに物騒では無いのだが、変わった趣味だとは思う。 「き、緊縛かぁ。因みにだが、其れはあれか、される方かされたい方かどっちなんだ?」 「した姿を描くのが大層好みなんだそうで…。此れで何人の方と揉め事を起こしたやら」  成る程変わり者である。里中が苦心しているのも頷ける。  …待てよ? 「お前さん、もしや縛られた事が…」 「……先輩も多分頼まれますよ」  回答は無かったが確信的な返事が来た。そうかぁ。  素描の相手として限り無く手を尽くす心構えはしているが、縛られる可能性が有るのは予想外である。 「まぁ良いか。余り痛くしないで貰えれば…」 「ほらぁ、そう言うと思ってたから断りたかったんですよぉ。…全くもう、先輩はちと懐が広すぎます」 「引き受けた物はやるしかなかろうよ…嗚呼其処か?」  ぶつくさ文句を呟く里中に苦笑していると、やっと件の邸宅に到着した。屋根は瓦だが、壁や柱は欧州に見られる建築の其れである。此れは確か、擬洋風建築《ぎようふうけんちく》なる様式だったか。  里中が咳払いを一つして、扉を叩く。すると直ぐに返事が有って、中から墨岡先生がやって来た。  外で見た時とは違い、よれたシャツにズボンと言う格好である。髪は撫で付けておらずややぼさぼさとしていた。 「やぁやぁ、お待ちしておりました。態々御足労頂き感謝します」  もう既に浮足立っていらっしゃった。ささ、入って入ってと招き入れられ恐縮しつつもお邪魔する。  玄関に近しい幾つかの部屋は、土足で良いらしい。 「唯ねえ、寝食をする場所は矢張り畳が良くてね。其方は入口に三和土《たたき》を造って貰ったんだ。嗚呼、私の仕事部屋は手前に在るよ」  案内された先は木造の床を備えた部屋だった。窓際には大きく柔らかそうな革張りの長椅子…此れはカウチと呼ばれている――と、真ん中には一人用の丸椅子と小さな作業台が置かれていた。作業台の上には紙束が此れでもかと積まれている。恐らく、彼が以前描き溜めた素描画達なのだろう。 「あの、墨岡先生」 「おいおい、私を先生と呼ぶのは可笑しくないかい? 気軽に…――済まない、下の名前を告げていなかったね。私は墨岡|灯月《とうげつ》と名乗っているんだ、本名は月次郎《つきじろう》なのだがね」 「お名前で呼ぶのは恐れ多いですよ…」  流石に年嵩《としかさ》の相手を名前では呼べぬ。苦笑しつつ墨岡さんと訂正した。 「えーと、其の、私は如何すれば良いでしょうか? 何かこうすべきとか有れば…」 「そうだなぁ…ふむ」  彼は腕を組むと上から下まで私をじろじろと眺めた。居た堪れない気持ちになったが我慢する。横の里中も何故か私をしげしげと観ていた。  成る丈家にある中で上等の物を着ては来たが、そも高級品なぞ所持しては居ない。精々|沁《し》みや解《ほつ》れが無いだけである。 「じゃあ、其処のカウチに腰掛けて貰おうかな。其れで、外を眺めて呉れるかい?」  墨岡先生の指示に従い、恐る恐るカウチに腰掛ける。体を横にずらし、背凭《せもた》れに右肘を付いて窓の外を見た。行き場の無い左手は膝小僧に添える。 「…うん、良いね。じゃあ、暫く動かないで欲しいけど、出来るかい」 「ど、努力します」  辛うじて視線で墨岡先生を確認すると、彼は既に手元に紙を置いて鉛筆でさらさらと描き始めていた。其の横で腕を組んだ里中が此方を観ている。まぁ観るものが無いのだから仕方ないのだが、其れは其れで気になる。しかし文句を言ったら身体が動きそうなので沈黙を貫いた。  二人の視線が己に突き刺さるのを感じつつ、顎を引いたりせぬ様に努める。  が、普段はぼうとするだけで動かないなぞ簡単に熟《こな》せる筈なのに、こう意識すると難しい。何処も彼処も妙に力が入り、不自然に震える。 「――ふふ、もう少し力を抜いて大丈夫だよ。ほら、窓の外の景色でも眺めておくんだ」 「も、申し訳ありません」  苦笑混じりの科白が聴こえ、途端に少し恥ずかしくなった。緊張し過ぎて窓の外を眺める余裕すら無かったのである。  