MIYA / 第5話

第5話 連れて帰る

 便利堂を閉める前、梶から電話がかかってきた。  「宗さんの犬やけどな。うちで昔飼うとった犬も、弱ってから急におらんようになったことがある」  透は机に広げていた地図から顔を上げた。  「見つかったんですか」  「納屋の下でな。死んどった。犬がみんなそうするとは言わんけど、人目につかんところへ入り込むことはあるんやろ」  電話の向こうで、湯呑みを置くような音がした。  「宗さんがあれだけ探して見つけられんかったなら、家の周りだけやなく、普段マルを連れて歩いとった方も見たらどうや」  「今から見つかりますかね」  「知らん。けど、あんたは探すんやろ」  「そのつもりです」  「ほな長袖着て行け。藪は蚊だらけや」  透は自分の腕を見た。今日だけで何か所も刺されている。  「もう遅いです」  「やろな」  梶は笑って電話を切った。  机には、宗一郎の家を中心にした町の地図がある。昨日までに歩いた道へ鉛筆で線を引き、透はまだ見ていない場所を拾っていった。  防風林、使われなくなった資材置き場、旧造船所の裏手。マルを軽トラに乗せて町を回っていたという話を思い出すと、家の近くだけに絞る理由はなかった。  胸の奥には宗一郎の言葉が残っている。期限まで、もう長くない。            ※  翌朝、千鶴が大きな紙を筒にして持ってきた。  「楓さんからです。地番が見えるやつ」  軽トラの荷台で広げると、普段使っている地図より細かく土地の境が記されていた。  「こっそり貰ったの?」  「違いますよ」  背後から声がして、透は振り向いた。役場の制服姿の楓が、飲みかけのペットボトルを持って立っている。  「閲覧できる資料です。写しの手数料も払ってもらいました」  「三百円でしたけどね」  千鶴が言う。  「三百円は三百円です」  楓は地図の端を押さえ、旧造船所の周辺を指した。  「この辺までは町が管理してます。奥は民有地が混じるので、勝手に入らないでください」  「わかった」  「透さんのそれ、あんまり信用してないです」  「何でだよ」  「昔からなので」  千鶴が横で笑ったが、楓は相手にせず時計を見た。  「私、戻ります。何か金属の札みたいなものがあったら、番号は残しておいてください。犬の|鑑札《かんさつ》なら台帳と照らせます」  「楓」  歩き出した背中へ声をかける。  「助かった」  楓は振り返らず、片手だけ上げた。  午前中は宗一郎の家から県道までを歩き直した。側溝、物置の裏、草に埋もれた空き地を順に見てから、昼過ぎには防風林へ入り、倒木の下や斜面のくぼみまで覗いた。  夏の林には風が入りにくい。汗で長袖が背中へ張りつき、|藪蚊《やぶか》が耳元を離れなかった。  千鶴は昼過ぎまで付き合ったが、乾物屋の配達があると言って自転車へ戻った。腕には虫除けを塗った跡の上から、いくつも赤い点ができている。  「何かあったら電話してくださいよ。あと、一人で崖下りないでください」  「下りない」  「楓さんにも同じこと言われてそう」  「言われてない」  「じゃあ今、あたしが先です」  何の勝負なのかわからないまま、千鶴は帰っていった。  透が防風林を抜けたところで、畑仕事をしていた老女に呼び止められた。  「宗さんとこの犬、探しとるんやって?」  「覚えてます?」  「覚えとるよ。宗さん、よう探し回っとった」  老女は鍬を土へ立てた。  「あの夏は町じゅう落ち着かんかったからな。みんな自分のことで手いっぱいで、宗さんに付き合う者もおらんかった」  透が続きを待つと、老女は何か言いかけたあとで鍬を引き抜いた。  「まあ、昔の話や」  「何があったんですか」  「犬を探しとるんやろ」  それだけ返して、老女は畝の向こうへ移った。  透は追わなかった。ここで聞き出そうとすれば、もっと口を閉ざすだろう。祖父ならどうしたかを考えても、たぶん同じところで止めた。  その日は夕方まで歩いたが、マルにつながるものは見つからなかった。  翌日、透は旧造船所の裏へ回った。  錆びたフェンスが途中で途切れ、その先は松の多い林になっている。楓から受け取った地図で町有地の範囲を確かめながら進むと、海側へ落ちる斜面の手前で小さな金属片が目に入った。  黒く変色しているが、穴の開いた札の形は残っている。  透は拾い上げず、その場にしゃがんで携帯電話で写真を撮った。