南江行瀬 / 第3話

逃亡

「はい、これで大丈夫よ」  ここはカプリスの医務室。依頼で怪我をした際に治療を受ける為の場所だ。この場所は真波の管轄であり、この部屋の中では彼女が最高権力者である。 「それにしても、どうして金庫番の奏斗くんがこんな怪我をしてるの?」 「いや……えっと……」  今回治療を受けたのは、組織の最年少で金庫番である結木だ。何故か肩や腕に怪我を負い、血を流しながらここまで自力でやってきたのだ。幸いにも傷は浅く、命に別状はない。  怪我をした事を咎められているように感じた結木は、気まずそうに視線を下へと向ける。 「怒らないから言ってみなさい」 「……えっと、その…………」 「大丈夫。本当に怒らないから」 「……白峰さんに、"少しは現場も見ていた方がいいだろう"って、それについて行って……」 「…………そう。よく言えたわね」  真波は結木の頭を撫でてやると、片手間でスマホを取りだした。プルルルと電子音が何度か鳴るが、一向に出る気配は無い。 「へぇ……私の連絡を無視するの……」  ポツリと呟いた後、またスマホを操作して誰かに電話をかけた。今度は二、三度の電子音で通話が繋がった。 『陽乃か、どうした?』  電話越しに聞こえる成瀬の声。周りは静かなようで、雑音のようなものは聞こえない。 「いきなりごめんね鉄也。優を知らない?」  穏やかな口調なのに、どこか冷たい空気を感じる。この場にいる結木は勿論、電話越しの成瀬でさえも息を飲んだ。 『い、いや……今日は単独の依頼で、朝から出たきり俺は何も……』 「じゃあ、その依頼に奏斗くんを連れてった事も知らない?」 『はぁ!?アイツそんなことしてたのか!?』 「そうみたいなのよ。ちょっとお説教が必要かと思って電話したんだけど出ないのよ」 『分かった。俺も探してみる』 「頼んだわ」  通話を終えた真波は、とても綺麗な笑顔を浮かべている。それでも静かな怒りは滲み出ており、結木は小さく震えた。 ─── ── ─  真波との通話を終えた成瀬は、試しに白峰へ電話をしてみる。いつもならすぐに出るのにも関わらず、今回は一向に出る気配が無い。完全に逃げている証拠だ。  万が一の為に持ち歩かせているGPS端末は、白峰の自室を指している。そこへ行ってみれば、端末のみがテーブルの上に鎮座していた。 「ったく、どこ行きやがった……」  スピードだけで言えば、カプリス内で白峰の右に出る者はいない。もう遠くへ逃げている可能性も視野に入れ、成瀬は黒原に電話をかけた。 「黒原、白峰を知らねぇか?」 『白峰っすか?さあ……?今日は見てないっすね』 「そうか。実はな……」  事情を話せば、呆れたような声で大きく息を吐いた黒原。 『あー……終わったな白峰……』 「探すの手伝ってくれるか?」 『もちろんっすよ。てか探さないと真波さんに絞られそう……』 「……否定はしない」  通話を終え、成瀬は街へと足を運んだ。白峰が計画的に逃げるのは初めてではない。これまでにも何度か逃げていた事がある。  その時の経験から、白峰が逃げ隠れるであろう場所は3つ。人目につかず、なおかつ一人で静かに過ごせる場所だ。 「街外れの茶屋、隣町の廃工場、あとは……」  茶屋と廃工場は黒原に任せる。残る一箇所を思い浮かべた成瀬は、思わず眉を顰めた。 「あそこか……?」  思い浮かべた場所へ向かうべく、街を急いで抜ける。周りの景色から建物が減り、閑散とした町へと変わっていく。  町は海に面しており、その海は夏場には穴場の海水浴スポットとなっている。 「この時期はまだ冷えるな……」  海へと出た成瀬は、浜辺を歩いて目的の場所へと向かう。  暫く歩いていけば、岩肌が剥き出しの洞窟が見えてくる。そこは地元でも有名な不気味な洞窟だ。肝試しの時期でさえ、人が寄り付く事はほとんどない。 「おーい、白峰ー」  洞窟へ向かって声をかければ、その声は木霊する。返事はない。代わりに波の音だけが響いている。  成瀬は小さく舌打ちをして更に奥へ進んでいく。ゆっくりと中へ進んでいけば、まるで身を守るかのように膝を抱えて眠っている白峰が居た。 「寝てんのかよ……」  起こすのも申し訳ないくらいな気持ちよさそうに寝ている。しかし起こして事情を聞かなければならない。痛む心を押し殺し、成瀬は白峰を揺さぶった。 「おい、白峰起きろ」 「……んん」 「起きろってば、こんな所で寝てたら風邪ひくぞ」 「ん……あれ、テツさん……?」  寝ぼけている白峰は、自身が逃亡中である事を忘れてしまっているようだ。仮に覚えていたとしても、成瀬の前では逃げる事は出来ないだろう。 「起きたな。今日何してたか言ってみろ」 「…………ぁ」  そこで目が覚めたのか、しまったという顔をして、気まずそうに視線を背けた。しかしそれを成瀬が許すはずもなく、頬をしっかりと捕まえて目を合わせた。 「言ってみろ」 「……奏斗を、現場に……連れていきました……」 「理由は?」 「…………」 「理・由・ は?」 「……少しでも、慣れてもらおうと思って」  今日の依頼は、取引の護衛だった。白峰は依頼人の傍に控え、結木もその近くにいた。  