逸漣 / 第34話

第18話 乙女の暮らし手帖(3)

 月一万円のお給金から、洋裁教室の三千円を出そうとする麗奈に気づき、百合子は 「それは必要経費です」  と厳しい声で言った。マチ子先生から事前に聞いていたそうだ。 「麗奈が楽しそうにしてくれるのが嬉しいの。ちゃんと出させてちょうだい」  百合子の両手で丁寧に差し出された三千円。  麗奈も「ありがとうございます」と両手で受け取り、さながら表彰式のような大袈裟な儀式に、二人で微笑みあった。  今日はミノリさんのウエディングドレスの生地を、大きな生地専門店へ見に行く。百合子も「暇だから着いて行くわ」と言って張り切っていた。  本当は麗奈にお金を使わせないつもりなのだと気づいていた。百合子が財布の中身を確認して、お金を足していたのを麗奈は横目で見た。  百合子は麗奈に気を利かせる。しかし、麗奈にも百合子にしてあげたいことがあった。  ミノリさんのウエディングドレスを作る手伝いをしながら、麗奈は二人のドレスを作りたかった。  ──もちろん他所様に言えるような仲じゃないのは分かっている。せめてこの家の中だけでもウエディングドレスを着て、二人だけの結婚式を百合子に贈りたい──  そんな夢を麗奈は抱き始めていた。  生地にも凝って……。今日はその下見のつもりなのに、百合子も着いてきたら贈る前に気づかれてしまう。  麗奈は鉛筆と紙をバッグに忍ばせ、待ち合わせの生地屋の前へ百合子と向かった。  五階建てのビルディングは薄黄土色のタイルの外観がモダンな雰囲気を醸し、冬の柔らかな日差しを反射していた。  百合子は人見知りしながらも顔を紅潮させ、マチ子先生や他の生徒達にも挨拶をしていた。麗奈のために多少の無理をして頑張ってくれているのだと感じ、微笑ましく横目で見ていた。  全員揃ったところで、初心者のミノリさんと百合子と麗奈は、初めて見る生地専門店を一階から順にマチ子先生に案内して貰った。  ベテランの陽子さんと和子さんは、お目当ての階へ行き、後で三階の高級生地の階で待ち合わせをする事になった。 「一階は一般的な生地がたくさんあるのね」  ミノリさんと麗奈がキャアキャアと喜びに震えていると、百合子は好きなように歩きまわり目を輝かせていた。 ──お裁縫には興味はなさそうだけれど、美しい物には興味津々で、あっちへちょろちょろ、こっちへちょろちょろ……無邪気な子供みたいで可愛らしい──  マチ子先生は百合子を捕まえて、 「二階に行きますよ。多分、お嬢さんの好きな階よー」    二階は、ボタンやスパンコール、ビーズなど光る小物が輝いていた。  一生懸命にアンティークのボタンに見入る百合子。ミノリさんもそこが見たそうにしているのに、一向に気にしていない様子。 「百合子さん、こちらも綺麗ですよ。ビーズよー、おいでませ」  やっとミノリさんはウエディングドレスに使うボタンを見る事ができた。麗奈も参考にするために真剣に見る。商品番号に値段……メモを取りながら、自分と百合子のウエディングドレス姿を夢想する。  気付くと百合子は、何やら細かいものをたくさん買い求めたようでレジに店員が集まり、数えては小分けにしていた。    ミノリさんは、マチ子先生に相談しながら小さな包みボタンを選んでいた。麗奈はそれもしっかりメモをする。  にやりと不敵な笑みで、ミノリさんは 「麗奈さん、好きな男性がおられそうね。私より真剣」 「だ、男性なんておりません……あ、憧れていますの。ドレスに」  麗奈の頬が勝手に赤く染まる。  本音を見透かされそうで少し怯えたが、ミノリさんは気にも止めず、リボンを見に歩いて行った。百合子はミノリさんに着いていく。また無駄遣いをしてしまいそうで、麗奈は急いで止めに行く。  ……遅かった。もうベルベットや光沢のあるパステルカラーの細いリボン、太いリボンに、何人もの店員が物差しを添え、鋏を入れていた。  百合子の色彩感覚やセンスを無視して、独断でドレスを作ってもいいのだろうか。百合子にも夢があるかもしれないと、麗奈は、自分の独りよがりに気づいた。    三階に集まる時間になり、階段を登る。百合子の買い物袋は膨らみを増していた。  三階は高級生地のフロアで、カーテンやドレスの生地、外国製のレース、滑らかな光沢の絹など、息を呑むほどの迫力ある商品で溢れていた。ソファーの横に純白のウエディングドレスを着せたボディが展示してあった。 「素敵……あんなに豪華なドレス、私に作れるかしら」  ミノリさんは不安そうに、マチ子先生を見つめる。 「もう少し簡素でも素敵よ。型紙の中から選べば大丈夫よ」  陽子さんもミノリさんに寄り添い、 「私のウエディングドレスも教室で作ったのよ、皆さんに手伝ってもらって。ミノリさん安心して」  「あの時は大変だったね。陽子さんたら、採寸後に太っちゃってね」  和子さんの声を掻き消すように、陽子さんは「この型紙なら、難しくないんじゃないかしら」と、話題を変えた。  麗奈はミノリさんと同じ型紙を手に取り、百合子に見せた。 「百合子さん……もしドレスを着るなら、これはいかがですか?」  百合子はしばらく、不思議そうな顔をしてから、麗奈にだけ聞こえる声で囁いた。 「私はシンプルな形がいいわ。その代わり、素材は贅沢にしたいの。色は……」  百合子のスズランの香水が麗奈の鼻腔をくすぐる距離…… 「麗奈と色違いがいいわ」  その声に麗奈は、ふわりと身体が浮いた心地がして、どの生地を見ても素敵に輝いて見えて選べなかった。 「そうね、麗奈の白い肌と明るい髪色には、この色が合うわ」  ベージュがかったフランス製の贅沢なレースを麗奈の顔の近くに並べると、百合子の目が画家の目に変わる。 「うん、似合うわ。見立て通りね」  麗奈は周りの人達の目を気にしながら、百合子の顔の横にレースを並べる。ミノリさんを隠れ蓑にするように、彼女に似合う色も見る。しかしミノリさんは純白と決めていた。 『貴方に染まります』という純白のドレス。麗奈と百合子は色違いのドレス。どちらも素敵な輝きの、美しくたなびくレースのベールなのだ。  百合子は悩んだ二色のうち、淡いボルドーのようなシックなピンクを選んだ。  まだ作れる訳でもないのに、何メートルもの高価なレースを買い求める百合子。  マチ子先生達は、百合子と麗奈がミノリさんの結婚式に参列するためのドレスを作るのだと思い込み、微笑んでいた。 「もう、お嬢さんも麗奈ちゃんも気が早いわよ」  マチ子先生の声に、百合子はへへっと照れたように笑った。その百合子の横顔を見つめると、麗奈の胸は熱いものが溢れ出しそうだった。  麗奈の夢はもう叶い始めていた。百合子はいとも簡単に麗奈の心を掬ってしまう。  ──本当、百合子さんには敵わないわ──  麗奈は目を細め、百合子を眩しそうに見つめていた。

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