Zeφyr(ゼファー) / 第8話

7、一番好き

【【7、一番好き】】  ラーメン屋の暖簾をくぐってからしばらくの間、二人は意識的に事件の重苦しい話題を避けていた。  遥陽は迷わず味玉を追加した特製ラーメンを注文し、蒼は目の前に運ばれてきた湯気の立つラーメンを前に、箸を持ったままじっと固まっている。 「……熱そう」 「熱いに決まってるだろ、ラーメンだぞ。氷でも浮いてると思ったか?」 「……ちょっと冷めるまで待つの」 「知ってた」 「なにその顔」 「五年一緒にいる男の顔」 「便利だね、その免罪符」 「だろ? 重宝してる」  遥陽は楽しそうに笑うと、豪快に麺をすすり始めた。  蒼は意を決したように箸を割り、数本の麺をすくい上げると、ふう、ふう、と念入りに吐息を吹きかける。 「……まだ熱い」 「お前の猫舌のレベル、毎回すげえな。冷ましすぎて伸びるぞ」 「火傷して味覚が麻痺するよりマシでしょ」 「まあ、それもそうか」  美味しそうにスープを飲む遥陽を見ながら、蒼は慎重に二口目を口に運んだ。そんな蒼の様子を眺めていた遥陽が、ふと思い出したようにポケットからスマートフォンを取り出した。 「そういやさ」 「ん?」 「高校の写真、久々に見たくね?」  蒼の箸がピタリと止まる。アイスブルーの瞳が細くなった。 「……さっき文化祭の話をしたから?」 「うん。でも事件の手紙の手掛かりを探すとか、そういう重い理由じゃなくてさ」  遥陽は蒼が身構える前に、慌てて釘を刺した。 「普通に、懐かしいなーって。昔の写真が見たくなっただけ」 「……それなら、いいけど」  蒼も少し興味を示し、紙ナプキンの端で口元を拭った。  遥陽はクラウド上のアルバムを開き、画面をスクロールしていく。 「俺さ、昔の写真って割とそのまま残してんだよな」 「意外」 「何がだよ」 「遥陽って機種変したら、面倒くさがってデータ全部消しそう」 「お前の中で俺のイメージ雑すぎねえか?」  画面に出てきたのは、高校二年生の秋、文化祭の写真だった。賑やかな教室の前で撮られた二人の姿。今より少し幼く、髪の短い遥陽。その隣には、少し緊張した面持ちで制服を着ている蒼。 「……若」  蒼がぽつりと呟く。 「二十一の奴が言う台詞じゃねえよ」 「でも、高校生だよ? すごく昔に見える」 「たった五年前だろ。……あ、俺この頃の方が髪短いな」 「遥陽はそうだけど、僕って変わってる?」 「お前はあんま変わらんな」 「変わってるよ」 「相変わらずかわいいまま」 「…………」  蒼はぷくっと頬を膨らますと視線を落とし、冷めかけたラーメンのスープをすくった。  遥陽が意地悪く笑う。 「はい照れた」 「……次」 「はいはい」  次は体育祭の写真。グラウンドの端で、クラスの男子数人と並んで写っている。 「これ覚えてる?」 「借り物競争のあとかな」 「そう。でさ、俺どこ見てると思う?」  蒼が画面に顔を近づける。他の友だちはみんな笑顔でカメラを見ているのに、遥陽だけが——隣に立つ蒼の横顔をじっと見つめていた。 「…………」 「お前を見てる」  遥陽自身が呆れたように笑い出した。 「わかりやすすぎだろ、俺。当時は隠せてるつもりだったのに」  さらにスクロールする。修学旅行では、土産物屋の棚の前で、木彫りの置物を珍しそうに眺めている蒼の横顔。完全に遥陽が隠し撮りしたような構図だ。 「……これ、僕一人しか写ってないじゃん」 「うん」 「なんで撮ったの?」 「かわいかったから」 「…………」 「当時は『旅行の記念』とか何とか言って適当にごまかしたけどな」  遥陽の指が滑らかに画面をスクロールしていく。  蒼。蒼。集合写真。蒼。景色。蒼。 「…………遥陽」 「何?」 「僕の写真、多くない?」 「……俺も今、多いなって思ってちょっと引いた」 「何枚あるのこれ」 「数えたことねえな……フォルダ一個作れるレベルかも」  さらに時期を遡る。高校二年の春。日差しが差し込む教室の窓際で、蒼が静かに本を読んでいる写真。 「これ絶対隠し撮りでしょ」 「いや、ちゃんと声かけたし! 『撮るぞ』って言ったらお前が『勝手にすれば』って言った記憶ある」 「……あ、言いそう」 「だろ?」  