逸漣 / 第52話
第31話 一年を想う
秋雨が静かに、冷たい風を連れてくる。一雨ごとに、暑かった夏の名残をそっと溶かし洗い流していった。
そんな日に麗奈はこの家へ来た。父親の死を知らせるのと同時に。
その時の気持ちなど、遥か遠い昔のように雨に煙り見えはしない。
家族を捨てた父親への怒りも、捨てられた母への同情も忘れて、今、麗奈を独り占めしている。
両親とも百合子のことを裏切り者とでも責めているだろうか。
今日のように雨の日は、麗奈の黒い記憶を塗り替える為に、こうやって一日をベッドで過ごす日もある。
麗奈が目を覚ますと、百合子の胸元に頬を寄せ、また目を瞑る。
「良いわよ。もう少し……こうしていましょう」
百合子は麗奈の髪を梳くように撫でながら、小さな声で「秘密の花園」を歌う。
麗奈の好きな、水谷さよ子の代表曲。
サビしか覚えていないので、繰り返していると、麗奈は指先でリズムを刻む。
その振動は腕を伝い、自然と笑みが零れた。
「ねぇ、一年経ったわね。ワタクシ達が出会って……」
「……はい」
髪を一筋一筋、丁寧に流れに逆らわず撫でていく。
「記念に旅行でもいかが?」
少しの沈黙を雨音が埋めた。
「そうですね……今はこのままでいたい気持ちなので、晴れた日に考えても良いですか?」
麗奈の細い体をふわりと包み込むように、百合子は背中を撫でる。
「そうね、今度……お話しましょうね」
うんと頷き、百合子の胸に顔を埋めて、また麗奈はうとうとと、夢と現を行き来していた。
雨は一層激しくなり、窓を打ちつける音が麗奈を強張らせる。百合子は麗奈の背中を同じテンポで優しく撫でて続けていた。
カーテンの隙間から、水滴が薄灯に光り、玉を作っては流れて落ちていく。
──麗奈、ごめんなさい。貴女の嫌いなこの雨を、ワタクシは恵みの雨とすら思ってしまうの。
こんなに美しくて、なんでも出来て、ワタクシには不釣り合いな恋人が、しがみつく様に必要としてくれるの。
それを慰めるフリをして、喜んでいるなんて。卑怯なワタクシを許して……。
麗奈、どこにも行かないで。秋の長雨がずっと二人を閉じ込めてくれたら良いのに──
◇
雨の日は百合子のベッドに潜り込んで、甘えても良い日になった。
毛布の中はしっとりとして、百合子の香りがする。それが麗奈をじんわりと染めるように沁み込んでいった。
麗奈は、辛い過去の記憶は少しずつ薄まっているのに、未だに引きずっているフリをしていた。
全部が嘘では無い。一人で居たらとしたら、今でも雨に怯えていたと思う。
でもこの家には、百合子が居る。
二階で絵を描いて、麗奈が一階で縫い物をしたり、料理を作っていても「一人じゃ無い」と思わせてくれるから。
雨の日は、恥ずかしげもなくベッドで寄り添うのが当たり前というように忍び込んでも、ふわりと受け止めてもらえる日。
──百合子さんごめんなさい。もうしばらく、このささやかな嘘をついて良いですか?
また嘘をついたかも。本当はずっとこの嘘を抱えていきたい──
麗奈はしがみつくように力を少しだけ込めると、百合子は麗奈を包み込み、「大丈夫よ」と優しく背中を摩る。
百合子の手のひらのあまりの心地よさに、麗奈はうとうとと、夢に沈み込んでいく。
雨は柔らかくなり、シトシトと音を変えた。
この秘密を、永遠に口にする事はない。
その前に唇が塞いでしまうから。