逸漣 / 第24話

第15話 神前の誓い

 年末の居間には、麗奈が生けた花が飾られ、南天の赤い実が映えている。  板張りの床に敷かれた薄手の絨毯の上に、ダイニングテーブルや洋風のサイドボードが整然と並ぶ。窓にはレースのカーテンがかかり、白熱灯の柔らかい光が紅い振袖を照らした。  ラジオから流れる紅白歌合戦と、暖炉の薪のはぜる音が心地よく響いていた。  鏡台の脇では真鍮の時計がカチ、カチと刻む音が、着物の着付けをする麗奈を焦らせていた。  それなのに百合子は長襦袢姿で麗奈に甘えて、そっと抱きついていく。  すると麗奈は着付けの手を止め、「もう……」と言って、すこしだけ息を詰めて応えた。 「もう少しでお蕎麦屋さんが来ちゃいますよ。百合子さん、大人しくなさって」  残念そうに頬を膨らませる百合子を、麗奈は苦笑まじりにいなしながら、きちんと着付けて、振袖の襟まで整えた。  微かに香る緑茶と暖炉の匂いが混ざり、室内にあたたかな冬の空気を作っていた。  呼び鈴が鳴り、蕎麦屋さんが「お待たせしました!」と元気な声で現れた。  木枠の玄関越しに冬の夕闇が迫り、冷えた風が吹き込むと湯気が白く揺れる。  二人は嬉しそうに蕎麦を受け取り、指先が触れ合う距離で微笑み合った。  お蕎麦屋さんは代金を受け取ると、 『良いお年を!』  忙しそうに帰っていった。その背中を見送り、戸を閉めると、出汁の香りと湯気のぬくもりが部屋に漂う。  年越し蕎麦をいただく──ふと温かいお蕎麦は引っ越し蕎麦以来だわ──と、百合子は思い出していた。  当時、百合子は心の中で、麗奈は父の愛人であり、母親の仇と思いながらも……蕎麦を食べる麗奈の姿に見惚れてしまった。箸の所作、麺を啜る時の窄めた唇を思い出す。   「あ、百合子さん。今日は一味がありますよ」  あの日、照れ隠しに立ち上がり、探した一味を麗奈が覚えていてくれたなんて――    百合子は微笑み、両手で一味を受け取った。  初恋を知ってしまった今、麗奈の肌に触れたいと願う思春期の少年のような心持ちの百合子。  しかし同じ物を頂いて、「美味しいわね」と微笑み、視線が絡むだけで──純粋に胸の奥から溢れる慕情を、少しずつ麗奈から学んでいるようだった。  年越し蕎麦を食べ終え、二人は初詣で年を越しに出かけた。参拝の列に並び、冷たい冬の空気の中で百合子は麗奈の手をぎゅっと握る。境内には除夜の鐘が響き、年越しの雰囲気を高めていた。  百合子は、麗奈の耳元へ唇を寄せて、密やかに……年を越す前に手放したいことを麗奈に告げた。 「麗奈……聞かせて欲しいの。責めてはいないのよ。ただ…ワタクシ、麗奈が好きなの。だから……お父様のことを、麗奈が愛していたのかを知りたいの」  麗奈は小さく息をつき、呼吸を整え、言葉少なめに答えた。 「私、実家も元恋人も、戦争で失いました……その後、娼婦としてどうにか生きていた私を救い出してくださったのが、貴女のお父様でした。身体を売らなくて済むようになり、感謝しています」  百合子は心臓の鼓動が早くなるのを感じる。しかし急かさず、麗奈の唇が言葉を紡ぐのを、境内に視線を移して待っていた。  繋ぐ手は、少し震えていた。 「でも…恋愛感情は、元恋人にしか持てませんでした。ご家族の皆様には……大変申し訳ないことをしました」  百合子の胸に小さな確信が走る。麗奈の過去の痛みも全て知った今も、百合子の麗奈への想いは変わらなかった。 「その時は大変だったのだもの、仕方がないわ。麗奈……今はどうなの?」  麗奈は言葉を紡がず、ただ百合子の手をぎゅっと握り返す。その力強さが、答えそのものだった。  参拝の順番が来て、二人は一緒に神様に手を合わせた。 「どうか……ずっと、このまま幸せに、麗奈と過ごせますように」 「……ずっと、私をそばに置いてくださいませ」  冷たい冬の風に、互いの吐息が混ざる。手の温もりと胸の鼓動を確かめながら、二人だけの願いを静かに神様に託した。  帰り道、冷たい風に頬を赤くしながらも手は離れない。  家に帰ると、居間のソファで寄り添い、暖炉の炎だけがユラユラと揺れて、二人を照らしていた。 「麗奈……」  百合子は震える指先で、そっと彼女の頬に触れた。 「百合子さん……心に触れさせていただいても良いですか……?」  麗奈が囁くと、百合子は小さく頷き、さらに身を寄せた。  二人の唇が近づく。  まるで時間が止まったかのようにゆっくり……そして軽く唇が触れた。  初めての口づけはぎこちなく、でも愛おしさに満ちていた。  互いの鼓動が指先にまで伝わってくる。  目を閉じて、互いの背に手を回し、温もりを心で受け止めた。  甘く切なく、でも確かな安心感が二人を包む。  二度目の口付けは甘く、なぜだか熱い雫が頬を伝った。  夜更け、暖かな毛布に潜り、麗奈の腕の中で百合子は小さく震えながら眠る。  麗奈もまた安堵した表情で眠り、静かに年越しを迎えた。  新年の朝、障子越しに柔らかい光が差し込む中、二人は毛布にくるまったまま互いの腕の中で目を覚ます。 「麗奈…明けましておめでとうございます…」  麗奈は百合子の髪を優しく撫で、唇にそっと口づけを落とした。 「百合子さん……明けましておめでとうございます。昨夜は…素敵な年越しでしたね」 「これからも……傍に居ていただけますか?」 「はい、今年も何卒よろしくお願い致します」  新年の日が窓のカーテン越しに柔らかく二人を照らす中、毛布にくるまりながら、初夢やこれからの一年のことを、そっと囁く。  互いの鼓動が、優しいリズムに揃っていた。

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