逸漣 / 第49話

第28話 ミノリさんの結婚式

 夏真っ盛りの七月の終わり、ナカムラマチ子洋裁教室の皆はミノリさんの披露宴に呼ばれ、駅前の白いホテルへと足を運んだ。  ヨーロッパ風の柱は陽光を受けて淡く輝き、扉の向こうに広がるえんじ色の絨毯は、柔らかく沈み込むようで、初めて足を踏み入れる麗奈たちの胸を少し緊張させた。   新築の香りとモダンなデザインが、期待と興奮をそっと混ぜ合わせる。  披露宴会場には、主役の登場を待ちわびる人々のざわめきと笑顔が広がっていた。  麗奈たちのテーブルには、マチ子先生、和子さん、陽子さんと……百合子。  百合子は招待されていないのだけれど、百合子が写真を撮ると申し出ると、ミノリさんも喜んで、招待してくれたのだ。  麗奈はそれが普通のことなのか分からないが、押しかけて式に来たようで少し恥ずかしくも思っていた。 「立派なカメラねえ。本当にお嬢さんの家は、なんでもあって良いわねぇ」  マチ子先生も目を丸くしているが、百合子はマイペースに歩き回り、新しいホテルの内装の写真を夢中で撮っていた。 「麗奈さん、お宅の|雇い主《ご主人様》は自由よねぇ」 「お金持ちの娘じゃなきゃ、路頭に迷ってたわよ」  和子さんも、陽子さんも、百合子を見た事もない人種のように、物珍しそうに見ていた。 「百合子さんは画家ですし、少し世離れされているかもしれませんが、良い方ですよ」  麗奈は庇いつつも、仰る通り自由に振る舞い、瞳を輝かせパシャパシャと写真を撮っている百合子の姿が少し可愛らしくて笑ってしまう。  飲み物をいただきながら話をしていると、そろそろ神前式が終わり、この披露宴会場に向かっていると司会が伝えた。 「百合子さん、そろそろ席に着いて待ちましょう」  麗奈が声を掛け、席に着いても百合子はまだ好奇心を抑えられずウズウズしていた。  山の形に整えられたナプキンを広げたり、フォークやナイフに触れたり、百合子は子供みたいにじっとしていられず、他の三人を呆れさせていた。 「麗奈、テーブルマナーってご存知?ワタクシ……箸でもいいかしら」 「箸もあるし、良いかもしれませんわ。大丈夫、美味しく頂きましょう」  テーブルクロスの下で三人に分からないように手を握る百合子。麗奈は気付かれてしまわないかと、少し肩が上がってしまう。  百合子の手が少し震えている。こういう会場は麗奈も初めてで、少し落ち着かない。  そっと握り返すと、百合子の手がふわりと力を抜いて、麗奈の手に乗るように重ねられた。  ◇  司会の声に皆静まり、新郎新婦が登場した。  あの白いドレスを着たミノリさんとタキシード姿の新郎・久志さんがゆっくりとテーブルの間を歩んで行く。  皆拍手で迎えるが、百合子はカメラを抱えて、ミノリさんをフレームに収めるためについて行く。  写真館のカメラマンもいるのに、百合子は素敵なワンピースを床に付け、片膝立ちでカメラを向けたりしてとても目立っていた。 「ケーキ入刀です」と司会の声がすると、カメラマンと百合子は互いを邪魔しない位置で、シャッターを切っていた。  二段重ねのケーキには、バタークリームで出来たバラに、エメラルドのようなアンゼリカが葉のように添えられ、ルビー色に輝くドレンチェリーが等間隔に礼儀正しく並び、華やかさを演出していた。 「素敵……」  会場中が拍手で、二人の初めての共同作業を讃えた。  終始、美しいミノリさんのウェディングドレス姿にため息が出る麗奈。  ──早く私も、お嬢様もドレス着たい……な。  上司や友人のスピーチの間、豪華な食事が出てきた。 「祝肴とお吸い物でございます」  黒豆・数の子・田作りが乗った細長い黄色のお皿と蛤の吸い物が美しく並べられる。 「麗奈、ホテルだから、洋食が出るものだと思っていたけれど良かったわ」  百合子は安心したような表情で、お吸い物を啜っている。麗奈も前の仕事の時に、数回洋食に連れて行かれたことがあったけれど、テーブルマナーを教えられるほど自信もないので、軽く胸を撫で下ろした。  