かぴ / 第4話

空知らぬ

 全ての始まりは人間が鉄鉱山を求めて大蛇族の支配領域に踏み入れたことだった。    当時は多くの種族が分割で世界を支配していて、その支配地には他種族が入ることすら許されていなかった。  温厚なことで有名だった大蛇族の長は人間の侵入を知ると即座に侵入者を追放したが、できるだけ大事にしないようにと、人族には謝罪と礼品の献上を求めるだけに留めた。  しかし、どうしても鉄資源を欲しがった強欲な人間は礼品の酒に毒を混ぜて渡した。混ぜられた毒は強力な神経毒で、毒に強い大蛇族といえど、飲むとたちまち筋肉が硬直して動けなくなった。人間は動けなくなった大蛇の長ら上役たちを丸太に縛り付け、勝利を喧伝するかのように大蛇の里を歩いて回った。長を無くした彼らは鉄鉱山を抵抗することなく明け渡した。  この無惨な出来事はすぐに世界中に広まった。  ――人族が卑劣な騙し手で大蛇族の長を殺した。  すべての種族が人間の敵になった。大蛇族と関わりの深かった虎狼族を筆頭に人間対獣の構図での争いが頻発するようになった。これが五〇年続くこととなる人獣大戦の始まりだった。    人間の見立てでは戦争はすぐに終わるはずだった。手に入れた鉄資源をふんだんに使い、圧倒的な物量で押せば長くても五年で世界の大部分は手中に落ちるだろうと考えていた。しかし、人間は獣たちをなめすぎていた。  獣たちの中には|賢獣《けんじゅう》と呼ばれる者たちがいた。彼らはその種の中でも特に大きな|図体《ずうたい》と人の言葉を話す高い知能を持ち合わせていて、種族の長というのは大体これに当てはまった。  賢獣が当代にどれだけいるかで種の強さが大きく変わるほどにその種の命運を握る存在であり、当然人間も彼らのことは警戒していた。  |彼《・》|ら《・》|の《・》|こ《・》|と《・》|は《・》警戒していたのだ。  人間にとって大きく誤算だったのは彼らの教育能力の高さだった。賢獣によって教育された獣たちは種族全体で戦力が底上げされ、統制の取れた戦い方に複雑な作戦、はたまた罠やだまし討ちのようなことまでできるようになっていた。言葉は話せなくとも鳴き声や遠吠え、尾の振り方で意思疎通を測った。  人間は焦った。武力で押し切るはずが長い硬直状態に陥ろうとしていたからだ。  人間の次の策は単純だった。武力で勝てないなら知力で、物理がダメなら精神を。人間は高い知能を有す獣たちに対し、知能が高いゆえの人間同士の戦争で行うような残酷な行動を起こすことにした。相手の戦意を削ぐ、そのためだけに。  まず手始めに女子供をさらって人質にした。手足を削ぎ、かろうじて生きたままの状態で戦地の最前線に立たせて壁のように扱い、助けてと声を挙げさせた。    効果はてきめんだった。  半端に人知を得たばかりに獣たちは身じろぎ、上手く攻めれなくなった。しかし、その効果も長くは続かなかった。それは向こうが慣れたからではない。知を捨て獣に戻った訳でもない。さらに賢く、あざとく、卑しく学んだのだ。我々も同じことをすればいいのだと。  獣たちもまた、人間の女子供をさらって人質にした。人間と違い、縛り付けたり器用なことは出来ない獣たちに捕まってしまった者達はうなじを噛まれ、引きずられながら敵地に立たされた。  膝は擦り切れ、目は焦点を失い、もはや生きているかも分からなかった。戦地にはなんとも言い難い異様な空気が漂っていた。    人質によって前線が硬直すると、次に人間は、おぞましい量の目や牙や爪といった体の一部だけを袋に詰め込んで敵地に送り込んだ。人間側ですら吐きながら袋に詰めるほどだった。    袋を送って数日も立っていないある日の朝だった、ある軍人の一人が大きな物音に天幕を出ると、そこにはいく台かの荷馬車が並んでいた。鼻腔を穿つような異臭に嫌な予感がした。生暖かい風が男の体を包んで、体全身が"モノ"に囲まれているような気持ち悪さを感じた。男が恐る恐る荷台を覗くと人の体の|一《・》|部《・》がぎゅうぎゅうに敷き詰められていた。人間のように細かく|抉《えぐ》ったり出来ないからか、噛みちぎれるような部位だけが選ばれているようだった。  