遥陽が楽しそうに声を上げて笑った。その笑顔につられるように、蒼の口元にも自然と柔らかい笑みが浮かぶ。  嫌な事件とは関係のない、ただの高校時代。親友になって、一緒に勉強して、合間にくだらないことで笑って、一緒に帰って、休日まで遊んで。  そんな何でもない時間を、いくつも積み重ねていた頃。 「……でも」  蒼がポツリと呟いた。 「ん?」 「ほんとに遥陽って、ずっと僕のこと見てたんだね」 「…………」  遥陽の箸が、麺を掴んだまま止まった。 「写真見ると、すごくよくわかる」 「……ああ」 「僕、当時は全然気づいてなかった」 「でしょうね。お前、そういうの疎いし」 「なんで言ってくれなかったの?」 「昨日も言ったじゃん」 「……関係を失いたくなかったから?」 「そう」  少しだけ、遥陽の表情から冗談めいた色が消えた。 「親友として隣にいられるなら、それでいいって自分に言い聞かせてたんだよ」 「…………」 「まあ、全然よくなかったんだけどな」 「どっちなの」 「お前が他の奴から告白されるたびに、陰で死にそうな顔してたから。全然良くなかった」  蒼が思わず吹き出した。 「遥陽って、もっと何でも器用にこなすタイプだと思ってた」 「失礼だな。他のことは大抵器用にこなせるぞ」 「恋愛だけ不器用なの?」 「蒼だけ」  迷いのない即答だった。  蒼の頬が、再びカッと熱を帯びる。無意識に眼鏡のフレームに指が伸びる。 「……それ、ズルい」 「何がだよ」 「なんでもない」 「俺の台詞真似すんなって」  店を出る頃には、二人の間に漂っていた張り詰めた空気も、かなり穏やかなものへと変わっていた。  夜の冷たい風が頬を撫でる。駅へ向かう道すがら、事件の恐怖を忘れられるこの穏やかな時間を惜しむように、二人はゆっくりと歩いた。 「蒼」 「ん?」 「さっき高校の写真見てて思ったんだけど」 「うん」 「俺さ、今の方がずっと幸せだわ」 「どうして?」 「ちゃんと『好き』って言えてるから」  少しだけ頬を赤くしながら、遥陽は嬉しそうに笑った。 「昔はさ、隣にいられるだけで満足してるフリして、必死に自分の気持ちに蓋をしてた。……でも今は、もっと一緒にいたいってちゃんと自分の口から言える」  蒼は歩幅を合わせながら、その言葉を胸の中で反芻した。そして、夜空を見上げたまま、何気なく言葉をこぼした。 「……僕も」  遥陽が驚いたように蒼の横顔を覗き込む。 「こういう、何でもない普通の時間は……遥陽といるのが一番好き」 「…………」  一歩、二歩進んだところで、遥陽の足が止まった。  つられて蒼も足を止める。 「……遥陽?」  遥陽は完全に固まっている。 「ど、どうしたの?」 「……今」 「うん」 「なんて言った……?」 「だから、こういう普通の時間は遥陽といるのが一番好きって……」 「…………」  遥陽が勢いよく片手で顔全体を覆い隠した。 「……『一番好き』……」 「そこだけピンポイントで拾わないで」 「無理」 「文脈を読んでよ」 「無理無理無理」 「遥陽ってば」 「今俺の脳内、『蒼が俺を好きって言った』で埋まってて何も処理できない」 「違うってば!」 「わかってる!」  顔を覆ったまま、遥陽が叫ぶ。 「わかってるけど、めちゃくちゃ嬉しいんだよ……!」  蒼はたまらず吹き出した。 「大袈裟だなあ」 「六年間の片思いを舐めるなよ!?」 「また出た……それ、最近遥陽の万能カードになってない?」 「半分くらい本気で言ってるから」 「だめでしょ」  二人は笑い合いながら、再び歩き出した。  けれど、しばらく歩いたあと、蒼はぽつりと付け加えた。 「……でも」 「ん?」 「遥陽といるのが一番好きっていうのは、本当だよ」 「…………」  遥陽の足が、また止まった。 「……もう歩いてよ」 「無理」 「駅に着かないでしょ」 「今日、俺家帰れないかもしれん」 「なんでさ」 「蒼の破壊力が強すぎる」  だが、その冗談めかした『遥陽が家へ帰らない』という言葉は、冗談ではなくなる事になる。  駅の改札前。 ふと蒼がスマートフォンの画面を確認すると、例の匿名アカウントから新たな通知が入っていた。  