取引自体はつつがなく終わったのだが、相手が裏切り突然発砲した。  急いで結木を物陰に隠し、相手との戦闘になった。袋小路だったこともあり、逃げ場がない。依頼人と結木を守りつつ、相手を倒す必要があった。  白峰の主張は、奏斗は裏の金も管理する。そうするといつかは血を見る日が来る。だから今のうちに慣れておいた方がいいと思った。  自分が守りきるつもりだったが、油断してしまって怪我を負わせてしまった。と。 「それで、申し訳なくて……、奏斗に医務室に行くように指示をしたあと、逃げました……」 「……お前なぁ」  膝を抱えて小さくなっている白峰の頭を成瀬は乱暴に撫でる。白峰に悪意がなかった事は分かった。むしろ善意か裏目に出てしまったのだ。  確かに、この裏の世界は血を見ることが多い。慣れておくに越したことはない。 「奏斗はまだ14だ。いくらお前が居たって現場はまだ早い。血に慣れさせるだけなら、陽乃の手伝いをさせりゃいいだろ」  そう言った時、成瀬は思い出した。真波に言われて白峰を探していた事を。 「っ!そうだ白峰、陽乃が怒ってたから早く帰って説明しろ!」 「えっ、いや……でも……」 「俺も一緒にいてやるから!!」  渋る白峰を成瀬は無理やり背負った。驚いて降りようとする白峰だったが、筋力では完全に負けているので逃げようがない。 「ちょ、さすがに恥ずかしいですから!!」 「離したらお前また逃げんだろ!?」 「……」 「図星かよ!!」  そんなやり取りをしつつも、数十分後には事務所の医務室に着いていた。  この場に居るのは真波と成瀬、そして白峰のみである。静かに笑っている真波に、成瀬へした説明と同じことを伝えた。 「はあ……。全く。次はないからね。もし連れて行くなら、事前に皆に伝えておくこと。いいわね?」 「はい、すみませんでした……」 「奏斗くんにもしっかり謝るのよ」 「はい……」  今回はお咎めなしという事になり、白峰は早々に開放された。その足で白峰が向かったのは経理室。ドアをノックすれば、すぐ入室を許可する声が返ってくる。 「奏斗」  白峰は結木がいつも通り電卓を叩いていることに安堵する。しかし心做しか、その速度は少し遅い。きっと傷に響いてしまうのだろう。 「ぁ、白峰さん……」 「ごめん、奏斗。現場はまだ早かった」 「い、いえ……。俺が、隠れてろって指示を無視したから……」 「それでも守れなかった。君が怪我をしたのは僕のせいだ」  頭を下げる白峰に、結木は戸惑いつつも自分にも非はあると言った。  結木は、白峰が現場へ連れていった理由を知っている。この裏社会に身を置いているからには、いつかは見るであろう血濡れた現場。  今回、初めて血を流し死んでいる人間を見た。とめどなく流れるそれが、とても怖かった。 「怪我はしたけど、かすり傷だから……白峰さんが守ってくれたおかげっす。えっと、だから、その……ありがとうございました」 「……次、もし奏斗が行きたいと言ったら、必ず守るから」  白峰の顔は真剣だ。結木はそれに小さく頷いた。  正直、今のところは行きたいという気持ちはない。血は怖いし、銃声も怖い。結木はまだ14の少年だ。裏の世界を知るのは早すぎた。 「じゃあ、その時はお願いします」  ヘラリと笑った結木を、白峰は優しく撫でた。 「よし、怖がらせたお詫びに、今日は奏斗の好きな物作ってあげる。何が食べたい?」 「えっと、じゃあ……ハンバーグがいいです……デミグラスの」 「わかった。特別にデザートもつけちゃおうか」 「やった……!」  白峰の言葉に、結木は嬉しそうに笑う。年相応の柔らかな笑みに、白峰も小さく笑みを零した。 「じゃあ先に帰って準備してるから、残りの仕事頑張って」 「はい。お疲れ様です」 「ん」  経理室から出ていった白峰を見送った結木。残りの仕事はあと一息で終わりそうだ。帳簿を開き、電卓に手を添える。 「よし、やるぞ……!」  家に帰れば好物が待っている。そう考えると、いつもより頑張れるような気がした。 ─── ── ─  あれから数日。結木は時折医務室を尋ねるようになった。怪我をしている訳ではなく、成瀬の助言もあり、少しでも血に慣れようと思ってのことだ。  今も怪我をした黒原を治療している真波を、少し離れた所から眺めている。 「どう?少しは慣れた?」 「見るぶんにはなんとか……。でも見てるこっちが痛くなるというか……」 「あれ、匂いは平気なのか?」  腕に巻かれた包帯を確かめながら、黒原はそんな疑問を投げかけた。  血の匂いというのは生臭く、不快感の強いものだ。それは裏の世界に居る人間でも、苦手だと言う者は少なくない。 「はい。どちらかと言うと、落ち着くというか……好きな匂いです」 「……変わってんね」 「あらあら、無意識かしら」 「?」  黒原は首を傾げる。真波はそれ以上何も言わなかった。  真波は知っている。この組織で一番血を浴びているのが白峰であり、その白峰と生活を共にしているのが、結木だという事を。

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