獣たちは貪欲に人間の知恵を奪っていった。  人間に対しての意趣返しだろうか。人間が獣を苦しめようと知恵を絞れば絞るほど、獣たちは人間から吸収し賢くなっていった。  そして人間には大きな誤算がもうひとつあった。それは寿命の長い人間特有のもので、誤算と言うより思慮外であるという方が正しいのかもしれない。  獣が進化したのだ。  獣は人間と比べて寿命が短い。つまり、より多くの代替わりをするということである。戦争が長引き、新たな代が生まれる度に彼らの体格は一回り大きくなり、爪は鎧を貫くためにより太く長く、牙はより鋭利になった。少しづつ、少しづつ……しかし着実に差は縮まり、そして人間は再び|武《・》|力《・》|で《・》|も《・》|獣《・》|を《・》|上《・》|回《・》|れ《・》|な《・》|く《・》|な《・》|っ《・》|た《・》。 ───────​───────​────────  何も言えなかった、というより何を言えばいいかわからなかった。頭の中で整理しようとしても、体中に走る気持ち悪さが邪魔をした。人間そのものに対して嫌悪感があふれ、腹の中にぐるぐるとうずまいた。この話が本当に事実であるとするならばそれは、それはまるで……、  「……人間が……悪、みたいじゃないかっ……。」  ロルフが両手で顔を覆いながらこぼした。指の間から除くその顔は悲痛に歪んでいて、ロルフも自分と同じ気持ちなのだとわかった。ミコの話の中では人間は吐き気を催す邪悪そのものであった。そう分かっていてもそうと言い切れないのはロルフの弱さであった。  ミコは二人の様子を横目に見ながら焚き火に薪を追加した。その顔は口元だけが薄く笑っており、とても笑顔とは言えない代物だった。その表情からはどこか自暴自棄な諦念を覚えた。  「ガキはみんな、このおとぎ話を聞いて一度は英雄にあこがれるんだ。俺だってそうさ!いつか世界を救った彼らみたいにって、何かを守れる人間になりたくて騎士隊に入ったんだ!だってのに、そんな……、」  ロルフはまくし立てるように言葉を吐いた。声は涙ぐんでいて、感情の行き場を探しているようだった。人一倍正義感の強く、責任感が形になって現れたような男だ。ハンスが受ける衝撃の何倍もの苦痛を押し殺しているのだろう。  この世が勧善懲悪であればどれだけ良かったであろうか、ハンスはそう願わずにはいられなかった。しかし、二人はこの戦いの結末だけは知ってしまっているのだ。そう卑劣な人間という悪が勝つ結末だけは。自分と同種族である人間が善であるとしたい気持ちとそれを許さない正義感が思考と感情をぐちゃぐちゃに歪ませていた。 「なあ、本当はもっと前になんか理由があったんじゃないか?お前さんが知らないだけで人間が侵攻するしかないいたたまれない理由が。」  「ない。事の発端は人間の利己的で独善的な衝動に過ぎない。」  救いを求めるロルフにミコは容赦なく言い放った。  「感傷的になっているところすまないが、ここからが本題だ。私の旅に関する、な。」  ロルフはもう聞きたくないという風に頭を抱えていたが、ミコは構わず話し始めた。  この男は何かが違う。人として、生き物として、決定的に自分達とは違う何かを持ってる。そんな直感がハンスにはあった。ハンスは自然と握りこぶしに力が入った。 ───────​───────​────────  ついに知力でも武力でも勝てなくなった人間の行く先は見るに堪えない悲惨なものだった。手薄な地方都市はすぐに侵略されて難民があふれた。央都やその他中核都市には人が流れ込み、混乱が混乱を呼んだ。しかし、人が多すぎて都市機能が止まるようなことはなかった。簡単な話だ。それ以上に戦場で人が死んでいたからだ。  人間は一度、奪われた土地を取り返そうと大掛かりな部隊を編成して遠征に出たことがある。目標地は地方中核都市で、侵略された都市に巣食う獣たちの討伐、土地の奪還が目的だった。  大遠征は道中からすでに何かがおかしかった。感じたことのない生暖かい風が吹いていて、そこには言い表せない違和感があった。  