須藤 / 第5話

第五話:サキ、休憩と珈琲と

 午前十時。チアキは土器洗浄の休憩時間になると、反射的に「土器にドキドキ」Tシャツの袖で額の汗を拭った。今日の洗い場は、いつもより風通しが悪い。じっとりとした汗が、首筋を這い上がってくるのが気持ち悪い。 「あー、もう、サウナみたいですぅ」  思わず呟くと、隣で静かにマグカップを傾けていたサキ先輩が、ちらりとチアキを見た。  青山沙希。チアキと同じ吉村研究室に所属する大学院生だ。  彼女は、首に巻いたベージュのネックゲイターを少しずらし、涼しげな顔をしている。チアキとは対照的に、汗ひとつかいていないように見える。 「チアキ、そのTシャツ、汗吸うタイプ?」 「え、あ、これですか? 普通の綿ですよ!だって可愛いのがこれしかなくて……」  チアキが胸元の文字を指差すと、サキは小さく息を吐いた。 「この時期の現場で綿はきついよ。汗冷えもするし、乾かないから余計に体力を奪われる。それに……」  サキはチアキに顔を近づけて、耳元で小さい声で囁いた。 「透けるでしょ」  チアキはハッと目を見開き、自分のTシャツを見下ろした。確かに、汗で張り付いた白い布地の向こうに、インナーの淡い色がぼんやりと透けているのがわかる。一瞬で顔が真っ赤になり、慌てて腰に縛っていたオレンジ色のつなぎを引っ張り上げ、バタバタと上半身を着込んだ。 「う、うわあああああ! せんぱぁい! そ、そんな、まさか!?」  そんなチアキの狼狽ぶりを見て、サキはふっと口元を緩める。 「そういうこと。だから、こういうの」  そう言って、サキは自身の着ているくすみブルーの長袖シャツの袖口を少し捲った。ちらりと見えたのは、薄手の吸汗速乾素材。 「アウトドアブランドの機能性素材だと、汗をかいてもサラサラだし、日焼け対策にもなる」 「わー! 先輩、いつも全然汗かいてないように見えるから不思議だったんです! そういうことなんですね!」  チアキは前のめりになった。なんでも知っているサキに、こころなしか後光が見える。 「あと、飲み物。それ、ペットボトルだよね。冷えすぎるとお腹壊すし、すぐぬるくなるから」  サキは手にしていたマグカップを軽く持ち上げた。結露一つないステンレス製。 「私はこれ。魔法瓶に、自分で淹れた温かいブラックコーヒー。休憩中に飲むと、集中力も戻るし、内側から体を温めてくれるから、夏バテ防止にもなるんだ」 「温かいコーヒーですか!? この暑いのに!?」  チアキが驚くと、サキはマグカップから立ち上る湯気を眺め、静かに答えた。 「最初はね。でも、体が慣れるとすごく楽になる。現場では、自分を最高のコンディションに保つのが一番大事だから」  須藤先生の「記録は未来への手紙」という言葉が、チアキの頭をよぎった。道具も、身につけるものも、口にするものも、すべてが「現場で最高の状態を保ち、最良の記録を残す」ために選ばれている。 「チアキ、甘かった……!」  チアキが再び反省の声を上げると、サキは残りのコーヒーを飲み干し、立ち上がった。 「午後からも頑張ろう。体調管理も、考古学者の仕事のうちだよ」  そう言って、サキは洗い場へと戻っていった。その背中が、機能的なウェアと相まって、より一層頼もしく見えた。チアキは、使いかけのペットボトルを見つめ、少しだけ考え込んだ。 「私も、魔法瓶、買ってみようかな……」  チアキの夏の現場は、まだ始まったばかりだ。
【サキのフィールドノート:休憩の質と現場の身体、快適はプロの条件】  今日のチアキは、やはりというか、汗だくで休憩所に戻ってきましたね。着ていたTシャツは汗で張り付いて、見るからに不快そうです。  白いTシャツは汗で濡れて肌に透け、インナーの線まで浮かび上がっています。彼女の「可愛い」という基準も分からなくはないですが、現場では「機能性」が何よりも優先されるべきだと、改めて感じました。  多くの学生が、現場での服装や休憩の取り方を軽視しがちです。しかし、長時間にわたる肉体労働と精神的な集中を要する発掘調査において、「いかに快適な状態を保ち、身体のコンディションを維持するか」は、そのまま「いかに質の高い仕事ができるか」に直結します。  これは、考古学者としてのプロ意識の根幹をなすものだと、私は考えています。  身体も「道具」──適切な手入れと準備を  私はいつも、休憩時には自分で淹れた温かいブラックコーヒーを魔法瓶に入れて持参しています。チアキは驚いていましたが、これには明確な理由があります。  炎天下で冷たい飲み物を大量に摂ると、一時的に涼しく感じても、胃腸が急激に冷えてしまい、かえって体力を消耗したり、体調を崩したりする原因になります。  温かい飲み物は、身体の内側からじんわりと温め、体温の急激な変化を抑えてくれます。これにより、過剰な発汗を抑え、汗冷えを防ぎ、胃腸への負担も軽減できるのです。カフェインによる集中力回復効果も、午後の作業には欠かせません。ただし、現場によっては飲食物の持ち込みに制限があったり、カフェインの利尿作用で脱水を招く可能性もあるため、水などでの適切な水分補給とのバランスが重要です。  服装も同様です。綿素材は汗を吸いやすいですが、乾きにくく、汗冷えの原因になります。  また、濡れた状態が続くと肌荒れのリスクも高まります。吸汗速乾性のある機能性素材は、汗をかいてもすぐに乾き、常にサラサラとした肌触りを保ってくれます。  これは、日焼け対策としても非常に有効です。  私たちは、スコップや刷毛といった「道具」を丁寧に手入れし、最高の状態で現場に持ち込みます。それと同じくらい、あるいはそれ以上に、自分の「身体」という最も重要な道具を、最高のコンディションに保つ努力をしなければなりません。  休憩の「質」が、発見の「質」を決める  発掘調査は、体力勝負の側面もありますが、同時に繊細な観察眼と冷静な判断力が求められる仕事です。  疲労が蓄積すれば、集中力は低下し、些細な見落としや判断ミスに繋がる可能性も出てきます。  だからこそ、休憩時間は単なる「休む時間」ではなく、「次の作業のために、心身をリセットし、最高の状態に戻す時間」であるべきです。温かいコーヒーをゆっくりと味わい、機能的なウェアで身体を快適に保つ。そうした一つ一つの選択が、現場でのパフォーマンスを左右し、ひいては「発見の質」にも影響を与えるのです。  チアキには、まだ経験を積む中で、この「休憩の質」の重要性を理解してもらいたい。そして、身体もまた、大切な「道具」の一つであることを学んでほしいと願っています。

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