一つ深呼吸をして、言われた通りに窓の外を見る。  深緑茂る生垣の傍《かたわ》らに、やや萎れたホオズキが軒を連ねていた。時節的にそろそろ鬼灯は終わりの頃合である。  橙《だいだい》の薄皮が剥けて来ている物も有り、薄紗《うすしゃ》の如き繊維に包まれた深紅《しんく》の実が覗いていた。毒々しい色合いだが、宝石の如く美しい。 「…ホオズキ、綺麗ですね」 「――ん? …嗚呼、ホオズキかね。色と形が好きでね、家でも育てているんだ…絵の題材にも好く使っているよ」  私の独り言に、墨岡先生が上の空で返事をする。  確かに絵にはなるだろう、ホオズキは観賞用に多く栽培されている。盆には提灯として飾る事も有るし、ほおずき市と言う名の付いた縁日も開かれている。此の日本と言う国に深く根付いた植物なのだ。薬にだって成ると聞く。  そんな事をつらつらと考えていたら、何時の間にやら自然体になっていた。常の如く上の空にも成れ、墨岡先生の操る鉛筆の音だけが耳に残る。  と、上手い事ぼんやりとしていたがある光景が目に入った。  ふと視界の隅っこに、鮮やかな紅色が映り込む。はてと不思議に思ったが、小袖《こそで》の色である事に気付く。続けて小袖の持ち主がひょっこりと顔を覗かせた。  五歳程の女童《めわらわ》である。御河童頭《おかっぱあたま》で目はくりくりと愛らしい。きょとんと此方を見ながら首を傾げている。  一瞬同じ様に首を傾げかけ、慌てて我慢した。動いてはならないのだ。視線だけで女童を追う。  繁々と此方を観察していた彼女は、やがて飽きたのかホオズキの近くをぴょんぴょんと跳ね始めた。実の入った袋を一つ一つ確かめて、其の度にうんうんと首肯している。はて娘さんかと思ったが、抑々《そもそも》家主が男寡《おとこやもめ》である事を思い出した。では此の女童は誰なのだろう。近所の子か親戚とかだろうか。  やがて彼女は一つの袋を指で千切ると、再び私を見てにっこり笑い窓枠の外へと駆けて行って仕舞った。 「…うん、うん。良いかな、有難う渡会君。こっちを向いても構わないよ」  暫し呆然としていたが、墨岡先生の声で我に返る。 「暑いですか? 少しぼうっとしてましたけど」  気付けば里中が近くに来ていた。はいお水ですよと渡され、素直に飲む。緊張で喉は乾いていた。 「あぁ、有難う。いや、暑くは無い…かな」 「――嗚呼、良いね。君は上の空になるととても趣深い雰囲気に成る…他の表情も欲しいな。もう何枚か描いても?」  頼まれた上に報酬も有るので、出来る限りはする心積もりである。肉鍋が待っているのだ。  何枚か別の角度で素描をした後。妙に墨岡先生がそわそわし出した。  …ははぁ、此れは頼まれそうである。嫌な予感はする。  ただ、何故か彼は己の横に立つ里中に顔を向けた。 「なぁ、里中君。此れは、《《しても》》良いのかね?」 「えっ。何で僕に訊くんですか」  ぎょっとした表情の後輩に、何故か妙に意地の悪い笑みを浮かべている。 「喋りはしたんだろう、私の悪癖については。本当に良いのかね」 「よ…いや、でも覚悟は決めて頂いてるんで。あの…ええい、せん…渡会先生!」  また聞き慣れぬ呼び方をされたので吃驚《びっくり》する。 「な、何だい」 「其の、話しましたよね。えーと、何と言いますか、此の御仁の、困った悪癖を…」 「まぁ…聞いたよ。聞きましたけど…私をそうしても、大して面白味が無いのでは?」  そう尋ねると墨岡先生は頭《かぶり》を振った。困った顔で頬を掻いている。如何説明をするべきか考えているのだろう。 「誰が似合うとかでは無くてね。私は無残絵や枕絵《まくらえ》も手掛けているのだが…縛ると言う行為は、此の系統の絵に深い関係が有る。老若男女誰であれ、縛られると言う状況は非日常的だろう?」 「はぁ…確かに」  生まれて此の方縛られた事なぞ無い。お縄に着いたりも強盗も遭遇していないので、未知の経験だ。 「想像の埒外《らちがい》の事柄だからこそ、実際に縛らせて貰ってその表情や体勢、縄の痕を観察して描きたいのさ。