逸漣 / 第5話

第5話 戸惑う指先、光のデッサン

 午後の穏やかな光が窓から差し込み、アトリエを満たしていた。百合子はイーゼルの前に座り、麗奈を見つめていた。  麗奈はメイド服のまま、少し恥ずかしそうに視線を泳がせていた。  背筋はまっすぐに伸び、肩の力はほんの少しだけ抜けているようだった。                    栗色の髪は軽くウェーブしていて、腰の近くまで長く、アトリエの天窓からの光に照らされると金色に輝いていた。    膝から裾までのスカートのドレープの影、長い首のライン、手首のひねり、表情の変化、指先に潜む微かな緊張――百合子はそれらを一つずつ丁寧に観察し、鉛筆を寝かせて影を描き留めていく。 「…麗奈、その指先、少し傾けていただけるかしら? 指輪の光も見せてほしいの」 「はい…」  麗奈が微かに手を傾けると、銀の指輪が光を受けてキラリと反射した。華奢な指輪が細くしなやかな指先を際立たせ、手首の曲線や指先の柔らかさをより鮮やかに映し出している。  百合子と視線が絡む時、麗奈が目を逸らす。それが百合子に靴の中に小石でもあるような心地の悪さを感じさせた。  鉛筆を休め、麗奈の表情をしばし見つめる。視線が絡むのを避けて目を伏せた、麗奈の長い睫毛に影が出来ていた。    髪の一筋が頬にかかる瞬間、体の向きがほんの少し斜めになるだけで、麗奈の女性らしい曲線が際立った。  窓の外を吹き抜ける風が、カーテンをわずかに揺らした。  そのたび、鉛筆の硬い匂いがふわりと漂い、アトリエの空気に静かな存在感を残す。    「……今日はこのくらいにいたしましょうか。麗奈、ありがとう。動いても大丈夫ですわ」 「はい……百合子さん」  椅子から立ち上がった麗奈は、少し照れくさそうに背伸びをする。その動作の中でも、指輪が光を放ち、描かれた画面にほんのりとした輝きを添えた。  二人の視線がふと重なった瞬間、短くも確かな温もりが流れた。  出来上がった数枚のデッサンを眺めると、実物の麗奈を超える美しさはまだ描けてはいない。しっかりと観察しているのに、どこか麗奈ではない人物のようだった。  試しに棚の上の花瓶を簡単に描いてみても、腕が落ちているとは思えない。  しかし、何かが足りない――百合子は麗奈の本質を、まだ完全には見切れていないのだと悟ったのだった。 「百合子さん、納得がいっていないのでしょう?私なら大丈夫ですよ」  動かないというのは本当に疲れることなのに、健気な申し出をする麗奈。 「ありがとう、麗奈。これはきっと、ワタクシの問題なのだと思うの」  デッサンを窓辺に並べ、少し遠くから眺めた。  視線をゆっくり巡らせるたびに、心に引っかかる何かがわずかに揺れて見えた。  百合子は溜め息をひとつ、静かにこぼした。  麗奈は何が問題なのかわからないといった表情で、イーゼルの前にしゃがんだ。  彼女のスカートが百合子の足をかすかに撫でて、百合子の肌と心をくすぐった。  百合子は立ち上がり、麗奈に気付かれないくらいにそっと一歩離れながら、ため息をついた。 「少し、一人で努力してみますわ……」    アトリエに満ちる光が、二人を柔らかく包み、ほのかに輝く。  百合子が描いたデッサンよりも、このアトリエが世界から切り取られたアート作品のようだった。

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