進行する兵士たちは一言も話さず、黙々と歩みをすすめた。異様な空気感のまま、一度も獣に会うこともなく遠征はすんなりと進んだ。獣と戦わなくて良いというのは朗報かのように思われたが会わないということが異常だった。    予定より大幅に早く目的地の街に到着した兵士たちは目を疑ったという。建物の壁や道路は血が飛び散って乾いたどす黒い赤で覆われていて、道端の食い散らかされて残った腐った肉片には蝿がたかってひどい匂いだった。そこはまさに地獄だった。    そして驚くことに荒らされていたのは畑や井戸だけで住居などの建物は一切荒らされていなかった。獣たちは人間のようにうまくものを使ったりはできない。獣たちにとって人工の建築物など宝の持ち腐れですらなくただの邪魔でしかなかった。  持っていても自分たちが利用できないからか、獣たちは侵略してもすぐに土地を|放《・》|棄《・》|し《・》|た《・》のだ。  それは土地の争奪という原初の目的を忘れ、ただの殺戮という手段だけが残っていることを意味した。  相手にしてやられたからやり返すのだ。奪われたら奪う、殺されたら殺す。この戦争は既に無意義な憎しみを産むだけの無価値なものであった。    戦争が始まってまだ間もない頃、私は当時の央都であったカラムルンドにある宮廷で生まれた。  生まれた時から父親はおらず、母親は私を産むと同時に死んだ。  宮廷を構えるだけあって金銭に困ることは無く、むしろ他の子供らより優遇さえされていたと思う。数多いる使用人達は私の言うことはなんでも聞いたし、皆が私をミコ様と呼び慕い、孤独を感じることもなかった。ただ幼少期からしつこい程に、必ず子を成すように、とだけは言われ続けていた。  私の人生は最初から何もかもが与えられていてひどく退屈に感じていた。ある程度物心がつくと王宮で政官補佐として働き始めた。最初はお飾りでしか無かった役職も年月が経つと板になるようだった。  連日嫌でも耳に入る勝っただの負けただのという戦争の報せはたびたび王宮を騒がせたが、央都まで戦争の影響が広がることは少なく、私にはどこか他人事のように感じて仕方なかった。  人員が必要ならば人を手配し、軍備が必要ならば物資を送る。送達に犠牲が必要なら踏まえて多めに送る。  自分の裁量で人の命が動いているという実感もなくただ淡々と目の前の仕事をこなしていた。  生まれから三〇年たって妻をめとった。妻はこの国では珍しい透き通るような翡翠の髪で、歩けば必ず人が振り向く程の私にはもったいない女だった。  望めばいくらでも相手を選べるであろう美貌の持ち主がなぜ私を選んだのか酷く不思議だった。娘が生まれても私は何も変わらないひどく退屈かつ平坦で順風満帆な人生を送っていた。出産に立ち会った時も、美しい翡翠の髪が遺伝してよかったぐらいの他人事のような感想しかわかなかった。そこから私は人並みに妻と娘を愛し、人並みに起伏のある人生を送った。  感情に流されない仕事が気に入られたのか、さして興味もない地位は国でも上から数えて指折りにまで上がり、任される仕事も国の中枢に関するものとなっていた。堅実な生活の上で訪れる幸福も降りかかる不幸も全てが自分にとって人並みの範疇で終わり、私はただの生まれに恵まれた普通の人間でしかなかった。  娘の出産が控えたあるとき、そんなつまらない人生にも最大の谷間が訪れた。ついに獣たちの毒牙がカラムルンドまで届いたのだ。  あっという間の出来事だった。人類は同時に多方面と戦争して武力が分散してしまうことを避けるためにいくつかの種族と休戦協定を結んでいた。  しかし、日没とともに休戦を結んでいた種族も合わせてほとんどすべての種族が一斉に人間に攻撃を開始して日が昇るころにはカラムルンドは陥落していた。  町はやすやすと形容できないほどに成り果てた。獣たちは女子供関係なく無惨に噛み殺し、どこからともなく火が起こり、町はまたたくまに炎に包まれた。  町中に煤のにおいと肉が焦げるにおいが混ざった悪臭がただよった。私はただ家族を守ろうと必死であった。地位、金、人脈、持てるものすべてを使って家族が町を脱出できるよう画策した。