MIYA / 第78話

最終話 榊便利堂

 八月十五日の朝から、町は祭りの準備で騒がしかった。  公民館の前には長机が並び、軒先では提灯の取り付けが進んでいる。まだ人通りの少ない時間から太鼓の試し打ちが聞こえ、そのたびに近所の犬が短く吠えた。  透は公民館の脇に脚立を立てていた。  雨樋を留める金具が一つ緩んでいる。昨夜、祭りの世話役から朝一番で見てほしいと頼まれた仕事だった。  「透さん、もう少し右です」  下から楓の声がした。  「右?」  「そっちは左です」  透は工具を持ったまま下を見る。  「わかってる」  「今、左へ動きましたよ」  「楓、仕事は?」  「今日は祭りの応援です」  「じゃあそっちやればいいだろ」  「落ちたらこっちの仕事が増えるので」  透が返事をする前に脚立がわずかに揺れた。  楓が黙って脚を押さえる。  透も何も言わず、雨樋へ向き直った。            ※  金具を締め直し、雨樋を軽く押して確かめる。  今度は動かなかった。  脚立を降りると、楓が薄いファイルを持って待っていた。  「これ、父からです」  「何?」  「写しです」  受け取って開く。  十五年前の災害記録について、後から確認された資料を追補したことが記されていた。  以前の記録自体を書き換えたわけではない。  当時どのような整理が行われ、その後の確認で何が判明したのかが、別の記録として追加されている。  四世帯の名前も載っていた。  宮下家もある。  透は一度だけそこを見て、頁を閉じた。  「終わったんだ」  「手続きとしては」  楓が答えた。  公民館の中から声が飛ぶ。  「氷見さーん、ちょっとこっちお願い!」  「はい!」  楓が返事をした。  「じゃあ、またあとで」  「まだ仕事だろ」  「終わったらです」  楓はファイルを透へ預けたまま、公民館へ戻っていった。  透は脚立を畳んだ。            ※  便利堂へ戻る途中、港へ続く道を通った。  少し先には二十七番へ曲がる道もある。  透は曲がらず、そのまま歩いた。  黒瀬が手入れを続けている土地には、今も柿の木が残っている。  宮下家の表札はトヨのもとへ戻すことになっていた。  それでよかった。  透は工具袋を肩へ掛け直した。  祭りの法被を着た子供が二人、向こうから走ってくる。  その後ろを大人が追っていた。  透は道の端へ寄った。            ※  店の前には、梶の軽トラックが止まっていた。  嫌な予感がした。  戸を開ける。  千鶴が冷蔵庫の前で腕を組んでいた。  その隣で、梶が大きな袋から胡瓜を出している。  「梶さん」  「なんや」  「また?」  「もろた」  「この前のまだありますよ」  「食えば減る」  千鶴が透を見る。  「止めてください」  「俺に言われても」  「透さんの知り合いですよね」  「千鶴とも知り合いだろ」  梶が胡瓜を一本押し込む。  中から別の一本が転がり落ちた。  透が拾おうとして身を屈め、後ろを通った千鶴と肩がぶつかった。  「あ、ごめん」  「はい」  千鶴はそのまま横を通った。  透も床の胡瓜を拾う。  「これ、どこ入れる?」  「入りません」  「一本くらい」  「閉まらなくなります」  梶が冷蔵庫を覗き込んだ。  「横にすりゃ入る」  「増やした本人は黙っててください」  千鶴に言われ、梶が冷蔵庫から離れる。  透は胡瓜を机へ置いた。            ※  昼を過ぎるころには、店の前を通る人が増えていた。  祭りへ持っていく椅子の脚を締めてほしいと頼まれ、透は店先でねじを一本交換した。  続いて近所の家から扇風機を見てほしいと持ち込まれた。  電源を入れると首は振るが、羽根が回らない。  「今日直る?」  「部品次第ですね」  「祭り行くから、明日でもええよ」  「じゃあ預かります」  伝票を書き、扇風機を作業台の端へ置く。  客が帰ると、千鶴が奥から顔を出した。  「今日も普通に仕事しますね」  「仕事あるからな」  「祭りの日ですよ」  「祭りの日でも扇風機は壊れるだろ」  「それはそうですけど」  透は伝票を所定の箱へ入れた。            ※  夕方になると、祭り囃子が近くなった。  楓が便利堂へ顔を出す。  朝とは違い、もう役場の仕事は終わったらしい。  「透さん、まだ閉めないんですか」  「一件、取りに来る」  「今日?」  「草刈り機」  千鶴が鞄を肩へ掛けた。  「私たち先に行きますよ」  「うん」  楓が戸口から振り返る。  「今年は来てくださいね」  「行くよ」  「去年も似たようなこと言ってませんでした?」  「今年は行く」  「ほんとに?」  透は伝票から顔を上げた。  「わかったって」  千鶴が楓の背中を押す。  「もう行きましょ。ほっといたらずっと仕事してます」  「してないよ」  「してます」  二人が店を出る。  透は戸口から声を掛けた。  「行ってらっしゃい」  「行ってきまーす」  千鶴が手を振る。  楓も振り返って、小さく手を上げた。  透は二人が人通りへ混じるまで見送ってから、帳場へ戻った。            ※  しばらくすると、自転車のブレーキ音が店先で鳴った。  近所の男が顔を出す。  「榊さん、これ明日見てもらえる?」  荷台には古い脚立が積まれていた。  「どうしたんです?」  「片方だけ変に開くようになって」  透は外へ出た。  金具が少し曲がっている。  「置いてってください」  「急がんから」  「明日見ます」  男と一緒に脚立を店へ運び込む。  「じゃ、頼むね」  「はい」  男はそのまま祭りのほうへ歩いていった。  透は脚立を壁際へ立てかけた。  作業台には扇風機。  壁には脚立。  明日の仕事が二つ増えた。            ※  透は帳場へ戻った。  朝、楓から受け取ったファイルを棚へしまう。  その近くには、これまでの控え帳や案件の記録が並んでいる。  桑島の記録もそこにあった。  透は棚の戸を閉めた。  店の照明を一つ消す。  工具箱をしまい、明日の伝票を机の端へ寄せた。  最後に入口の札を裏返す。  戸を閉めて鍵を掛けると、通りの向こうから太鼓が聞こえた。  透は財布をポケットへ入れ、祭りのほうへ歩き出した。  八月十五日の夕暮れ。  太鼓の音が、町に響いている。  榊便利堂の一日は、  今日もそうして終わっていった。
 ここまで『預かり屋 榊便利堂』を読んでくださり、本当にありがとうございました。  榊透の物語は、これで完結です。  人が最期に残した、たった一つの言葉。  それを七日以内に、本当の宛先へ届ける。  そんな「預かり屋」の話として始まった物語でしたが、書いていくうちに、届けられる言葉だけではなく、届かなかった言葉や、言えなかった言葉についても描く作品になりました。  すべての言葉が届くわけではありません。  探しても間に合わないことがあり、相手が受け取らないこともあり、あとからではどうにもできないこともあります。  それでも透は、便利堂の仕事をしながら、一つずつ人の言葉と向き合ってきました。  マルから始まり、さまざまな依頼人と宛先を経て、最後に辿り着いたのが、透自身に十五年間届いていなかった言葉でした。  母の、  「透。ごめんね。行ってくるね」  という一言に、透がようやく「行ってらっしゃい」と返せたところまで書けたことを、嬉しく思っています。  そして最後には、特別な事件ではなく、いつもの榊便利堂へ戻しました。  壊れたものを直して、頼まれたものを運んで、梶が野菜を持ってきて、千鶴や楓と言葉を交わす。  明日になれば、また店を開ける。  透たちにとっては、そんな日々がこれからも続いていきます。  この物語に最後まで付き合ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。  感想や、印象に残った案件・人物などがあれば、聞かせていただけると嬉しいです。  それでは。  『預かり屋 榊便利堂』  これにて、完結です。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