…で、物は相談だが。少しの間縛らせて貰えないかね?」 「は、はい。唯、余りきつくしないで頂ければ…」  元より協力する心積もりではある。  承諾を貰った墨岡先生は、途端に機嫌良さそうになった。  「本当かね! いやぁ有難い、大体の相手は頼むと嫌がって仕舞うんだ。此間《こないだ》知り合った|妓女に《ぎじょ》も頼んでみたんだが、けんもほろろでねぇ」  其れはそうである。素直に喜ぶ相手は特異な性的倒錯持ちぐらいだ。 「嗚呼そうだ。折角だし、痕が残らない程度に里中君に縛って貰おうか? 知り合いならまだ安心だろう」 「ちょっと何言ってるんですか」  私が承諾した辺りで俄かに落ち着かなくなった里中は、更に墨岡先生の科白で目をひん剥いている。  里中が、私を?  本人が厭がるなら、描きたい当人に縛って貰う方が良いのだが…。 「えぇ…? う、うぅううん…」  激しく葛藤している姿に同情して仕舞う。此れも癖の強い作家陣を担当している宿命なのか。仕事が出来る男である以上、一癖も二癖も有る御仁を相手にせねばならぬ苦労は並大抵の物では無い。 「さ、里中。あれだぞ、日頃の恨みとか有るなら、別に構いはしないが…厭なら墨岡さんに」 「嗚呼もう遣りますよ遣ります。…墨岡先生、後日仕事をしこたま持ってくるんで、本当に覚悟して下さいね!」  怒ってるのか困ってるのか複雑な表情の里中がそう宣言すると、犯人は悪童の如き笑みを浮かべた。 「ははは。良いとも、弥太郎《やたろう》君は矢張り面白いなぁ。…じゃあ手数だが、宜しく頼む」  作業台の下から取り出された麻縄を渡され、里中は盛大に溜め息を吐いている。可哀想であるが致し方無い。  重々しい足取りで近付いて来た彼は麻縄を手にぴんと巻き付け、私の傍らにしゃがんだ。 「里中済まん。肉鍋の為だと思って呉れ」 「肉鍋は正直如何でも良いんですよ…じゃあ、ちょいと背中を向けて下さい。そう、そんで両腕を後ろに回して貰えますか」  カウチに片膝を付け、背中を言う通りに向ける。麻縄らしき物が手首に二三度巻き付いて喰い込む感触。次いで、少し其れが緩んだ。更に指を隙間に入れてはまた絞める。  彼《あ》れや此れやと四苦八苦しているのが窺えた。痕が残らぬ様に調整して呉れているのだろう。  私も気になり首を精一杯曲げて確認しようとしてみたが、全然視えない。視界に入るのは里中の旋毛《つむじ》だけであった。 「嗚呼其処は違うよ。そうそう、そう回すんだ。はは、巧《うま》いじゃないか」 「当たり前ですが素人なんですって。いやぁ褒められても此ればかりは嬉しくないな…」  人を縛るのが巧いと褒められても、そりゃあ嬉しくは無い。  何時の間にか墨岡先生も近くに来ていた。が、里中が縛り終えたのを見届けると満足そうに作業台に戻って行く。  背後の腕が如何なってるのか判らないが、締め付けは緩くとも多少力を入れた処で解けない構造になっていた。当人は心中複雑だろうが成程巧い。  もう一つ溜め息を残して同じく戻って行く後輩を見送り、作業台の主に問い掛ける。 「えぇと、体勢は如何致しましょう」 「そうさなぁ…縛られた部位を描きたいんだ。背中を向けた状態で、楽な姿勢で居て呉れれば良いよ」  さて其れは其れで難しい。暫くもたもたとしていたが、膝を片足だけカウチに乗せ背凭れに身体を預けるのが楽な事に気付く。乗せた片脚の下駄は脱いだ。  カウチの表面しか視界に入らないが、此れならば疲れはすまい。 「嗚呼、うん。良いね、じゃあ少しだけ辛抱していて呉れ」  弾む声が聴こえたかと思うと、直ぐに鉛筆を滑らせる音がする。先程より筆が乗っているらしい。好ましい物は、矢張り描いてて愉しいのだろうか。  私も原本を読んで面白かった作品は筆の進みが早くなるので、同じ心持ちなのやも知れぬ。  …そして、実際に体験して判ったが、人間は動きを制限されると思っていたより心理的な圧を受けやすいらしい。  