今まで積み上げてきたものはそれなりだったらしく私たちはすぐに馬車を走らせることができた。崩れ落ちるがれきや親を亡くして泣き叫ぶ子供、ありとあらゆる|す《・》|べ《・》|て《・》|を《・》|無《・》|視《・》|し《・》|て《・》早急に町を脱出することができた。  町を抜けてより安全な場所を求めて馬を走らせているときだった。娘に陣痛が訪れた。大量の煙を吸って弱っていた娘の出産はかなりの難産であった。馬車に産婆を乗せる余裕などなかったため、箱入りで血など見たこともないような妻と二人で分娩の介護をするしかなかった。  赤子は一向に顔を出さないのにあふれ出る血は止まらず、ただただ娘が弱っていくだけの時間が過ぎた。長い奮闘の末にようやく生まれた赤子はひどく弱っていて生まれたばかりだというのにすでに死にかけていた。娘も息絶え絶えで命が同時に二つ消えようとしていた。  私は腹を痛めて産んだ我が子が横にいても笑うこともできない程衰弱した娘のそばに屈みこみ、どうにか二人が助かるようにと天に祈った。血でぬれた手で娘と孫娘の手を強く握り心の中で祈り続けた。横目に妻も同じようにしているのが見えた。  すると私の両手から翡翠の光があふれだし、あたりを照らした。世界は淡い緑に包まれひどく幻想的で、一瞬現実の苦境を忘れる程であった。広がる光はやがて娘と孫を中心に集まり、輪郭をなぞるように二人を包み込んだ。私はそのときに命の形を見つけた。光に包まれた娘の出血は止まり、二人の表情はみるみる落ち着いていった。  私は神の祝福があったのだと思った。深く息を吸い込んで安堵のため息が出た。ふと周囲に目をやると町から乗ってきた馬が目に入った。町を抜けるときに無理な道も走らせたからだろう、足元は傷ついて小さく出血の跡があった。なんとなしに手を伸ばすと二人を包んでいた光が馬の足元に移動し一瞬で傷を治した。どうやらそれは神の祝福でもなんでもなく私に初めて発現した魔法、治癒の魔法だった。  それからというもの私の身には続々と新たな魔法が染みつき始めた。治癒の魔法に加え、蒼い雷撃を飛ばす雷光の魔法、近い未来を知りえる望遠の魔法、何もかも切り裂く突風を起こす風来の魔法、無から植物を生み出す|生命《いのち》の魔法など計九つの魔法が発現した。  続々と発現する魔法は未知数で扱うには強大すぎた。私は人を傷つけないように次々と発現する魔法に慣れるのに必死の毎日を送った。一日中人気のない森に潜っては魔法の研究をした。それらの魔法は生活を楽にするようなお手軽なものではなかったが、どれも世界を一変させるほどの力を秘めていた。  不思議なことに突如として|使《・》|え《・》|る《・》という感覚が生まれるのだ。新しい特性ではなく、まるでもともと備わっていたかのような、ふと子供時代の感覚を思い出すような何とも言えないようであった。  魔法の研究に熱を注いでいたある日、驚くべきことがおこった。なんと娘も治癒の魔法を使えるようになっていたのだ。私はそこで魔法は分け与えれるものだと知った。  私もすでに若くなくなっていて、力の後継を考えるべきだと悟った。そこで政官としての人脈を辿り、若く健康な者たちを九人集めた。次期王女、子爵の息子、目まぐるしい戦果を挙げる軍人、国中から有望なものが集まった。もちろんそこには私の娘も含まれていた。  魔法が与えられた者たちは1ヶ月ほどの訓練の期間の後に戦場に派遣された。彼らはその人智を超えた力を持って、目覚しい活躍をした。魔法使いの武勲を聞かない日はないほどだった。傾ききっていた形勢は一転し人間は恐ろしい速度で土地を取り戻し、そのまま侵略した。  わずか十日。わずか十日で戦争は終わった。それも、人族の歴史的な大勝利として。失ったものは決して小さくない。しかし、すぐさま復興は始まり、人々は希望に満ち溢れて、街には笑顔と活気が戻ってきた。  戦争が終わって世界が平和になった。誰もがそう信じた。私もそう思っていたし、そうなるはずだった。  戦争が終わって人間がまず先に行ったのは管理地の制定だった。