逸漣 / 第40話

第24話 初夏の行楽

 昼間の暖かさを忘れたかのように冷え込む夜。月明かりは穏やかに差し込み、百合子と麗奈は、明日の鎌倉行きに胸を躍らせながら台所で準備を始めていた。 「明日は楽しみですわね、麗奈」  百合子は微笑みながら、小さな竹籠を整えていた。 「紫陽花を眺めながら食べるお弁当、お嬢様の好物ばかりですよ」  麗奈も目を輝かせながら、焼き魚や卵焼き、肉団子を一つずつ丁寧に並べていく。  「あ、百合子さん!もう、食いしん坊ですわね」  卵焼きをつまみ食いする百合子が可愛らしくて、麗奈もひとつ摘まもうと手を伸ばす。 「いいわ、私も食べちゃうから」  お弁当が減っていくのを慌てて止める百合子を、麗奈がからかって笑う。二人の笑い声が台所を明るく照らしていた。  お弁当の準備が整うと、次は敷物や小皿、箸をバスケットに詰めるのを百合子が手伝った。  麗奈の手が百合子の手にそっと重なる。  ドキッとして、手を離していた頃が少し懐かしい。  最近も百合子は家事への関心はないけれど、麗奈を助けようとする心が見えて、麗奈は喜ばしく思っていた。  何気ない台所でのひとときが、なんだか二人にとって、とても大切な時間になっていく。  次は服と髪の準備。  百合子はクローゼットの前であれこれ選び、白のブラウスとピンクのプリーツスカートを合わせて、 「麗奈、どうかしら?似合う?」  麗奈は少し離れて全体を眺めたあと、淡い水色のワンピースを手に取って差し出す。 「こちらはいかがでしょう?」  麗奈は水色の小花柄のワンピースを選ぶ。さりげなく色を揃えた装いは、初夏の爽やかな景色に溶け込むだろうと想像するだけで頬がゆるんだ。  そして眠る前に髪を整える。  麗奈は百合子の背後に回り、柔らかな髪を優しくカーラーに巻いていく。 「百合子さん、痛くないですか?」 「麗奈の指がとっても心地いいわ」  それを聞いて麗奈は安心しながら、わざと耳の下を撫でるように指先を滑らせる。 「やだ、くすぐったいですわ。もう……意地悪ね」  満更でもない表情の百合子は、照れたように微笑んだ。  二人とも髪を巻く手つきは、以前に比べると随分と上達していた。共に暮らし始めてまだ一年にも満たないが、こうした小さな時間の積み重ねに、確かな歴史を感じる。  準備を終えると、麗奈の部屋のベッドに寝転がり、二人で手元のガイドブックを広げて明日の行程を確認した。  紫陽花で有名な寺院や、細い石畳の小道、海辺の景色を指で辿りながら、 「ここで写真を撮りましょうか」 「あそこの茶屋も素敵そうですわね」  未来の景色を思い描く時間が、二人の距離をさらに近づけていく。  布団に包まる二人を、ほのかなランプの灯りが優しく照らしていた。   百合子の無邪気な横顔を眺めているだけで、麗奈は胸の奥が優しく波打っては穏やかに引いていく。 「明日が楽しみですね」  麗奈の声は、夜の静けさの中に溶けるように落ちた。 「ええ、きっと楽しいわ」  百合子は微笑みながら、麗奈の手をそっと撫でる。  麗奈は静かに窓の方へ視線を向け、外の月を見上げた。 「百合子さん、今日は月がとても綺麗ですわ……」  淡く霞む月光が、二人の髪や頬を優しく照らしている。 「ええ、まるで水墨画のように雲が月を飾っているわ。絵になるわね」  手を取り合いながら、鎌倉の景色を思い描く。  外では、雨の気配を含んだ夜風が静かに吹き抜け、湿った土と草の匂いがかすかに漂っていた。  けれど部屋の中だけは、二人の体温に守られた穏やかな季節が流れていた。

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