今無 ヅイ / 第4話

第四話 正しき順に、お帰りください

 仮設幕の机に、梓は写しを三枚並べた。  入口の案内文。  待合の石板。  奥の案内板。  どれも格調ばかり高く、内容は妙に生活感がある。古代北エルヴィン語は、どうしてこう、宮廷の詩みたいな顔で受付業務をしてくるのか。  梓は炭筆の先で、文言の一部を順に突いた。 「……現時点の見立てですけど」  ガレスが腕を組んだまま言う。 「そちらが専門家だ、聞こう。」 「受付管理の術式が残ってます」  沈黙。  ログが先に顔をしかめた。 「また変な言葉が出たな」 「迎賓館の客管理術式、という意味です」  梓は言い直した。 「受付を済ませていない客を、勝手に奥へ通さない仕組みです。本来は、来訪者の名前と目的を登録して、それから導線を開く。でも今は受付側が半壊、案内と導線制御だけが中途半端に残ってる」  リネアが机に肘をついた。 「だから未登録客をずっと迷わせる、と」 「はい。今の状態だと入れてはいないけど、追い出し切れてもいないので、その結果、同じ場所に戻る」  フェイロンが写しへ視線を落とした。 「名を記し、右の導きに従い、帰路を望む客は、西二門へ導け」 「ええ」  梓は小さく頷く。 「これ、順路案内と客管理が一体化してます。だから、登録を飛ばして勝手に中へ入ると、客じゃなくて不審者扱いなんです」  トーマが低く唸った。 「……真っ当だな」 「真っ当ですね」  梓はひどく嫌そうな顔をした。 「だから余計に腹が立ちます。帰還の手がかりかと思ったら、受付のせいで迷ってたんですよ」  ログが肩を揺らした。 「それはまあ、マミヤだけへこむやつだな」 「私だけへこみますよ」  ガレスが写しの一点を指す。 「で、どうする」 「登録をやり直します」  梓は即答した。 「正式な文言で、来訪者名、人数、来訪理由、退出区分。それを受付台か記録台の前で読めば、少なくとも導線は安定するはずです」 「はず、か」 「試すしかないです。でも今ある情報の中では、いちばん筋がいい」  フェイロンが短く言った。 「客を通す施設なら、客として入るのが正しい」 「そういうことです」  リネアが腰を上げる。 「よし。二度目のチェックインしようか。なんて上品な仕事だろうね」 「遺跡に潜って最初にやるのが受付なの、ちょっと納得いきません」 「でもお前向きだろ」  ログのその一言には、反論の余地がなかった。  結局、再突入は最小人数になった。  ガレス、ログ、リネア、フェイロン、梓。そして先遣班からはミレイユだけが同行する。トーマは地上で待機し、残りの人員をまとめることになった。 「今度は無理をするなよ」  トーマが言う。 「一回目で学んだろ」 「ええ」  梓は写しを革筒へ収めた。 「今度はちゃんと客として入ります」 「遺跡相手に言う台詞じゃねえな、それ」 「こっちだって好きで言ってるわけじゃないです」  裂け目を再び降りるころには、日が少し傾いていた。崩れた天井から差す光の角度が変わり、扉枠の文字も、さっきより斜めに影を落としている。  だが、読むぶんには問題ない。  入口の前で、梓は一度立ち止まった。 「ここです」  広間まで進む途中の、扉脇に半分埋もれた低い石台を指さす。最初は飾り台かと思ったそこには、よく見れば細い溝と、石筆を置くためのような窪みが残っていた。  フェイロンがすぐに察した。 「記録台か」 「その可能性が高いです」 「曖昧だな」 「古代施設はだいたい壊れてるので」  ガレスが短く言う。 「やれ」  梓は石台の前に立ち、写しを広げた。  古代北エルヴィン語は、意味だけ追えば読める。だがこういう運用文言は、順序が大事だ。要件だけ抜いて読めば通る文と、そうでない文がある。今必要なのは、後者のほうだった。  呼吸を整える。  第一句。  来訪の宣言。  第二句。  人数。  第三句。  目的。  第四句。  滞在区分。  第五句。  退出方向。  梓は声に出して読んだ。 「外より来し一時の客、ここに名を記す」  石台の縁に刻まれた線が、かすかに光った。  