表面の土を指先で少し払うと、数字らしい刻印も読めた。  楓へ電話をかけ、番号を伝える。  役場で確認してもらっている間、透はそこから動かなかった。金属札のすぐ脇には、松の根に挟まれるように白いものが覗いている。  ほどなく携帯が鳴った。  「透さん。その番号、沖田さんの登録と一致します」  「マル?」  「はい」  透は通話を終え、金属札の周囲をもう一度見た。  松の根元には、小さな骨がいくつか残っている。自分で掘り返す気にはなれず、透はその場から白木へ電話をかけた。            ※  白木は作務衣に長靴で来た。手には小さな桐箱と、土をすくう木の|匙《さじ》を持っている。  「ほんまに見つかったんですね」  「鑑札の番号は合ってました」  「なら、宗さんが探しとった犬と考えてよさそうですね」  白木は松の根元へしゃがみ、土ごと少しずつ骨を拾った。根を切ってまで探すことはせず、見える範囲のものだけを桐箱へ納めていく。  透も軍手をつけ、白木に言われたところだけ手伝った。  海の音は林の向こうから聞こえるが、ここまで来る風は弱かった。長いあいだ誰にも見つからなかった場所としては、不思議ではない。  「和尚さん」  「はい」  「これを墓へ戻したら、届くと思いますか」  白木は手を止めなかった。  「わかりません」  「ですよね」  「前にも言いましたけど、うちは届いたかどうかを決める仕事やないですから」  最後に鑑札を入れ、白木は桐箱の蓋を閉じた。  「けど、宗さんが探してた子を家へ連れて帰ることはできます」  透は箱を受け取った。  「お願いします」  翌朝、沖田家の裏へ小さな穴を掘った。  来たのは透と千鶴、白木、それに梶だった。梶は何も言わず、墓石の周りに伸びた草を鎌で刈っている。  桐箱を土へ納め、白木が短い経を読んだ。読み終えるころには風向きが変わり、途切れていた蝉の声がまた庭へ戻ってきた。  墓石に刻まれているのは、マルという名前だけだった。死亡届がなかった理由も、宗一郎がどんなつもりでこの石を置いたのかもわからないままだ。  千鶴が文字の下へ目を向けた。  「日付、入れないんですか」  「入れられない」  「だいたいの時期はわかってるんですよね」  「死んだ日はわからない」  透はそれだけ答え、石の前へ膝をついた。  宗一郎から預かった言葉は、まだ胸の奥にある。目の前にいるのは生きたマルではなく、墓石と土の下へ戻した骨だけだった。  これで宛先の前に立ったことになるのか、透には判断できない。  何も起きないまま風が草を揺らしたので、透は口を閉じたまま待った。  やがて喉が勝手に動いた。  「マル」  診療所で聞いた宗一郎の声が、そのまま透の口から出た。  「マル。ええ子や」  それきり、次の言葉はなかった。  透は胸の奥へ意識を向けた。七日近く抱えていた重さが、そこにはもうない。  千鶴が透と墓石を見比べた。  「……届いたんですか」  「たぶん」  「なんで?」  「わからん」  千鶴は今度は梶を見た。  梶は鎌についた草を払い、首を横へ振る。  「わしも知らん」  白木も何も足さなかった。桐箱を納めた土を手でならし、墓石の前へ手を合わせる。  理由のわからないまま、言葉だけがなくなっていた。            ※  便利堂へ戻ると、透は帳場で控え帳を開いた。  千鶴が横から覗き込む。  「何て書くんです?」  透は日付の横へ沖田宗一郎と記し、届け先の欄にはマルと書いた。最後の欄で鉛筆を一度止めたあと、完了と記した。  「理由は書かないんですか」  「わからないから書けない」  千鶴は控え帳を眺めたが、もう質問はしなかった。  そこへ事務所の電話が鳴った。  千鶴が受話器を取り、いつもの調子で店の名前を告げる。相手の話を聞きながらメモを取り、途中で一度だけ透を見た。  電話を切ると、紙を差し出した。  「診療所の川辺さんです」  メモには、六〇一号室の立花トキについて、容体が落ちていると書かれていた。  透はその名前を知っている。町の東側に大きな家があり、息子が二人いる。  「行きます?」  千鶴が訊いた。  透は控え帳を閉じる。  「行く」  宗一郎とマルの記録は、表紙の下へ隠れた。  透は受話器を取り、診療所の番号を押した。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