メッセージの文面までは開かない。それでも、蒼の表情が目に見えて強張った。遥陽はその変化を見逃さなかった。 「……また来てるのか?」 「……うん」 「開かなくていい。無視しろ」 「うん……わかってる」 「今日さ」  遥陽が少し躊躇ってから、蒼を見た。 「……また、お前んちに泊まってもいいか?」  蒼はゆっくりと遥陽を見つめ返した。 「うん」  迷いのない返事だった。遥陽が驚いたように目を丸くする。 「いいのか?」 「昨日もいたでしょ」 「まあ、そうだけど」 「それに……」  蒼はほんの少し視線を落とし、遥陽の服の裾をきゅっとつまんだ。 「今日も……一人でいるのは、ちょっと嫌だから」 「…………」  遥陽の瞳が柔らかく緩んだ。 「よし、じゃあ泊まる。コンビニで着替えと歯ブラシ買ってくわ」 「昨日、僕のTシャツ貸したもんね」 「おう。サイズ小さくてパツパツだったろ」 「うん、全然似合ってなかった」 「ひでえな!」  蒼のアパート。昨日とは違い、今夜は最初から二人で夜を明かすつもりで家に帰った。  コンビニで買った歯ブラシで歯を磨き、順番にシャワーを済ませると、リビングのソファに二人で並んで腰掛けた。 昨夜のような切迫した緊張感はない。けれど、完全に心を許して安心できるわけでもなかった。  蒼は膝に柔らかい毛布をかけ、その隣に遥陽が座る。 「今日は……ちゃんとベッドで寝る?」  蒼が尋ねる。 「俺が?」 「うん」  遥陽は少し思案してから、蒼の顔を見た。 「ベッド使うのは蒼だろ……俺はソファで寝るし……」 「…………」  蒼が視線を落とす。遥陽はその小さな仕草にすぐ気づいた。 「……まだ一人で寝るの、怖いか?」 「……少しだけ」 「じゃあ、昨日と同じだな」  柔らかい声。 「二人で、ここで寝よ」 「いいの?」 「俺が嫌なわけねえだろ」 「……それもそうか」 「おい、そこは遠慮しろよ」  蒼がくすくすと笑う。  テレビを小さな音量でつけた。画面の映像はほとんど頭に入ってこない。ただ、部屋が静まり返るのを防ぐための音だった。  いつの間にか、二人の肩が触れ合う距離になっていた。蒼はもう昨日ほど身構えず、自然に遥陽の身体へ寄り添う。遥陽もそれを当たり前のように受け止めた。 「……慣れた?」  遥陽が耳元で低く尋ねる。 「なにに?」 「俺にくっつくの」 「…………」  蒼がサッと身体を離そうとする。 「待って待って! ごめん!」  遥陽が慌てて笑いながら手を伸ばす。 「……もう、からかわないで」 「ごめんって」  蒼は少しむっとしながらも、再び遥陽の肩に頭を預けた。 「…………」 「…………」  しばらく静かな時間が流れたあと、遥陽がぽつりと囁いた。 「蒼」 「ん?」 「さっきの……」 「なに?」 「一番好きってやつ」 「まだその話するの?」 「一個だけ確認させて」  蒼が顔を上げ、遥陽の瞳を見つめる。 「なに?」  遥陽は一瞬だけ言葉を迷わせ、真剣な眼差しで問いかけた。 「俺といる時の『好き』ってさ」 「……うん」 「長年の親友として『好き』なのか……」  遥陽は言葉を選びながら、続けた。 「それとも……昨日より、ほんの少しだけ違う『好き』に変わってきてるのか」 「…………」  蒼はすぐには答えられなかった。遥陽も決して答えを急かさず、ただ優しく蒼の言葉を待つ。  しばらくの沈黙のあと。 「……わからない」  それが、今の蒼の正直な答えだった。 「そっか」  遥陽は優しく笑った。 「でも……」 「ん?」 「昨日よりは……」  蒼は遥陽の瞳をまっすぐに見つめた。 「……遥陽のこと、男として意識してる」 「…………」  遥陽が勢いよく天井を見上げた。 「……なあ、俺今日何回殺されればいいんだ?」 「死んでないでしょ」 「精神的にはもう五回くらい臨死体験してる」  蒼がくすりと笑い、遥陽も降参したように笑った。  そのまま二人で一枚の毛布を分け合い、身体を寄せ合う。今夜も同じソファ、同じ距離。けれど昨日より確実に、二人の気持ちは近づいていた。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