逸漣 / 第50話
第29話 二人のウェディングドレス
ミノリさんの結婚式が終わり、一か月くらい経った八月の終わり。
残暑が続き、麗奈は額の汗をハンカチで拭いた。
布を汚さぬように気をつけながら、カタコトカタコトとミシンで縫ってゆく。
心地の良いリズムと、縫い目を追う事に集中していて、「ごめんくださいな」という若い女性の声と、戸を叩く音に気づかなかった。何度目かでやっと気づき麗奈は声を掛けた。
「すみませんー。もう少しできりがつきますので、お待ちいただけますか?」
糸を始末して、玄関を開けるとミノリさんが立っていた。
「近くまで来たの。これ、良かったら召し上がってください」
ミノリさんから渡された紙袋から水羊羹の箱が見えた。
「わぁ、百合子さんもお好きなの。ミノリさん、お上がりくださいな。お茶にしましょう」
「恐れ入ります」
若奥様になったミノリさんは、なんとなく以前より大人っぽく、艶やかに香りたつ女性になった……なんて麗奈は思いながら、ソファへ案内すると、二階から百合子が降りてきた。
「あ、ミノリさん。写真の現像出来てますのよ。洋裁教室にお持ちしようと思っていたんですの」
三人で水羊羹と冷たい緑茶を頂きながら、
「この写真のミノリさん素敵ね」
「お料理も、他のテーブルの方々の写真も!ありがとうございます」
ミノリさんは写りの良い写真に見入っていた。
画家が写真を撮ると、人や物の配置も素敵になる気がすると麗奈は思った。
しばらくミノリさんの新婚生活の話などを聞いていると、百合子は二階のアトリエへ戻って行った。
「ねえ、麗奈さん何を縫ってらしたの?見たいわ」
麗奈は「あ、ちょっと待って」と言い掛けたが、玄関の横のミシンの部屋の戸は開いたままだった。
ウェディングドレスのシルクのスカートが風に靡き、夏の照りつける日に輝いていた。
「ウエディング……ドレス?」
麗奈は言葉も浮かばず目を伏せた。
──あぁ、これでもう洋裁教室にも行けなくなるかも……
麗奈は俯き、肩を落とした。
「綺麗なドレスね。わたしに手伝えることはある?」
「え?」
麗奈と百合子のことに関しては何も言わずに、「ここのデザインが素敵ね」と、ドレスのことだけを口にして、いつもと変わらぬミノリさんのままだった。
百合子がシフォンの袖を付けたいと言うので、麗奈が何度もやり直していたところをミノリさんが縫い直してくれて、難所を乗り越えることが出来た。
「あの……ミノリさん。その……」
麗奈は胸の前で頼りなげに指を持て余す。その手を握り、ミノリさんは優しく微笑んだ。
「もちろん秘密にするわ。わたし、麗奈さんを……お友達と思っているの。その……二人はとてもお似合いよ」
「ミノリさん……ありがとう」
ミノリさんは麗奈の身体にドレスを当てて、
「あの、これからも手伝いに来ても良いかしら?洋裁教室には……持って行かないのでしょう」
麗奈はまた肩を強張らせながら、ミノリさんを見つめる。
「うん……良いの?」
「もちろん!わたしのドレスも手伝って貰ったのに、何かお返ししたいじゃない。それに最終調整は麗奈さんがドレスを着て、自ら微調整するのは出来ないもの」
洋裁教室で普段着などを作り、違う日にミノリさんとドレスを少しずつ、おしゃべりをしながら縫っていく。おかげで二着のドレスを作る作業も、楽しい時間になる。
近すぎず遠すぎず、心の距離が心地よい。そして、鈴が鳴るように軽やかによく笑うミノリさん。
同性愛についても気にしていないようで、何も聞いてこない。
ここに越してきてから、百合子しか話せる人がいなかった麗奈に初めて出来た友達。
「ここに来て、本当に良かったわ」
「え?何か言った?」
「ううん、なんでもない」
一人がミシンでカタコトカタコト、もう一人がアイロンをかけたり、仮縫いしたり。
ほのかに鼻腔をくすぐる鉄とミシン油の匂い。憧れたミシンに触れる喜びが、時折胸に広がる。
レースの繊細な生地は、伸縮し扱いが難しいのだけれど、二人は根気よく、けれど軽やかに微笑み、鼻歌を歌いながら、
チクチク、カタコトカタコト……
その時、晩夏の風に靡き、シルクのフレアスカートが揺れた。
二人はその様を見つめ静かに微笑んだ。その先の喜びを予想しながら。
以前は『ばあやの部屋』だった『麗奈の裁縫部屋』は、今日も楽しいリズムを刻んでいる。