逸漣 / 第60話
第35話 裁縫をする幸福な時間
チクチク、チクチク……
躾糸で縫い留めて、
カタコト、カタコト……
足踏みミシンの小気味の良い音。
麗奈は毎日毎日少しずつ、ドレスを仕立てている。
先週は百合子が熱を出して、看病したりして大変だったけれど、その中でも少し時間を見つけてはコツコツ縫っていた。
高価なフランス製のレースとシルク、素材は贅沢。デザインは簡素なウエディングドレス。百合子の顔が明るく見える淡いワイン色。
少しでも腕を上げてから百合子のドレスを仕立てたいから、麗奈は自分のドレスを先に仕立てたのだった。
肩周りや立体は難しいけれど、他は直線も多め。
カタコト、カタコト……真っ直ぐ進むのが気持ちよくて速度を上げそうになるけれど、このまま一定の速度でブレないように気をつける。
カタコトカタコト……トントントンと百合子が二階から降りて来た。
──あら、裁縫部屋を覗いてる。気づかないフリをしていましょう。
カタコトカタコト……もう、百合子は背中から抱きついてきた。しかし麗奈は反応しない。
「ねぇ、何で無視をなさるのぉ?」
「ふふふ、それは百合子さんが可愛らしいからですよ」
本当は麗奈の心臓が少し跳ねたのだけれど、百合子が甘えて拗ねるのが可愛らしくて、強がって意地悪をした。
百合子は麗奈の後ろ髪を掬い上げ、「意地悪ね」と言って、指で梳きながら悪戯を続けた。
麗奈の髪に細かい三つ編みが作られていく。全てを編み終えると、
「もぅ!構ってくれないなら、二階に行きますからね」
と言って、去って行った。
カタコトカタコト……
カタコトカタコト……
完成はもうすぐなのだ。
日もとっぷりと暮れ、夕食を作らなくてはならない時間が近づいていた。
──でも、まだ縫っていたい。区切りがつかないの。
百合子がまたやってきて、背中から抱きつき、「あんぱんはいかが?」と袋を差し出した。
「商店街へ行ったけれど、作るのも大変だからすぐに食べられるものにしたの」
牛乳とあんぱんを二人で齧っていると、なんだか非日常を感じて、頬が緩み笑みが溢れる。
「ありがとうございます。……もう少し頑張りたいのです」
「気分が乗っているのね、わかるわ」
百合子は微笑み、あんぱんを頬張っていた。
モグモグ、モグモグ……百合子の一口は大きく、リスのように頬を膨らませて咀嚼する。小動物のような可愛らしさが滲み出る。
麗奈はそれを見る度に目尻を下げ、心をほどけさせていた。
「百合子さん、ありがとうございます。元気が出ましたわ」
それから、また麗奈は集中して、
カタコト、カタコト……
カタコト、カタコト……
柱時計が鳴り、夜の十二時を回ったことに気づく。
糸を始末して、最終確認。
裁縫室を出て百合子を呼びに行くと、彼女は居間のソファでうとうととしていた。
「百合子さん……」
「あ、麗奈、寝る?」
「ウエディングドレスが出来上がりましたの、試着していただけますか?」
百合子は眠気まなこを擦りながら、裁縫部屋へ来て、ワンピースを脱ぎシミーズ姿になった。
ウエディングドレスに袖を通し、背中のファスナーを閉じていく。
透けたレースの袖。丸首のフィットした上身頃、ウエストからはフレアのレースのスカートが足首まであり、シルクが中地になって、ほのかに光る。
「ラインも綺麗ね」
細部までチェックしていると、
「麗奈も着てちょうだい」
麗奈のドレスはクリーム色。
百合子が似合うと言って、選んでくれた色。
二人が綺麗に見えるドレスで、迎えたい秘密の結婚式。
百合子は麗奈のドレスの背中のファスナーを上げると、髪の沢山の三つ編みを解いて、玄関の姿見まで連れていく。
パーマをかけたような、髪のウェーブが外国の少女のように、華やかに揺れていた。
「麗奈、綺麗よ」
「イタズラしてたのだと思ってましたわ」
百合子は麗奈の髪を指で梳きながら、
「ふふ、イタズラよ。こんなに綺麗になるとは思ってなかったわ」
無邪気な笑みを浮かべて、鏡を覗き込む二人。
「百合子さん、式はいつにしましょうか」
「指輪が届いたら、二人だけの結婚式を挙げましょう」
二人は軽く抱きしめあってから、汚さぬようにドレスを脱いだ。
秋から縫い始めた、憧れのウエディングドレス。
衣紋掛けに通すと、二着並んで寄り添い揺れていた。
麗奈と百合子はそれを眺めながら、達成感を分かち合う。
──もうすぐ二人の春がやってくる。