世界の七割を人間が支配し、獣たちは種族ごとで残りの三割から獣の領地どうしが隣り合わないように土地が割り当てられた。  大まかに人間とそれ以外の割り当てが決まると権力者たちは戦争の被害にあった民には目もくれず、我先にと土壌の豊かな土地の領地権を奪い合った。最初は大小さまざまな国が生まれ、数もそれなりにあった。小国は小国と手を組み他の国を吸収して少しでも大きくなろうとした。  戦争の次に待っていたのは別の戦争だった。  面白いことに内乱の勝敗を分けたのは領地の広さや形状でも、指揮官の優秀さでも、資源の有無でもなく、戦争で減りに減った人口差であった。  央都が陥落したこともあって人間の人口は戦争前と比べると激減していて健康な労働力こそが最も貴重だった。健康な男の数、これが国の権威を表す象徴となった。  しかし、人間はすでにどんな戦況も人口差もひっくり返す奇跡の術を知ってしまっていた。それは人智を超え不条理を合理に引きづりだす力。  どの国も持てるものすべてを使って魔法使いを誘致しようと試みた。永遠の富、権力、酒、女、ありとあらゆる条件がおしみなく出された。魔法使いの誘致に成功した国は瞬く間に大国となり、世界は魔法を敵国への|抑《・》|止《・》|力《・》として保有するいくつかの国々によって統治されるようになった。  ある日、恐ろしい知らせが私の耳に入った。それは雷光の魔法使いが暗殺されたというもの、そしてその暗殺者に雷光の魔法が|移《・》|っ《・》|た《・》というものだった。この報せは世界中を震撼させた。今までありとあらゆるものをつぎ込み、何よりも優先して必死に機嫌取りをして何とかつなぎとめていた力を自分のものにできるかもしれないという可能性は世界を再び狂わすのに十分すぎる効力を持っていた。  表面上では今まで通りの機嫌取りをしていても、どの国も暗殺者や一発逆転を狙う無謀な自殺者が急増し、治安は急激に悪化した。伴って検問の強化や自警団の発足などが起こり、世界はさらに息のしづらいものになっていった。  その頃の私は各地で起こる内乱を収めに西へ東へ飛び回っていた。全ての魔法を扱える私が戦地に出向くとどんな争いもすぐに鎮静化できた。私はどこの国にも偏らず中立の立場でただ争いを止める為だけに動いていた。私の意見一つで全てをひっくり返せてしまう、その自覚があったからだ。  家にもほとんど帰らず、妻と娘とも顔を合わせないそんな生活が五年ほど続いた。あまりの忙しさに臣下は流れた月日以上に歳をとり、頬はやせこけ髪には白髪が混じっていた。しかしどういうことか最も忙しいはずの自分だけが全く歳を取らず、魔法が発現した5年前のあの頃のままだった。  目下の問題は各地で起こる革命軍と呼ばれる一揆集であった。彼らの殆どは、民衆に目を向けない富裕層や権力者への恨みを持つ貧民であった。またそれらは大抵戦争の主要被害者であり、長く続いた戦争、それを招いた政官達に大きな感情を抱くのは仕方がないことのように思えた。  「国家の安寧より家族の平穏を」をスローガンに掲げ、なんとか急所を守るだけの貧相な防具を身にまとい錆びれた槍やら剣やらを振り回すだけの彼らだったが、長引いた戦争の被害者は膨大で構成人数は大国の軍隊ほどもあった。  しかし、真に恐れるはその数ではなく革命軍の異様さにあった。彼らは激しい争いの中で負傷すると敵に背を向け、一目散に部隊の後ろに下がる。周りの仲間たちは空いた穴を埋めるように前に出てくる。それを何度も何度も繰り返す。そうして全体を見るとどんどん部隊の人数は減るが、一度日が沈み、また昇る太陽と同時に天幕を出ると、不思議なことにそこには一日前と変わらない大部隊が並んでいるのだ。どうやってか傷が治るからか、攻撃は無防備無鉄砲で歴戦の国軍兵達は逆に調子を狂わされた。  この超常現象のせいで革命軍との戦争はひどく長引いていた。  正直な所、私も権力者たちに言いたいことがないわけではなかった。革命軍の掲げるものはもっともであると思いながらも私も家族のもとに早く帰るために一刻でも早く戦争を終わらせる必要があった。  