ミレイユが息を呑む。 「……反応した」 「続けます」  梓は少しだけ緊張した指先で、次を追った。 「グランドゲート本部よりの派遣調査班」 「人数、六」 「目的、記録の確認と通行」 「滞在、短」 「退出は西二門を望む」  最後の一語を読み終えた瞬間、広間の奥で音がした。  かすかな、石と石が噛み合うような音。  次いで、床に埋もれていた文様のうち、通路を示す線だけが淡く浮かび上がる。さっきまで細かく散っていた記号列が、今ははっきりと一本の筋を作っていた。  ログが目を見開いた。 「うわ、ほんとに道になった」  リネアがしゃがみ込み、靴先で光の縁を軽く触れた。 「句切りが消えてる」 「正確には、通路の優先が上がったんでしょうね」  梓は写しをたたみながら言う。 「登録済みの来訪者だから、待てより通せが勝った」 「思った以上に迎賓館だねえ……」  リネアの感想は、ひどく的確だった。  広間の左奥、さっきまで白く暴れていた導線の光も、今は落ち着いている。壁の亀裂に沿って漂っていた揺らぎが消え、空気のぶれ方もだいぶましだ。  フェイロンが通路の奥を見た。 「行けるな」 「どこまで」  ガレスが問う。  梓は奥の案内板を見た。 「西二門までは行けるはずです。先遣班が落とした荷があるなら、そのあたりかもしれません」  ミレイユがすぐに頷いた。 「あります。測量筒と記録箱。一本奥の脇室で落として、取りに戻れなくなりました」 「なら回収する」  ガレスは即断した。 「短く済ませるぞ」  通路は、さっきとは別物みたいに歩きやすかった。  床の文様はまだ複雑だが、光る線の上だけを踏めばいい。奥行きはぶれず、左右の壁も落ち着いている。時折、壁の高い位置に刻まれた短い案内句を梓が読み、皆がそれに従う。 「右は客室群。入らないでください」 「何て書いてある」 「休息を妨げることなかれ。要するに、宿泊区画です」 「宿だねえ……」 「否定しません」  しばらく進むと、小さな脇室があった。半開きの石戸の向こうに、箱が二つ、無造作に転がっている。  ミレイユが声を上げた。 「あれです」  ログがすっと前へ出て、箱と筒を軽々と抱え上げた。 「これで全部か」 「見立てとしては」 「見立てとしては、か」 「確信だけで遺跡に入るよりましですよ」  そのやり取りに、今度はリネアが笑った。  さらに奥へ進むと、通路は二手に分かれた。片方は上り、もう片方は緩やかに下る。下り側の壁に、また大仰な文章が刻まれている。  梓はうへえ、という顔をした。 「また長文だ……」 「読め」 「少し労ってもいいと思うんですよ」 「現場が終わったらな」 「本当に現場でしかやらないな、この班長……」  ぶつぶつ言いながらも、梓は読み始める。  旅路の終いにおいて。  静かな退き際を尊び。  客人の名誉を損なうことなく。  正しき出口を示し。 「……要約します」 「頼む」 「こちらが出口です」  沈黙のあと、ログが膝を叩いた。 「分かりやすい!」 「古代北エルヴィン語、これくらいで喋ってほしいです」  リネアが下り通路の先を覗く。 「西二門?」 「少なくとも第二の西門です」  フェイロンが壁際に目をやった。 「右手の窪み。鍵ではなく確認盤だな」  梓も気づいた。浅く磨り減った石の円盤に、文字が二行だけ残っている。 「退出客、人数を違えることなかれ」 「最後まで事務だねえ」 「徹底してますね」  ミレイユが、やや引きつった顔で言った。 「もしかして、私たち前回ここを見ないで突っ込んだんですか」 「はい」  梓はわりときっぱり答えた。 「受付を飛ばして、注意書きを無視して、未登録のまま奥へ行ったと思われます」 「……怒られて当然では?」 「迎賓館としては、かなり正当な対応です」  そこまで言ったところで、下り通路の先に空気の抜ける感触があった。地上へ通じる風だ。数歩先には、崩れた二枚扉の片割れと、その向こうの斜路。外光が細く差している。  ログが箱を抱え直した。 