逸漣 / 第2話

2.黒猫娘の名は「ラー」

 その日も夜の帷を降ろしながら歩くルカ。  お供物を貰って、神殿に向かうと……黒猫娘の匂いがした。  気づかぬフリをしながら、神殿の入り口に鶏肉の欠片を一つ落とす。  もちろん、わざとだ。  ルカは神殿の水溜まりに葉を一枚浮かべて、そこにも鶏肉の欠片を一つ置いた。  その先にもまた葉を一枚、またその先にも一枚。そして祭壇に、お供物を全て置いてルカは寝転がった。  おいで、おいで……  そう思いながら、瞼を閉じて耳を澄ます。  そう、その音。二万四千ヘルツの音が交差して跳ね返っている。  可愛らしい、お腹が空いて焦っているのね。  最後の葉の上の鶏肉を食べ終えると、じっと動かずにいる。新たな音が生まれずに、広がって消えて行った。  あと三歩近づけば、大きな肉の塊も、魚もあるのよ。どうして来てくれないのかしら。  ルカは瞼を開けて、黒猫娘を見た。  黒猫娘は、ビクッと身を縮め、脱兎の如く入り口まで戻ってしまった。  怖いのね……もう少し様子をみようかしらね。  ルカは次の日も、また次の日も入り口に一つ、葉を三枚等間隔に浮かべて、その上に肉の欠片を置いていく。  ひと月ほど続けた頃、少し黒猫娘の様子が変わってきた。ルカが目を開けていても、三枚目の葉の位置から逃げなくなってきたのだ。しかし、あと三歩を踏み出すことはない。  ルカはとうとう、黒猫娘に声をかけた。 「あなた、お名前はなんて言うの?」  黒猫娘はニャーと鳴き、言葉を発することはなかった。 「話せないのね。……ミケ」  黒猫娘は無反応で、水溜まりに座っている。 「タマ」  黒猫娘は毛繕いを始めた。 「クロ」  ………… 「ノワール」  ……………………  ルカは諦めて、鶏肉をひとかけ、黒猫娘に投げた。黒猫娘は喜んでガブガブと頬張り飲み込むと、次はないのか?と言うように目を満月のように金色に光らせて、ルカを見つめた。 「……いいわ、どうぞ召し上がれ」  大きめの欠片を投げると、食べずに手に持って駆け抜けて行った。入り口で振り返り、黒猫娘は 「ラー」  と言ったのか、鳴いたのかは、わからない。  しかし、その日からルカは黒猫娘を「ラー」と呼ぶことにした。  今日もラーは来てくれるかしら……ルカの頭の中はラーでいっぱいだった。  神殿の窓から見える満月を眺めてはため息を吐く。ラーの目のように美しい月……。    ラーのことばかり考え過ぎて、うっかり、一日だけ夜が明けぬ日が出来てしまった。  村では、天変地異が起こるのではないかと、巫女を舞わせて神事が行われた。  神殿の前の女神像の前に、いつになく豪華なお供物が置かれていた。  ルカは申し訳なさそうに、持ち上げると、ラーの存在に気づいた。 「ラー、あなたって仲間がいるんでしょう。だから大きな肉の欠片は持って帰ったのよね」  ラーはこくんと頷いた。  ラーがルカを見つめ、背を向けて歩き出す。振り返り、ルカを見つめてまた背を向けて歩き出す。  これはついてこいと言ってるのね。  ルカはお供物をスカートに乗せ、ついていく。  そこには子猫が五匹、ニャアニャアと小さな鳴き声をあげて寄り添いあっていた。  肉の塊をラーに渡すと、咀嚼し口移しで子猫に食べさせた。 「あなたの子なの?」  ルカの問いに、ラーは首を振って答えた。  親猫のいない子猫を育てているのか……そんな風に見えた。  森の中の小さな木の根の穴に身を寄せて暮らしているようだった。  ルカは迷っていた。もちろん、この子猫たちにも生きてほしい。しかし、神が生態系に関与しても良いのだろうか。  ルカはお供物を持ったまま、神殿に帰って行った。  ポトリ、ポトリと鶏肉の欠片を落としながら。  あら、落としてしまったものは仕方ないわ。森の仲間や土に帰っていくでしょう。  そして神殿の入り口、三枚の葉。そして祭壇。  勝手に持っていってしまうのは仕方がないわよね。  ルカは瞳を閉じて横たわった。

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