会場には新郎のお祖父様の詩吟が響いている。和やかで素敵なご家族だねぇ、と和子さんは手拍子を打っていた。  百合子は食べ終えるとすぐに写真を撮りに行く。  ──もう、落ち着かないったら。カメラが使えてはしゃいでいるのかしら。  麗奈も手拍子を打ちながら、視線は百合子へ注がれる。 「エビフライでございます」  キャベツの千切りとじゃがいもの潰したもの、タルタルソースを添えた皿が並び始めると、ススッと百合子は戻ってきた。 「洋食も出るのね!エビフライ大好きなの」  麗奈はフォークとナイフを手に持ったが、百合子はお箸を持ち、大きなエビフライにガブリと噛み付いた。  他の三人も「テーブルマナーなんていらないわよね」と目配せをして、箸に持ち替え百合子と同じように、大きく口を開いてガブリ。  気兼ねなく楽しめるテーブルが居心地良く、麗奈も箸に持ち替えた。  百合子の無邪気さが、皆の肩の力を抜かせてくれる。  ビーフステーキが出る頃、新郎新婦は一旦退席した。司会が「しばしご歓談を」と言うと、会場はビール瓶を持ち酌を交わし挨拶回りが始まった。  麗奈がフォークとナイフでビフテキを切り分けて、百合子の皿と取り替えると、嬉しそうに肉を頬張っていた。  マチ子先生は肉が噛み切れないと諦め、和子さんと陽子さんは、麗奈の所作を真似て、皆で洋食を楽しんでいた。  再び新郎新婦が入場し音楽がかかる。  各テーブルの真ん中に、蝋燭を囲むように一輪の百合を主役に、白薔薇と霞草が添えられ、淡い香りと共にテーブルに華やぎを広げている。  その蝋燭に、火を灯していく新郎新婦。  「ミノリさん、綺麗よ。おめでとうございます」と麗奈が声を掛けると、宝石のように眩しい笑顔で応えるミノリさん。  ドレスや、ベール、キャンドルを持つ指先まで見惚れる──百合子もベールがそよぐのを見つめて、ウットリと瞳を揺らしていた。 「麗奈、素敵ね」 「はい……」  百合子は他のテーブルのロウソクを灯す瞬間をカメラに収めに行く。  スポットライトが二人を照らし、厳粛な空間になる。二人の幸せを分け与える様な柔らかな灯りが、テーブルごとに灯るたびに幸せが広がっていく。     切り分けられたケーキと紅茶が振る舞われた。  先程の二段のケーキのように、バラの形のバタークリームの真ん中にドレンチェリーが乗った、愛くるしい洋菓子。  ──あぁ、こんなに可愛らしいケーキなのに。百合子さんに早く見せたい──  百合子が席に戻る頃、紅茶はすこし冷め始めていたけれど、二人で「かわいーっ」と声を揃え見つめあった。  百合子は料理も全て写真に収め、 「ミノリさんの来客をもてなす心が細やかに行き渡っていて、素敵な披露宴ね」  ケーキの皿を持ち上げ、キラキラとした瞳で眺める百合子。 「本当、素敵な式ですわ。憧れてしまいます」  麗奈が言い終わるか否か、皿をそっとテーブルに置き、百合子は手で口元を隠して麗奈に耳打ちをした。 「今度、あの生地専門店に二人で行きましょう。私たちも秘密の結婚式を挙げたいわ」  ──耳にかかる吐息に震えたわけじゃないのに……麗奈はフォークを落としてしまった。    すると、ウェイターが素早く代わりを届けてくれた。  フォークでケーキを切り、一口含むと、ねっとりと甘いバタークリームが、更に甘くなって麗奈の口の中も、胸の奥さえも甘やかに溶けていく。紅茶で流しても、この甘さは取れない。  ──だって、だってそれって……プロポーズじゃないの?──  輝くライトの下のミノリさんの姿に、麗奈と百合子を重ねて……フワフワと空想の世界に入り込む。花をたくさん飾った部屋にウエディングドレス姿の麗奈と百合子、二人きり……。  もう、しばらく麗奈は現実に帰れそうにもなかった。  テーブルの蝋燭の光が、ロマンチックに揺れている。  披露宴が終わるまで、夢見心地のまま。このまま浸らせていて──

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