「出られるな」 「ええ」  梓は確認盤の前に立ち、最後の文を読んだ。 「西二門より、正しき順に、お帰りください」 「感じはいいんだけど、やっぱり宿だな」 「そこは否定しません」  ガレスが全員を見回す。 「人数」 「六」  梓が即答する。  ログ、リネア、フェイロン、ガレス、ミレイユ、梓。 「よし。出るぞ」  西二門を抜けた先は、裂け目とは別の、小さな開口部だった。半ば藪に埋もれた石段が斜面へ続き、その先で地上の空が見える。もし先遣班がこちらを先に見つけていれば、入口側で迷うこともなかっただろう。  だが、それは結果論だ。  いま大事なのは、全員が正しい出口から、迷わず外へ出られたことだった。  藪を抜けると、待機していたトーマが目を見開いた。 「そっちが出口か」 「お帰り導線だったみたいです」  梓はひどく疲れた声で答えた。 「迎賓館でした」 「まだ言うのか、それ」 「だってそうなんですよ」  ガレスが簡潔に説明した。 「入口側は受付前廊だ。未登録客を保留で回す導線が残ってる。登録して、西二門から抜けた。荷も回収した」  トーマはしばらく黙ってから、包帯の手で顔を覆った。 「……本当に客を通す施設だったのか」 「そのようです」  フェイロンが静かに言う。 「ただし、管理術式はまだ生きている」  トーマは低く唸った。 「つまり、今後入るなら」 「まず受付です」  梓が言った。 「名前を書いて、人数と目的を登録して、それから入る。あ、泥靴置き場もありました」 「泥靴置き場まで要るか?」 「迎賓館なので」  トーマの班の何人かが、こらえきれずに笑った。梓はまったく笑えなかったが、戻ってきた箱と筒、それに安定した退出導線を見れば、クエストとしては十分に勝ちだった。  ガレスが仮設机へ向かう。 「報告をまとめる。マミヤ、写しを整理しろ」 「はい」  梓は荷鞄から保存紙を取り出し、今日拾った語句を改めて並べた。  外より来し者。  帰路を望む客。  西二門。  中央還路庁。  迎賓館の案内板としては、妙に大事な言葉が混じっている。  そして、その中に確かにあるのだ。  帰る、という概念が。  梓は小さく息をついた。 「……思ったより遠かったな」 「何がだい」  リネアが聞いた。 「帰る方法です。もっとこう、目の前に手順書があるのかと」 「実際あったじゃないか。受付手順書が」 「そういうことじゃないんですよ」  ログが箱を下ろしながら言う。 「でもゼロじゃないだろ?」 「ゼロではないです」  梓はうなずいた。 「ただ、今日の成果がチェックインを済ませると迷わないなの、少しだけ肩透かしだっただけで」 「少しだけか?」 「少しだけです」  ガレスが報告板へ釘を打ちながら、わずかに口元を歪めた。 「肩透かしだったか」 「かなり」 「だが、役には立った」 「それは、まあ」  梓は写しを重ねる。 「役には立ちました。全員をちゃんと帰せたので」  その言葉を口にした瞬間、自分で少しだけ驚いた。  帰す。  今日、自分がやったことは、結局それだったのだ。  古代の迎賓館が客を迷わせないように。  壊れた案内網を正して。  現場の全員を、ちゃんと帰す。  梓は写しの一番上に、見出しを書く。  南西外縁地下遺構。  仮称、外来客用迎賓館跡。  第一次調査報告。  その下に、一行だけ小さく付け足した。  西二門、安定退出確認。  梓は炭筆を置き、ようやく顔を上げた。  日は傾いている。仮設幕の外では、回収班が荷をまとめ、トーマが先遣班の人員を叱り、ログが泥だらけの箱を楽しそうに運び、リネアは藪の向こうの新しい出口を見に行っていた。フェイロンは斜面の風向きを確かめるように、じっと立ったまま外縁側を見ている。  クエストは終わった。  肩透かしで、でも収穫のある形で。  梓は報告書の端を揃え、小さく呟いた。 「……帰還の本は、やっぱり高くつくなあ」  そのぼやきは、乾いた夕方の風に、静かに攫われていった。

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