私が戦地に出向いた日は空の上で池でもひっくり返ったかのような大雨で、昼間であっても夜のように暗く視界はひどく悪かった。  足元のぬかるんだ荒野に国軍と革命軍と向かい合う形で対峙していた。革命軍の先頭に立つ者一人だけが荘厳な鎧に顔全体を隠すようなフルフェイスアーマーをこしらえていてそいつが革命軍の頭なのだとわかった。  後ろの期待に押されるように背筋は凛と伸びて、地面に突いた剣に両手を乗せる姿には威厳と矜持を感じたが、ヘルメットの上に装飾として付けたであろう緑の羽根もこの雨と連日の戦いで土が飛んで荒んでおり、よく見ると鎧も傷だらけのぼろぼろであった。私には統率者はとうに限界を迎えながらも気合いだけでその場に立っているように見えた。  勝負――それは勝負と言うにはあまりに短く圧倒的なものであったが――は一瞬でついた。私が放った魔法は瞬きよりも早く統率者の心臓を無慈悲なほど正確に貫いた。開戦の火蓋はそのまま終戦の狼煙だった。  統率者は鎧にできた親指ほどの穴を見ながらよろけたが、剣を杖のように使って何とか倒れることなく踏み止まった。咆哮を上げながら顔を上げた統率者の眼前にあったのは今しがた自分に致命傷を負わせた男の顔だった。  零距離で打ち込まれた二度目の魔法は統率者の腹に拳大の大穴を開けた。今度は踏ん張りが効かずにどさっと仰向けに倒れた。そして二度と動くことはなかった。  背中越しに国軍兵達の動揺を孕んだ勝利の歓声が聞こえた。周りを見渡すと、何が起こったかを理解できず、その目に現実がしっかりと映っているかも怪しい革命軍たちの姿があった。  ぽとりと剣を捨てる者、天を仰ぐ者、目を血ばらせて叫ぶ者。私は彼らを痛ましくて見てられず、目を背けるように足元に視線を落とした。  背筋を伸ばした地面に刺さったままの剣。飛び散った血と内蔵。曇り空を向いたままの死体、今の今まで命だったもの。哀れだった。心臓が完全に止まったからか腹の大穴からの流血は収まっていたが、降り続ける雨に血が混ざってどす黒いシミが地面に広がっていた。  視界に入るものはただの情報信号として海馬を渡り、これといった感傷はなかった。何も思わない。何も感じない。今まで幾度となく似た光景を見た。  しかし、気づいてしまった。  統率者の首元、ヘルメットの下からのぞく一束の髪。それは熱季の爛々と降り注ぐ日光を一身に浴びた新緑の木の葉のような、雪の合間から小さく芽吹いた新芽のような、この国では珍しい透き通るような翡翠の髪であった。  私は崩れるように膝を着いた。はやる心臓は血管をちぎらんとばかりに激しく血潮を動かし、鼻の奥を突き刺すような痛みに合わせて目尻には涙が浮かんだ。  まだ、そうと決まった訳ではない。きっとたまたまである。私が家に帰れなくなってから革命軍が蜂起したということ、まるで魔法としか思えない程革命軍の傷の治りが早いこと、これだけの人数を従えられる権威がある人物が頭角だということ、|た《・》|ま《・》|た《・》|ま《・》|娘《・》|と《・》|同《・》|じ《・》|翡《・》|翠《・》|の《・》|髪《・》だということ。  焦る気持ちと裏腹に頭は酷く冷静に目の前の出来事を処理していた。だから、わかってしまう。  いいや、きっと偶然が重なっているだけだ。そうに違いない。私は自分に言い聞かせながら恐る恐るヘルメットに手を伸ばした。    ヘルメットの下には既に目の光を失った娘の顔があった。  焦点の合わない目は何もその瞳に移すことなく、薄く開いた口元には吐き出した血が滲んでいる。もはや豪雨と言える程強くなった雨が彼女の瞳孔を打っても、彼女は瞬きひとつしなかった。  私の鼓膜はどんな音も捉えることはなく、頭にはキーンと甲高い耳鳴りが響いた。思い出したように両手に魔力を込めたが、死者に魔法は効かないのか、治癒の魔法は発動しなかった。  私は叫んでいた気もするし叫んでいなかったような気もする。瞳に映る全ては白黒で、静寂に包まれた灰色の世界の中、計り知れない喪失感と計るまでもない莫大な罪悪感だけが私の満たされない心を満たしていた。  右も左も|現在《いま》も|過去《むかし》も分からなかった。