後ろ手に縛られているだけなのだが、妙に不安が湧く。いや、害を及ぼす相手が此の場に居る筈が無いのは、知っているのだ。知ってはいるのだが、心が落ち着かない。  鉛筆の音だけが響く空間は穏やかなのに、じっとりと視線が絡み付く気配。気がしているだけなのだろうが、此れも縛られると言う特殊な条件下の所為か。心に余裕が無いのだ。  兎にも角にも、早く終わって欲しいのは確かであった。 「――うん、こんな物かな。有難う渡会君」  陽射しと緊張で少しばかり汗ばみ始めた頃に、漸く最後の素描が終わった。  何だかんだ達成感がある程度には疲れた。何故か私よりも疲弊した表情の里中に麻紐を解かれつつ、何事も無く終わって安堵する。 「やぁ、描いた描いた。久々に心が浮足立ったよ」 「ははは…其れは良かった」  苦笑しか漏れない。思っていたより大変だった。  解き終わり、反射的に手首を摩ったが殆ど痕は無い。痛くも無い。  里中が其れを見て、横で良かったと小さく呟いたのが聞こえた。 「因みになんだが、縛られてどんな気分だったかい?」 「うーん…余り、良いとは。…いや今後は御免被りたい体験でした」  此の際しっかり断るべきだとはっきり感想を述べると、墨岡先生はおや残念とお茶目に肩を竦めた。  時間は午《ひる》になりそうな頃合である。今日は雲も少ない秋晴れだ。 「さ、肉鍋屋に行こうか。ちょいと着替えて来るよ、此のままではいけないのでね」 「僕は水差しを片付けて来ますんで、休んでて下さい。ちと疲れたでしょう?」  其の言葉に甘える事にして、暫く休憩ついでにカウチで呆然とする。  館の奥の生活音を何もせぬ儘聴いていたのだが、ふと半開きの扉から人間の小さな手が覗いている事に気付いた。  最近見た覚えのある鮮やかな小袖も生えて、ひょっこりと御河童頭が隙間から登場する。あの女童だった。  庭で遊び飽きたのだろうか。戸惑いつつも、彼女を怯えさせぬ様挨拶をする。 「こ、今日は…」  にこにこと笑いつつぴょん、と飛び跳ね扉から全身を出す。からんころんと下駄を鳴らし、女童は私の目の前までやって来た。  そして、後ろ手に隠していた物を私に見せる。 「此れは…先程のホオズキかい?」  小さな掌に収まっていたのは、彼女が摘んでいたであろうホオズキだった。ずいと突き出され、思わず受け取る。  袋の表面は乾いていたが、皮は殆ど消えていない。中には深紅の実が眠っている事だろう。 「あ、有難う」  遊んで欲しいのかとも考えたが、女童は受け取ったのを確認すると、私の顔を覗き込み艶然《えんぜん》と微笑んだ。自然な動作で唇に手を伸ばされ、ついとなぞる様に触れられる。其の細く白い指先は、驚く程冷たかった。  幼い外見に不釣り合いな笑みと行為に、思わず息を呑んで固まる。  何かされるのかと身構えたが、其れより先に廊下から足音が聴こえて来た。どたばたとした歩幅は恐らく里中である。  其れを聞いた女童は私の唇からそっと手を離すと、からんころんと扉へと走っていった。  そして、此方にぱたぱたと小袖を振り里中と入れ違う様に出て行く。 「戻り――」  何かしゃべり掛けた彼は、外の廊下へ素早く視線を移すと硬直した。恐らく女童の行方を目で追っているのだろうが、やけに動かない。 「戻ったのか。墨岡さんは――…里中?」  不審に思って近付くと、震えている事に気付く。 「おい、大丈夫か…」  漸く私の方を向いた里中の顔色は、真っ青になっていた。  此奴は口調は軽いが礼節を弁えた男であり、良い塩梅で物怖じせず人と関係を築く。世渡りが非常に巧い後輩である。  が、唯一極端に苦手なのが此の世に居ない存在――…即ちお化けや怪談なのだ。以前顔馴染みの江ノ本と、十年振りに遭遇して引っ繰り返った事が有る。あれは自身が故人であるのを自覚している割に、さも当然と話し掛けたらしい旧友が悪いのだが。  そんな肝の小さい後輩の身体を慌てて支えてやると、心臓の辺りを押さえて何とか持ち直した。背中を摩ってやると深呼吸をする。 