MIYA / 第7話

第7話 もう一人

 翌朝も、立花トキは新聞を読んでいた。  六〇一号室へ入った透を見るなり、トキは紙面を畳んだ。昨日より枕が一つ増えていたが、声にはまだ張りがある。  「先生は長くない言うたそうですね」  「川辺さんから聞きました」  「朝ごはんも食べたし、新聞も読めました。医者いうのは難儀な商売ですね」  「外れたほうがいい見立てもありますよ」  トキは鼻で笑い、老眼鏡を外した。  「昨日の約束、守ってますか」  「まだ誰にも会ってません」  「調べてはいる?」  透は少し考えてから頷いた。名前を訊かなくても、家族構成や面会に来ている人までは調べられる。そこまで止められた覚えはなかった。  「やっぱり、お爺さんに似てますね」  「爺ちゃんも調べたんですか」  「うちの人のときは、届けてもろたあとに何度か来ました。雨戸が外れたとか、電球が切れたとか、頼んでもない用事を見つけて」  「便利屋なので」  「そういうことにしときます」  トキは窓の外へ目を向けた。畑では朝の水撒きが始まっている。  「榊さん。あの子を見つけても、わたしが喋れるうちは何も言わんといてください」  「昨日も聞きました」  「念押しです。あんた、黙って様子を見に行きそうやから」  透には否定しにくかった。  「理由を聞いても?」  「準備されたくないんです」  トキは掛け布団の端を整えた。  「人は、何か言われるとわかったら、先に答えを作るでしょう。わたしはそれが嫌なんです。あの子には、あの子のままで聞いてほしい」  そこまで話すと、トキは新聞を開き直した。  透も椅子から立った。  病室を出ると、千鶴が廊下の長椅子に座っていた。透に気づいて立ち上がり、病室へ聞こえない程度に声を落とす。  「さっき、女の人がお見舞いに来てました」  「家族?」  「たぶん違います。詰所で『園田です。立花さんのお見舞いに』って言ってたので」  「園田」  「五十代くらいの人です。川辺さんが佐知子さんって呼んでました」  千鶴はそれだけ伝えると黙った。  透も病室へ戻ろうとはしなかった。トキから先に接触するなと言われたばかりだった。            ※  便利堂へ戻って昼前の仕事を片づけていると、乾物屋の藤木が荷物を持ってきた。  千鶴の祖父で、月に一度ほど在庫の運搬を透へ頼みに来る。軽トラへ段ボールを積み終えたところで、千鶴が麦茶を持ってきた。  「おじいちゃん、園田佐知子さんって知ってる?」  藤木は麦茶を一口飲み、すぐに頷いた。  「美容室の佐知子さんやろ。知っとるよ」  「立花さんと仲いいの?」  「仲いいいうか、昔あの家におったんや」  透は伝票を書いていた手を止めた。  藤木によると、佐知子は子供のころに家庭の事情で立花家へ預けられ、小学校の途中から高校を出るころまで一緒に暮らしていたという。養女にはならず、学校を終えたあとに家を出たらしい。  「トキさんが面倒見てたんですか」  「そら見とったやろ。源三さんは町の仕事で外へ出ることも多かったしな」  藤木は空になったコップを千鶴へ渡した。  「何や、佐知子さんがどうかしたんか」  「ちょっとね」  千鶴が先に答えたので、透は何も付け加えなかった。  藤木はそれ以上気にした様子もなく、今度運ぶ乾物の話を始めた。透も伝票へ戻ったが、次男と園田佐知子の名前は頭に残った。  トキにとって、一人は実の息子だった。  もう一人は、長いあいだ同じ家で暮らした子供だった。  どちらを「あの子」と呼んでもおかしくない。  透は伝票へ数量を書き込み、次の品名を書こうとしたところで鉛筆を止めた。知っているはずの名前がすぐに浮かばず、ひとまず次の欄へ進む。  藤木と千鶴が仕入れの話をしているうちに思い出したので、透は空けていた欄へ何事もなかったように書き足した。            ※  夕方になると、梶が便利堂へ来た。  冷蔵庫から勝手に麦茶を出し、いつもの湯呑みに注いで上がり|框《かまち》へ座る。  「梶さん、それ麦茶用じゃなくないですか」  千鶴が言った。  「入るんやからええやろ」  「その理屈なら鍋でも飲めますよ」  「飲みたかったら飲め」  「飲みませんよ」  梶は千鶴とのやり取りをそこで切り、透へ向き直った。  「候補が増えたんやってな」  「誰から聞いたんですか」  「この町で、それ訊く意味あるか」  透は聞き返すのをやめた。  「次男さんと園田佐知子さんです。少なくとも今のところは、その二人が気になってます」  「トキさんは?」  「どっちの名前も言ってません」  「なら、まだ決めつけるな」  「そのつもりです」  梶は麦茶を飲んでから、透へ訊いた。  「あんた、『手が届く』は覚えとるな」  「宛先に近い人や場所だと、喉が動くことがある」  「そうや。けど、あれを答え合わせに使おうと思うなよ」  透は梶を見る。  「どういうことです」  「宛先に近すぎる相手の前やと、言葉の切れ端だけ漏れることがある。全部が出るわけやない。それを誤配いう」  冷蔵庫へ麦茶を戻しかけていた千鶴が、梶の方を向いた。  「本人じゃなくても、声が出るんですか」  「切れ端だけや。せやから、候補の前に一人ずつ立って喉が動くか試す、みたいな真似はしたらあかん」  透は返事をしなかった。  宛先へ近づけば喉が反応する。その性質を知っている以上、候補を絞る手掛かりとして使える可能性は考えていた。  梶は湯呑みを畳へ置く。  「間違えんために調べるんや。人を使って試すんやない」  「誤配したら、どうなるんです」  「ろくなことにはならん」  「具体的には?」  「わしが知っとるのは、切れ端が漏れるところまでや。知らんことまで教えられん」  透は頷いた。  梶が知らないなら、それ以上を埋める理由はなかった。  千鶴が流しを指差す。  「梶さん、湯呑み」  「置いたやろ」  「洗うところまでです」  「若いもんの仕事や」  「そういう制度ないですからね」  梶は聞こえないふりをして帰っていった。  透は机へ戻り、半年前に作った立花トキの予約票を開いた。宛先欄には何も書かず、調査用の余白へ次男と園田佐知子の名前を並べて記す。  今の段階では、どちらも消せなかった。  そのとき事務所の電話が鳴った。  千鶴が受話器を取り、相手の話を聞いてから透へ差し出した。  「診療所です。立花さんが、透さんを呼んでるって」

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