芦名 雅 / 第4話

第四話 吾輩、企みの気配を嗅ぎつける

 城の奥、めったに人の来ない一角に、吾輩はある夜、迷い込んだ。  猫は迷わない、というのが吾輩の持論である。人間が勝手に「迷い込んだ」と決めつけるだけで、猫には猫なりの目的がある。  そのときの目的は、厨房から漂ってきた焼き魚の匂いであった。  ところが、魚より先に、聞き慣れない声を耳にした。 「ヴォルフレイム家の令嬢が、婚約破棄されれば都合がいい」 「殿下があの平民に本気になれば、我々の派閥にとっても好都合ですからな」 「感情など、少し押せば簡単に向きを変える。必要なのは、殿下が自分で決めたと思えるだけの材料だ」 「では、次は?」 「決定的なものを一つ用意する。言い逃れのできぬ形でな」  吾輩の耳がぴくりと動いた。  決定的なもの。何を指しているのかまでは分からぬ。しかし、ろくでもない話であることだけは猫にも分かった。  声の主は、王宮に出入りする貴族の一人――たしか、宰相補佐官のグレゴールとかいう男だった。  吾輩は姿を隠したまま、その会話を聞いていた。 「令嬢を悪役に仕立て上げるのは容易い。あの娘は、弁明が下手だ」  グレゴールは、低く笑った。 「噂を少し流すだけで、勝手に破滅していく。実に扱いやすい」  失礼な男である。  弁明が下手なのは事実だが、それを他人に言われると腹が立つ。  吾輩はその場では何もできなかった。  人間の言葉で告発することも、証言台に立つこともできない。  ただ暗闇の中で、その声と匂いと顔を、しかと覚えることしかできなかった。  特に匂いは忘れない。苦い香草と、革手袋に染みついた油の臭い。  会話が終わると、グレゴールは裏庭へ回り、待たせていた馬車へ乗り込んだ。扉には鷲を模した小さな紋章が刻まれていた。吾輩は塀の上から、それも一応覚えておいた。  人間は顔を変え、服を替え、言葉ではいくらでも嘘をつく。だが匂いは、存外正直である。  翌朝、吾輩はセレスティーヌの部屋に戻り、彼女の足元へ何度もまとわりついた。 「どうしたの、ルシフェル。今日は随分と甘えん坊ね」  違う。  そうではない。  吾輩は裾を噛み、扉の方へ引こうとした。 「お散歩?」  違う。 「お腹が空いたの?」  ......それも少しある。  セレスティーヌは困ったように吾輩を抱き上げた。 「今日は本当に変ね」  変なのは状況である。  吾輩は彼女の腕の中から扉の向こうを睨んだ。人間の言葉を話せぬことを、これほど不便に思ったのは初めてだった。  伝わらない。  もどかしいことこの上ない。  吾輩にできるのは、せめて、いつもより長く彼女のそばを離れずにいることだけだった。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