逸漣 / 第1話

1.これが孤独というものか

 ルカは夜の帷を降ろす神。  村の外れの森の入口にある神殿に住んでいる。  今宵は満月がやけに明るく輝いていて、夜行性の生き物たちが活発に蠢いていた。  女神の彫刻に村人がお供え物を置いていく。果物や肉、魚。  村人たちは、夜の闇に紛れて魔物が来ると信じている。魔物から村を護ってくださいと、祈りを捧げていた。  信心深い村人の為に、ルカは魔物を食べていた。  しかし、近頃は魔物も近寄らなくなってしまって、お供え物を少しだけ食べる。  ひとくち齧ればしばらく満腹になってしまうけれど。  今日も夜の帷を降ろし終わったルカ。  ルカの髪が夜の幕を引いて、夕焼け空が月明かりだけの夕闇に包まれていくのが心地良かった。  そして仕事を終えると、お供え物を貰って神殿に帰っていく……はずだった。そこに黒猫娘がお供え物を狙っていた。魔物になりきれない猫娘。特別な力を持たない者だった。  黒猫娘は月のように金色の目をして、お供え物に手を伸ばす。ルカがお供え物を抱えているのにも関わらず、爪を立てた。「痛いっ」  ルカの手に赤い三本の傷が出来て、滴る雫。白い布にじわりと染み込むと、赤は吸い込まれ消えた。 「黒猫娘……怖がらなくていいわ。着いておいで」  ルカは神殿へ歩いていく。前から見ると膝上のスカートのドレス。後ろ姿はロングスカートになっていて、黒猫は裾のレースが揺れるのを見つめていた。  黒猫娘はルカに怯えていたが、ルカの手にある鶏肉も魚も欲しい。その上、スカートのレースがチラチラと揺れて、黒猫娘を誘惑していた。  ルカはまさか自分が歩くたびに、黒猫娘を誘惑しているとは知らずに、神殿に入っていく。  ルカの足が神殿の床の水溜まりの上を歩くと、丸い波紋が広がっていく。吹き抜けの天井から夜露が垂れると八百ヘルツの音を立てて、ルカが起こした波紋と夜露が作った波紋がぶつかり合う。  もう一歩、足を前に運べばまた新たな波紋が生まれぶつかる。広大な正方形の神殿に魔法陣のように波紋が描かれては消えていく。  ルカが水面を踏むたび、四万ヘルツの音が響いていた。  その音が、黒猫娘の耳を癒していた。  耳の良い、猫にとっても心地よい音。    水面に触れず、宙に浮く台座の上に横たわるルカ。そこに供物を置き、鈴なりに実る果実を齧った。  入り口から、視線を感じる。  ルカはクッションにもたれて、眠ったフリをする。  スカートの裾が吸った水もみるみる乾いていく。ルカの身体には湿度も栄養なのだ。夜がしっとりとベルベットの肌触りでいられるのはルカが調整しているから。  ルカが瞼を閉じて、耳を澄ましていると波紋が広がり、二万四千ヘルツの音が響いた。  チャプ、チャプ……  波紋がぶつかり新しい音が生まれ、どんどん台座に近づいてくる。  ルカはまだ眠ったフリをやめない。  黒猫娘は魚を咥えると、振り返り入り口へ向かってバシャバシャと激しい音を立てていく。水の音が終わり、神殿から出て行ったのをルカが知る。  ふぅ、と一つため息。  ──明日は鶏肉も盗りに来るかしら?  期待と共に、ルカは自身の心の変化に気づく。  ──寝たフリをしていた時の高揚感。何百年ぶりかしら。あぁ、今感じているこの気持ち。期待を半分感じ、もしかしてもう二度と来ないかもしれないと不安を半分、感じている。  この不安が……孤独というものなのね。  ずっと何も感じなかったルカは知ってしまった。  胸の高鳴りは副作用のように新しい感情を置いていった。  神殿の窓から大きな満月を眺めていると、薄い雲が流れていくのが見えた。  ルカは立ち上がり、波紋を起こしながら神殿を出る。   さあ、また夜明けのために村の周りを歩こう。夜の帷を開けていく──

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