Zeφyr(ゼファー) / 第14話

11、最後のピース

【【11、最後のピース】】  昼休み。  学食の賑やかな喧騒の中に身を置くと、久しぶりに『普通の大学生』としての時間が戻ってきたようだった。 「おーい、一ノ瀬!」  遠くから悠真が大きく手を振る。そして、その隣には—— 「お」  桜井の姿まであった。 「…………」  遥陽がわかりやすく嫌そうな顔を作る。 「なんでお前ら、いっつもセットなんだよ」  悠真がケラケラと笑う。 「途中で会ったんだよ」  桜井もすまし顔で言った。 「高橋こそ来たじゃん」 「俺は蒼と昼飯食う約束をしてたんだよ!」 「またそうやって既得権益を主張する」 「こっちは六年分の歴史があるんだよ!」  あまりに日常的なやり取りに、蒼は思わず呆れ顔になった。 「遥陽」 「はい」  二人とも素直に腰を下ろし、結局四人で一つのテーブルを囲むことになった。 「一ノ瀬、最近大丈夫か?」  悠真が心配そうに覗き込んでくる。 例の噂の件で大学側から一部の学生へ注意喚起が入ったため、悠真たちも『蒼の身の回りでなにかトラブルが起きている』程度は察しているのだ。 「うん」  蒼は穏やかに答えた。 「今は大学側に全部任せてるから、大丈夫」  桜井も静かに頷く。 「それがいい。下手に動かない方がいいよ」  遥陽が悠真と桜井、二人の顔を交互に見比べる。 「お前ら……今日は妙にまともだな」 「失礼だな!」 「俺たちはいつだってまともだよ」 「蒼に告白した翌日に争奪戦を始めてた奴らがよく言うぜ」 「高橋だってその一人だろ」 「…………」  繰り広げられる不毛な言い合いに、蒼はふっと吹き出した。 「三人とも、どんぐりの背比べだよ」 「俺は六年間の——」 「それ、禁止」 「なんで!?」  悠真が大爆笑する。 「一ノ瀬、高橋のあしらい方が完璧すぎる」 「高校時代からの付き合いだからね」  桜井がふと箸を止め、蒼をじっと見つめた。 「でもさ……次のデート、もう決まってるんだろ?」 「……は?」  遥陽が素早く桜井を睨みつける。 「なんでお前がそれ知ってんだよ!」 「噂で聞いた」 「また噂かよ!?」  蒼まで心底嫌そうな顔をする。 「もう僕のプライベートな恋愛事情、学内の掲示板にでも貼り出したら?」  悠真がニシシと笑う。 「プラネタリウムだっけ?」 「なんでそこまでピンポイントで知られてんだよ!?」  遥陽が本気で頭を抱えた。桜井がスマートフォンを操作しながら呟く。 「宮下が言ってた」 「美咲いいいいい!! 余計なことをお前は……!」  頭を抱えて絶叫する遥陽の横で、蒼はくすりと笑った。 「まだ日にちは決めてないよ」 「あ、そういえばそうだった」  遥陽が顔を上げ、急いで自分のスマートフォンを取り出す。 「今決めようぜ!」 「今!?」 「忘れないうちに!」 「僕は忘れないけど」 「俺が待ちきれないんだよ!」  悠真が心底呆れたように肩をすくめる。 「目の前にライバルがいる中で堂々と次のデートの約束を取り付けるとか、神経太すぎだろ」  遥陽はにやりと笑った。 「だから今決めるんだよ」 「うわ……マジでむかつくわ」  桜井も不満げに呟く。 「じゃあ俺も一ノ瀬をどっかに誘おうかな」 「却下」 「高橋が決めるなよ」 「蒼!」 「僕に振らないでよ」  少し前まで、蒼を挟んで本気で火花を散らしていた三人。今はただのくだらない軽口の応酬だ。けれど、そのくだらない日常の温もりが、蒼にはたまらなく愛おしく、ありがたかった。 「……土曜日」  蒼がぽつりと呟いた。  三人の動きが止まる。遥陽が目を丸くして蒼を見た。 「え?」 「プラネタリウム」  蒼は自分のスマホのカレンダー画面を確認しながら言った。 「今週の土曜日なら、一日空いてるよ」 「…………」  遥陽の顔が、ぱっと明るくなった。 「マジで!?」 「うん」 「じゃあ土曜日で!」 