頭の中はぐちゃぐちゃで、視界は歪み、自分と言う存在と世界が混ざりあって新しい何かに変質した。まるで自分を題材にした絵画を見てるような自分が自分でない気分になって現実感がわかなかった。  娘を殺してしまった。……私が、娘をこ、ここ、こここここここここここここここここここここここここここっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!  狂ったように頭を振る。地面に身を投げ出しのたうち回る。世界が歪む。分厚い雲越しにほのかに見える太陽がものすごい速度で頭上をすぎる。時間を加速させても時間は私を置き去りにはしない。  落ち着いたら狂ってしまう。  私は狂人のふりをすることでしか私を守れない狂人だった。  娘の顔に滴る水滴は降り注ぐ雨粒なのかそれとも私の涙なのか。抱えあげた娘の体はどっしりと重く、力の抜けた人間とはこうも抱きづらいものなのかと腑抜けた感想が浮かんだ。  そこからは何も覚えていない。気づけば雨は止んでいて、周りには敵も味方もいなかった。辺りは真っ暗で、濡れた体が夜風で冷えて小刻みに震えていた。虚無の世界で一人膝を着く私は、娘の亡骸を抱えたまま、ただ呆然としていた。  朝日が登り、世界が照らされて私は初めて自分が血の海の真ん中に膝を着いていたことを知った。辺りを見渡すと大量の死体が転がっていて、なんとなしに自分が殺したのだろうという実感だけが湧いた。  罪を犯してしまった。娘を殺しただけにとどまらず、大量に人を殺してしまった。しかもすでに武器を捨てていた人々を、本来なら私が守るべき人々を、娘が守ろうとした人々を。  私はきっと自分が思うよりも娘を愛していた。 ───────​───────​────────  ミコは手に持った枝木をパキッと握り折った。その顔は険悪で恐ろしいものだったが、不思議と恐怖ではなくて憐れみの感情が湧いた。四〇〇年たった今でも彼は自分が許せないのだ。今も当時の絶望が彼をがんじがらめにしている。身体だけでなく、心も、四〇〇年止まっている。  枝を火に投げ入れると、そのまま顔を覆った。 「魔法が悪いわけではないのだろう。きっと無ければ無かったで獣たちに殺されて終わりだった。」  くぐもったミコの声は涙ぐんでいた。顔は見えないが容易に想像できた。  「しかし、あの日あの場所で私が魔法を発現しなければ、私が最初に娘に魔法を使わなければ!……娘は戦地に立つことも、私に殺されることもなかった……。っ私は魔法が許せない。魔法を利用するものが許せない。魔法使いが許せない。私は……」  「私は私が許せない。」  これは八つ当たりみたいなものだ。ぼそっとミコは付け足した。  そしてミコはハンスをじっと見つめるとこう問いかけた。  「お前、本当にわかっているのか?」  瞬間ゾクッとした悪寒が走って、場の空気が変わるのを感じた。今までの話ではなくこれからの話になったのだと悟る。    今日一日感じていたミコの視線。自分とミコの関係が浅いから、警戒されていたのだと思っていた。しかし違う、そもそも圧倒的な力を持つミコがハンスのことを警戒するなどありえない。あれはきっと案じていたのだ。    「これはおとぎ話じゃない。この旅の相手は人を襲う獣でも悪政を強いる愚王でもない。」  「この旅は、ただ魔法が使えるだけの、ただそれだけの……」  人間を殺す旅だ。  感じていたミコとの違い。それはひどく単純で最も難しいもの。  ――覚悟。  現実は冷たく、だれにも容赦なく降りかかる。  人を殺せるか、ハンスは今一度、自分に問いかける。  空には無数の星が瞬いていて、ハンスが答えを出すのを見ているような気がした。
涙のことを空知らぬ雨と言うそうです 豪雨の中流れたのは雨水なのかそれとも…… 舐めてみたら案外わかるかもですね(*ノ>ᴗ<)テヘッ お読み頂きありがとうございます! 評価・感想励みになります!またお会いできることを願って、じゃねばい!

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