MIYA / 第42話

第42話 止めなかった

 黒瀬から連絡が来たのは、三日後だった。  その日は朝から雨樋の修理が二件続き、透が便利堂へ戻るころには日が傾いていた。  千鶴がストーブの前で濡れた手袋を乾かしながら、机の電話メモを指す。  「黒瀬さんです。帰ったら電話くださいって」  「何時ごろ?」  「四時前です」  「用件は?」  「透さんに直接話すって」  透は上着も脱がずに電話をかけた。  黒瀬はすぐに出た。  『先日の続きで、見ていただきたい場所があります』  「今日ですか」  『ご都合が悪ければ別の日でも』  透は時計を見た。  「今から行きます」  電話を切ると、千鶴が乾きかけた手袋を裏返した。  「暗くなりますよ」  「近いらしい」  「じゃあ足元だけ気をつけてください」  透は工具袋を置き、店を出た。            ※  黒瀬が待っていたのは、町の河岸側を通る古い道だった。  役場で見つけた陳情書に書かれていた場所と重なる。  片側には低い護岸が続き、その脇を側溝が走っていた。何度か補修された跡があり、蓋だけ色の違う箇所もある。  黒瀬は道路の端に立っていた。  「十六年前、友人が直してほしいと言っていた場所です」  透も側溝を見る。  「今は直ってるんですね」  「ええ」  黒瀬はゆっくり歩き始めた。  十六年前、ここを含む一帯の道路について陳情が出された。黒瀬が紹介議員となり、審査は翌年まで続いた。  提出した本人は、その途中で亡くなった。  祖父が届けた一言は、黒瀬もすでに話している。  巌。あとは頼む。  「最初は、この道のことだと思ったんですよね」  「そうです」  「それで陳情を残した」  黒瀬が頷いた。  透は護岸の向こうを見た。  「でも、翌年の八月に取り下げてる」  「ええ」  黒瀬はそこで立ち止まった。            ※  「十五年前の八月十五日です」  その日付は、透にも残っている。  両親が亡くなった日だった。  透は黒瀬の横顔を見た。  「祭りの日ですね」  「はい」  「黒瀬さん、その年は氏子会の総代だった」  「そうです」  前に本人から聞いたことだった。  黒瀬は道路の先を見たまま、しばらく黙っていた。  「前の日から、天気は良くありませんでした」  透は口を挟まなかった。  「祭りを止める話も出ました」  「それで?」  黒瀬がこちらを向いた。  「止めなかったのは、私です」  透は何も言わなかった。  風が護岸に沿って抜けていく。  「総代として?」  「ええ」  黒瀬はそれ以上、誰かの名前を出さなかった。  「なぜです?」  「やれると思ったからです」  答えは短かった。  「準備もしていましたし、天候も持つと思った。それだけです」  言い訳らしいものは続かなかった。  透は道路へ目を戻した。  十五年前の八月十五日。  その日に両親は死んだ。  そして黒瀬は、その日の祭りを止めなかった。  今わかったのは、そこまでだった。            ※  「友人の言葉と、その判断が繋がってるんですか」  透が訊くと、黒瀬は少し考えた。  「私の中では」  「あとは頼む、って言われたから?」  「それを、何でも自分が決めていいという意味にしたつもりはありません」  黒瀬は道路脇の側溝を見た。  「ただ、あの人が亡くなってから、自分が引き受けなければという考えはありました」  「それで間違えた?」  黒瀬は返事を急がなかった。  「十五年前のあの日については、そう思っています」  透はそれ以上の評価を求めなかった。  黒瀬が何を間違え、その結果として何が起きたのか。  そこには、まだ黒瀬以外の人間がいる。  前に本人が「私一人の話ではありません」と言った意味も、その先にあるのだろう。            ※  しばらく二人で道を歩いた。  空はだいぶ暗くなっている。  引き返すところで、透は黒瀬へ訊いた。  「予約は、まだ必要ですか」  黒瀬が足を止めた。  「なぜです?」  「十五年前から残したい言葉があるって言ってましたよね」  「ええ」  「それ、死ぬまで言えないんですか」  黒瀬は透を見た。  「相手が生きてるなら、今言うこともできますよね」  透はそれだけ言った。  何を言うべきかまでは知らない。  宛先さえ聞いていない。  黒瀬はすぐには答えず、来た道を振り返った。  やがて言った。  「この三日、同じことを考えていました」  「だから今日呼んだ?」  「それもあります」  黒瀬は上着のポケットへ手を入れた。  「予約を取り下げます」  透は少し間を置いた。  「いいんですか」  「はい」  「十六年前から頼んでたのに」  「だからでしょうね」  黒瀬はそれ以上説明しなかった。            ※  「生きているうちに話せるところまでは、話します」  黒瀬が言った。  透は頷いた。  「全部?」  「できる範囲で」  黒瀬らしい答えだった。  十五年前のことが、それで片づくわけではない。  予約を取り消したからといって、黒瀬がもうこの話から消えるわけでもない。  ただ、透はまだ何も預かっていなかった。  「わかりました」  それで予約の話は終わった。            ※  便利堂へ戻ると、千鶴が鍋を温めていた。  戸を開けた音で振り返る。  「おかえりなさい」  「ああ」  「寒かったです?」  「川の近くだったから」  透は上着を脱ぎ、ストーブのそばへ掛けた。  千鶴はすぐには何も訊かず、鍋の火を弱めた。  透が机へ座ると、ようやく口を開く。  「黒瀬さん、何の話だったんです?」  「十五年前の祭り」  千鶴の手が止まった。  透は黒瀬から聞いた範囲だけを話した。  当時、氏子会の総代だったこと。  天候が悪く、中止する話が出ていたこと。  それでも祭りを止めなかったのが黒瀬だったこと。  千鶴は鍋を見たまま聞いていた。  「それ以上は?」  「まだ」  「そうですか」  千鶴は蓋を取った。  湯気が上がる。  「予約は?」  「取り消した」  今度は千鶴が振り返った。  「黒瀬さんが?」  「ああ」  「じゃあ、もう預からないんですか」  「今はな」  透は机の引き出しを開けた。  黒瀬から最初に受け取った住所と電話番号の紙が入っている。  それを取り出し、予約のために付けていた小さな印を消した。  紙そのものは捨てなかった。  「これ、大根ですよ」  千鶴が鍋の中を見ながら言った。  「知ってる」  「梶さんですか」  「あの人以外、こんな量持ってこないだろ」  千鶴は椀を二つ出した。  透は黒瀬の紙を引き出しへ戻し、机を空けた。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