「決定ね」  悠真が『降参だ』と言わんばかりに頭を抱える。 「目の前で完璧に確定しちゃったよ……」  桜井も深くため息をつく。 「これは精神的ダメージがデカいな……」  当の遥陽は、わかりやすいほど破顔していた。 「速攻で一番いい席予約するわ!」  蒼もまた、心から笑っていた。久しぶりに、事件の暗い影とはまったく関係のない場所で、胸の底から。  昼休みが終わり、悠真と桜井の二人と別れた。 「じゃあな、一ノ瀬」 「高橋もな」 「お前ら、妙な噂をこれ以上広めるなよ!」 「広めるかよ!」  二人が去り、キャンパスの木漏れ日の中を、蒼と遥陽は並んで講義棟へと向かう。 「……楽しかった」  蒼が呟いた。 「ん?」 「お昼」 「あぁ……」  遥陽も穏やかに笑う。 「俺さ、あいつらのこと……実は嫌いじゃないんだよな」 「ふふ、なんだかんだ仲良くなってるよね」 「恋敵じゃなきゃ、もっといい奴らなんだけどな」 「まだ言ってる」 「言うね」  やがて、講義棟の大きなガラス扉が見えてきた。ここから先は、二人が受ける講義の教室が別々になる。  昨日までなら、『じゃ、また後で』と、あっさり手を振って別れていたはずだった。  蒼が立ち止まる。 「遥陽」 「ん?」 「…………」  ほんの少しだけ、胸の中に迷いが生じた。  今朝、眠る遥陽の隣で一人噛み締めた想い。 (もしかして……僕、もう遥陽のことが好きなのかもしれない)  昼休み、四人で笑い合っていた時間。その最中も、自分は無意識に何度も遥陽の横顔を盗み見ていた。遥陽が笑っているのを見るだけで、胸の奥がじんわりと温かくなり、安心できた。 「蒼……?」 「…………」  蒼は静かに決意をすると——自分から、遥陽の手を握った。 「————っ!?」  遥陽の全身が、その場で固まった。  講義棟の前の広場。 授業へ向かう学生たちが普通に行き交っている場所だ。 「……あ、蒼……?」 「うん」 「ここ……大学の真ん中……」 「知ってるよ」 「周りに人……いっぱいいる……」 「知ってる」 「俺の手……握ってる……」 「知ってるって」 「…………」  遥陽の頭は完全に処理が追いついていなかった。  蒼の頬が一気に赤く染まっていく。それでも、握った手を離そうとはしなかった。 「昨日まではね」 「うん……?」 「『怖いから遥陽に一緒にいてほしい』って思ってた」 「…………」 「それも、嘘じゃないよ」  遥陽は言葉を失って、蒼の瞳を見つめ返している。 「でも……」  蒼は逃げずに、遥陽の瞳をまっすぐに見つめた。 「今は違う」 「…………」 「怖いから一緒にいたいんじゃないよ」  それ以上は、何も説明しなかった。まだ自分の中でも、明確な言葉として形にできていないからだ。  けれど、これだけは伝えたかった。単なる、吊り橋効果ではないと伝えたかった。  遥陽は、蒼から目を逸らせなかった。 「…………」  数秒の沈黙のあと。 「それ……」  低く掠れた遥陽の声。 「どういう意味か……聞いてもいいか?」  蒼は恥ずかしさに耐えかねて、少しだけ視線を泳がせる。 「……まだ、無理」 「そっか」  遥陽の返事は、驚くほど素直で、優しかった。 「聞かない」 「……いいの?」 「うん」  遥陽は、二人の重なる手元を見つめた。そして、蒼の手を優しく包み込むように握り返した。 「蒼が自分の力で答えを見つけるまで、ずっと待つよ」 「…………」 「俺の欲しい答えに誘導したくないしな」  いつもの遥陽なら、嬉しさのあまり大騒ぎして、何度も問い詰めて、調子に乗って抱きついてきたかもしれない。けれど今の遥陽は、決してそれをしなかった。 「ただ……」 「ん?」  遥陽は、愛おしそうに笑った。 「今……死ぬほど嬉しいのだけは、言わせてくれ」  蒼もまた、恥ずかしそうに口元を緩めた。 「……それくらいなら、いいよ」 「よし」  二人はほんの少しの間、繋いだ手を解かなかった。