逸漣 / 第23話

第14話 ぬくもりに溶けて

 麗奈はそっと銀の指輪を外した。小さな桐箱にしまいながら、心の奥で静かに「ありがとう、さようなら」とつぶやいた──  縁側に置かれた木製の桶。湯気が冬の冷たい空気に溶けて柔らかく漂っていた。  外には隣家の庭越しに、ラジオから流行りの陽気な歌謡曲がかすかに聞こえる。  麗奈は湯に手を浸し温度を見る。 「百合子さん、どうぞおはいりになって」  百合子がゆっくりと身を沈めると、湯気が立ちのぼり、全身を柔らかく包み込んだ。  百合子は背を向けて、静かに呼吸を整えていた。  麗奈はタオルを桶に浸して百合子の背中を洗う。肩から腕へかけてタオルを滑らせた時、百合子が麗奈の右手を取った。指輪が消えたことに気づいたようだった。  百合子の瞳が麗奈をまっすぐに見つめている。しかし、何も言わなかった。    湯を張り替えると、今度は麗奈が湯に浸かる。百合子はしっかりと泡立て、愛おしそうに麗奈の手を洗い始めた。タオルが滑るたびに、過去の想いと今の温もりが重なり、麗奈の胸の奥が微かに震えた。  百合子の手がそっと首筋を撫で、タオルが滑る。麗奈の肩の力が抜け、吐息が洩れる。耳元をかすめる二人の吐息が湯気に溶けてゆく。 「はい、バンザイですわ」  百合子の声に従い、麗奈が両腕を伸ばすと、脇の下や肩甲骨の間まで丁寧に泡が行き渡る。くすぐったさと幸福感が混じり、思わず微笑みが零れる。  膝の裏や足の指まで丹念に洗われて、体の汚れも疲れも、心の澱までも流されていく。泡の香りが鼻腔をくすぐり、またため息を漏らす。膝や肘がかすかに触れ合うたび、体の熱と心の鼓動が重なる。  洗い終えると、桶の湯で泡を流し、タオルで水気を拭き取る。手の温もりは湯浴みの余韻そのものだった。  湯浴みが終わると、椿油を手のひらに馴染ませ、マッサージが始まる。まず百合子が麗奈をほぐす。肩や背、脚や腕……丁寧に解きほぐされると、吐息が耳元で震え、麗奈は甘く身を委ねた。  百合子の指先が背を滑るたび、胸の奥にあたたかな鼓動が広がる。  次に麗奈が椿油をとり、両手を擦り温める。うつ伏せに横たわる百合子の背中に手を滑らせて油を馴染ませていく。  百合子の腰に跨る麗奈の太ももから、官能的な熱と確かな信頼の温もりが伝わり、二人の呼吸のリズムが揃っていく。  言葉をかけることなく、静かに……しかし互いの心が通じ合っている幸福感に包まれる。 「はい、おしまい」 「麗奈、ありがとう……もう少しだけ」 「また明日しましょうね」  火鉢の炭がパチパチと音を立てて、二人だけの世界を静かに温かく包む。秘密の夜が、縁側の湯気に溶けていった。

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