逸漣 / 第53話
第32話 十二月の約束
師走の賑やかな商店街。街灯が冷たい冬の空気をやわらかく照らしていた。
買い物がえりの麗奈は、新しくできた『シャトー・ブラン洋菓子店』の白い壁に目を奪われた。
ポスターには、艶やかな文字で「クリスマスケーキ予約受付中」とあり、窓辺には小さな雪を模したオーナメントがきらめいている。
百合子は幼い頃から裕福な暮らしをしているから、家族でクリスマスのお祝いをしているのだと思った。
百合子の無邪気な笑顔を思い浮かべ、麗奈は白いドアの金色の取っ手に手をかけた。
重厚な白い扉を開けると、ドアベルが「カランカラン」と軽やかに鳴る。
「いらっしゃいませ」
白い三角巾を頭に被った美しい女性が、焦茶色のワンピースと白いエプロンを纏い、澄んだ微笑みで迎えてくれる。
金色と白で統一された店内は、制服の清楚さを引き立てて、キラキラと輝いていた。
ラジオからはクラシック音楽が流れ、忙しい心を少しだけ浮かれさせた。
ガラスケースの中では、苺のショートケーキが艶めき、ロールケーキやプリン、シュークリームまでもが柔らかな光を受けて輝いている。
ふわりと香るクリームや焼き菓子の匂いが鼻腔をくすぐり、思わず息を吸い込む。
「すみません、クリスマスケーキを予約したいのですが」
麗奈は、店員さんのオススメの苺の乗った小さなホールケーキを注文した。
「ありがとうございました」
笑顔に見送られ店を出ると、師走の冷たい風が麗奈の髪を乱れさせた。
白い街灯の下、この可愛らしいケーキ屋に百合子と来る日のことを思い浮かべる。
「また、カメラで写真を撮ったりしだすかしら」
ミノリさんの結婚式の百合子を思い出し、麗奈は一人微笑んだ。
夕餉の時、麗奈は百合子に『シャトー・ブラン洋菓子店』の話をすると、百合子は少しはにかんで言った。
「お母様が、『我が家は仏教徒なのだから、クリスマスは関係ない』と言って、ケーキを買ってくれなかったのよ」
その言葉に、少しだけ切なさが混じる。
でも百合子がクリスマスに秘かな憧れを抱いていることを知ると、麗奈は思わず笑みがこぼれた。
ケーキを予約したと伝えると、百合子は目を輝かせて喜び、頬が紅く染まる。
「クリスマスというのは、ケーキをいただく日なの?」
麗奈の実家にはそんな洒落たお祝いなどない。百合子には言いにくいが、百合子の父親と暮らした数年間に、クリスマスを祝った記憶がある。
「鶏肉を食べます……」
「鶏肉?そうなの。焼くの?煮るの?」
「焼いて、焼鳥のタレのような甘辛い味です」
「焼鳥をいただく日なの?」
焼鳥ではなく、こんな形の骨付き肉だと手で線を描きながら説明する。
それが踊るように見えると言い、百合子はケラケラと愉快そうに笑い転げる。
「楽しみね、麗奈」
百合子の頬が子供のように綻ぶ。
それを見ると、麗奈の肩から力が抜け、柔らかな心地になった。
百合子としか感じた事のない感覚を、飴を転がすようにゆっくりと味わう日々。
「あと、クリスマスプレゼントを交換しますの」
「何が良いのかしら、決まりはあるの?」
「百合子さんは欲しいものはありますか?」
百合子はそうねぇ、と小首を傾げ、顎に手をやる。麗奈は彼女のこの癖も愛おしく、(でるぞ、でるぞ。……顎に手を置いた!)と内心楽しんでいた。
「二人とも、手作りするのはどうかしら」
企みを含んだ微笑みが、麗奈の胸を貫く。蠱惑的に光る瞳で麗奈を見つめ、百合子は自らの唇に人差し指を当てた。
「当日まで、内緒にいたしましょう」
クリスマスまで、二人は悩ましくも甘い二週間を過ごす事になった。
百合子は嬉しそうにアトリエに向かい、階段を登っていく。
「百合子さんは、本当に楽しいわ……」
麗奈はテレビの音を聴きながら、食器を洗う。
重ねられていく、この恵まれた暮らしを麗奈は大切にしたかった。
丁寧に、ゆっくりと、愛情深く、たおやかに――