通り過ぎる学生がちらちらと視線を向けてくるけれど、今の遥陽にはそんな視線など届いていなかった。 「……蒼」 「なに?」 「土曜日」 「うん」 「めちゃくちゃ楽しみにしてる」 「……僕も」 「————っ!!」  遥陽が再び固まった。 「遥陽……」 「ごめん……今の『僕も』は流石に耐えられなかった……」  蒼はくすくすと笑った。  やがて、予鈴のチャイムが遠くで鳴る。ゆっくりと指が離れていく。 「じゃあ……後でな」  遥陽が名残惜しそうに言った。 「うん」  蒼は数歩歩き出し、ふと思い立って振り返った。遥陽はまだその場に立ち尽くし、蒼のことを見つめていた。 「遥陽」 「ん?」 「また後でね」 「……おう!」  蒼が今度こそ教室へ向かって歩き出す。  遥陽は、その背中が校舎の中へ消えるのを見届けてから——人目につかない物陰で。 「…………っしゃあ!!!!」  静かに、けれど力強くガッツポーズをした。  六年待ったのだ。だから、あとほんの少しの間くらい、蒼が自分自身の『本当の恋』を見つけるまで、いくらだって待てる。  ——世界一浮かれた顔を隠しながら。  講義が始まってからも、蒼の頭には教員の言葉がほとんど入ってこなかった。  黒板の上を走るチョークの乾いた音。 ノートに書き連ねていく文字。 スクリーンに映し出される専門的なスライド。  視界には入っているはずなのに、意識にはほとんど残らない。  頭に残っているのは——講義棟の前で、自分から遥陽の手を握った、あの大きくて温かい感触だけだった。 (……なんで、あんなことしたんだろ)  怖かったからじゃない。 それだけは、自分の中で驚くほどはっきりとわかっていた。  昨日までなら、匿名アカウントの存在が怖かったから。一人でいるのが耐えられなかったから。そばにいてほしいと願う理由が、確かにあった。  でも、今日は違った。  ただ、純粋に遥陽の手の温もりに触れたかった。自分の意思で。自分から。 「…………」  蒼はシャーペンを握る指を止めた。 胸の奥が熱を帯びて、落ち着かない。  遥陽から『好きだ』と告白された夜。 心底驚いたけれど、嫌な気持ちは少しもなかった。  二人で行った、初めてのデート。 心から楽しかった。  そっと手を繋がれたとき。 嬉しかった。 『誰と一緒に家に帰りたいか』を聞かれたとき、選んだのは遥陽だった。 あれは葛藤の末の選択じゃない。自分の心に素直になった瞬間、最初から答えはひとつしかなかったのだ。  夜、隣にいてほしいと願った。 今朝、ベッドの中で無防備に眠る遥陽の顔を見て、胸の奥がくすぐったくなった。  そしてさっき——自分の手で、遥陽の手を握りしめた。 「…………」  蒼は膝の上で、自分の左手を見つめた。 手のひらに、遥陽の大きくて温かい感触が残っている気がする。 (これって……)  ずっと自分にはわからなかった答え。『男性を恋愛として好きになる』ということ。それがどんな感情なのか、どうしてもわからなかった。  でも。  もし。  またすぐに会いたいと願うことが。  その温もりに触れていたいと望むことが。  どんな時もその人を選び続けたいと思うことが。  誰よりも自分のいちばん近くにいてほしいと願うことが。  もし、他の誰かに取られてしまったら嫌だと思うことが。 『好き』と言われて、胸が高鳴るほど嬉しいことが。  自分にとっても、その人が世界でたった一人の特別な存在になることが。  それらすべてを『恋』と呼ぶのだとしたら。 「…………あ」  胸の奥で、ドクンと大きく心臓が鳴った。  ストン、と。ずっと宙に浮いていた最後のピースが、あるべき場所へ落ちた。 【【(僕……)】】  もう、自分をごまかすことはできない。 【【(遥陽のことが……好きなんだ)】】

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