「あ、嗚呼はい、な、何とか…はい…」  そして気付く。彼が怖がると言う事はつまり…。 「やぁ、済まない。お待たせし…おや?」    丁度洒脱な格好に着替えた家主も戻って来て、固まる里中と支える私を不思議そうに見詰めていた。  「そいつは、確か座敷童子《ざしきわらし》だったかな? 尤も、私にはとんと視えないのだがね」  肉鍋屋に移動して、やや狭めの卓で頭を突き合せて肉を焼いている。早く出ましょうそうしましょう、と急く里中に引っ張られる形で案内されたのだ。  焼き上がるまでの待ち時間に件の女童の事を家主に訊いたら、あっさりそう返って来た。 「座敷童子ですか。初めて会いました」 「其の辺に精通している客人が正体を述べていたから、間違いはあるまい。…君達がちと羨ましいよ、私も一度会って話をしてみたいのだがね」 「視えなくて良いですって…やぁ、ちと不気味なんですよあの子。はぁ、最近は全く見掛けなかったのになぁ」  ぶつくさ言いながらも里中は甲斐甲斐しく肉を引っ繰り返している。行き慣れているのか、席に移動する際も全く迷っていなかった。  肉鍋とは、甘辛い出汁で牛肉と葱《ねぎ》を煮込む料理である。値段としては私にも何とか手が届く料理なのだが、如何せん良い肉を喰うならそこそこ値は張る。  近頃は肉鍋屋も増えて其処彼処《そこかしこ》の店が繁盛しているのだが、矢張り安い肉は美味くない。墨岡先生が紹介して呉れた店は、かなり質の良い物を仕入れていると言う。期待が高まる。 「はい、お待ち遠様です。こうなったらもう自棄《やけ》食いしますよ僕も。誰かさんの所為で、とても腹が空きましたからね!」  私達二人にも肉を取り分けると、早速里中は肉に齧《かぶ》り付いた。  うん美味い美味いと頷く後輩を見ながら、皿から沸き立つ湯気を嗅ぐ。馨《かぐわ》しい醤油出汁の香りが鼻腔に入り込んで、其れだけで涎が湧いた。 「では、有難く馳走になります」 「はは、たんとどうぞ。私はもう胃がきつくてね、酒の肴として頂くかな」  徳利《とっくり》から御猪口《おちょこ》に冷酒を注ぐ墨岡先生を後目に、艶々と自らの脂で輝いている牛肉を口に運ぶ。  噛み締めると、肉の旨味の中に微かな甘みが感じられた。脂も美味いとは恐れ入る。 「うーん、美味い…!」 「美味いですね、さぁどんどん行きましょう。はいもう一枚」  じっくり咀嚼する私と肉をわしわし頬張る里中を交互に見つつ、酒を啜って墨岡先生は愉快そうに笑っている。 「君達は物を美味そうに食うから、こう言う店に連れて行き甲斐があるねぇ。…ん、美味いな矢張り」 「あ、其処の店員さん。済みません、追加を…」  そんなこんなで絶品の肉鍋を腹一杯堪能し、墨岡先生とは店前で別れた。鱈腹《たらふく》食えたので私は幸せである。人の金で美味い肉を食える以上の幸甚《こうじん》は有るまい。 「では、また会う機会があれば」 「はい。今日は有り難う御座いました」 「お願いなので、素描とか以外で関わって下さいね本当に…」  まぁ私ももう一度縛られたくは無い。別の形でならば、また話したい方ではあるが。 「はっはっは。じゃあね」  担当の文句を聞き流し、彼は去って行った。  里中は此の後会社に戻るらしい。多忙である。こんなに忙しいのに態々時間を作って呉れたのかと、面倒見の良さにしみじみする。  折角なので、途中まで共に歩く事にした。どうせ道程は同じである。 「いや、面倒見とかじゃあ無いんですが…。あ、そう言えば、件《くだん》の座敷童子から何か貰ったんですっけ? …や、其の、な、何か、恐ろしい物なら、み、見るのはちょいと」  自分から言い出しておいて怖がっている。  怯えた子犬の如く震える姿に苦笑しつつ、懐からホオズキの袋を取り出した。私より体格が良い癖に、こう言う処は可愛らしい。未だに独身なのが不思議である。  ホオズキは多少潰れたがまだ形は残っていた。捨てるのも偲び無いので、持ってきたのだ。 「そんな恐ろしい物でもないよ。ほら、墨岡さんの庭に咲いていたホオズキさ」 「嗚呼咲いてますねぇ、あれは見事だと思いますよぉ。あの方はよくホオズキを作品に取り入れてますけど、非常に魅力的な絵を描かれるんですよね。全く、あの性癖さえ無ければなぁ…」  隣の里中が本日三回目の溜め息を吐いた時だった。 「おや、御二人。奇遇ですね」  聞き覚えの有る中性的な声がした。  はてと振り返ると、小柄な人物が立っている。 「や、白菖堂《はくしょうどう》さんじゃないですか」 「今日は。何か買い物ですか?」  骨董屋を営む、年齢不詳の御仁である。  彼は浅黄《あさぎ》の小袖を身に纏い、手桶を持っていた。  …いや、正確には《《彼》》か如何かは定かではない。菊人形の如き美貌を備うる此の人物は、年齢どころか性別すらも不詳なのだ。便宜の為に彼と仮定しているに過ぎない。 「行灯《あんどん》の油が切れそうなので、買い足しです。御二人は里中様の会社にでも――…渡会様」  にこやかに近付いて来た白菖堂は、私の掌に在る物体を一目見て真剣な表情に変わる。俄に私も気を引き締める。 「は、はい。何でしょうか」 「…掌のホオズキは、何方からの貰い物ですか?」 「墨岡先生宅の、座敷童子からです」  私が答えるより先に、里中が返事をした。墨岡先生を判るのかと疑問に思ったが、彼は其れを聞くと納得した風に首肯する。知り合いらしい。 「ははぁ成る程。あの子は浮気性の嫌いが有りますからね…」  暫く考える様に淡く色付いた唇に触れていたが、掌を開いた儘所在無げに立つ私に顔を向けた。 「…渡会様。不躾かもしれませんが、其れを頂けますか? 彼処の座敷童子は移り気で、ちょいちょい他所の御宅に遊びに行こうとする、悪癖が有るのです」 「はぁ、構いませんが…。其の子が外に出ると、何か拙いのですか?」  白菖堂は困った様に笑う。 「完全に引っ越さなければ良いのですけどね…。座敷童子は住む家に福を齎《もたら》す存在ですが、出ていった家を不幸にする二面性を持っています」  成る程。其れは宜しくない。 「あの御仁も私の御得意様ですし、貴方の家は恐らく座敷童子を歓迎しないでしょう。悪戯目的で遊びに行って、逆に気の強い住人から虐められかねません。…そうですね、特に白鷺《しろさぎ》辺りに」  其れも可哀想だ。  睡蓮鉢の白鷺は、河童を撃退する強者である。小さな童子なぞ軽くあしらいかねまい。 「後生が悪そうですね。お渡しした方が良いでしょうが…でも、白菖堂さんは大丈夫なのですか?」 「私は彼女から、既に一度ホオズキを貰ってますので。此れを辿ったとて見知った遊び場に行き着くだけです。心配には及びませんよ」  ならば良いか。  白菖堂の嫋《たお》やかな掌に、ホオズキを置く。彼は受け取ると、悠然《ゆうぜん》と微笑んで袖の中に仕舞った。 「はい、有り難う御座います。嗚呼、では替わりに此方をあげましょう」  懐から取り出された袋をごそごそと探っている。やがて出て来たのは真っ赤な飴玉だった。  物々交換の体なのか、此れは。  似ているでしょうと言われ、確かにと思う。ホオズキの中身にそっくりである。 「はい、里中様も食べますか? お疲れでしょう」 「や、僕は――いえ、やっぱり貰っときます」  里中は肉を食べたからか端《はた》から見たら元気にはなっていたが、白菖堂はお見通しだったらしい。それとも、彼も昔巻き込まれた口なのか。  ではと去っていく後ろ姿を里中と眺めつつ、貰った飴玉を口に含んだ。からころと舌で転がすと、何だか座敷童子の下駄の音を思い出す。 「やれやれ、此れで完全に一難去りましたかね。白菖堂さんに会えたのは、勿怪《もっけ》の幸いかも――…ん。とんでも無く甘いですねぇ、此れ」 「うん、甘いなぁ」  真っ赤な其れは、頬が落ちそうなぐらい甘かった。
墨岡先生登場回。そして里中君が可哀想な回です。可哀想ですね。可愛いです。

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