かぴ / 第5話

至る

「俺は反対だ。」  今からでも村に帰るべきだ、ロルフは顔を流しながら言った。昨夜のことを言っているのだろう。  朝露浮かぶ森の中、せせらぐ清流の岸辺で二人は横に並んでしゃがみこんでいた。  「俺だって人を殺したことはある。だけどそれだって、村に侵入した盗賊を仕方なく、だ。お前の場合とはわけが違う。悪いことは言わない、やめておけ。」  川面に反射する自分の顔を見る。きらきらと反射した朝日がまぶしい。流れでうなる水面に顔が歪んで見える。手を入れるとひんやりと気持ちがいい。そのままひとくちすくって飲む。  「俺には帰ったってなんもない。それともあれか?誰も買いもしないロウソクを売り続けろってか?」  いつもの軽口のつもりが思いのほか強い口調になってしまって驚いた。これは八つ当たりだ。心の中で芽生えた一抹の不安をかき消さんとする八つ当たり。  「お前も騎士隊に入れ。たっぱは小さいが腕力もあるし、度胸もある。それになんていったって若い。若さというのは貴重だ。俺が推薦すれば村の奴らも何も言えんだろう。」  「剣なんて握ったことない。」  「俺が教える。」  「……あの村は嫌いだ。」  「それでも職があって、明日がある。」  間髪入れずにロルフは答える。ロルフの顔を見る。真剣だ。  どこからか聞こえる鳥のさえずりは空気になじまない。木々の間から差し込む光が緑を一層輝かせる。二人を包む空気とは裏腹にあたりは明るい。  ロルフが立ち上がる。立ち上がったロルフの顔は光が眩しくてよく見えない。また顔を伏せる。  「どうせ剣を握るんだったら俺は自分のやりたいことをやる。」  「罪のない人間を殺すのが親父さん捨ててまでやりたい事なのか。」  「……捨ててないよ。何も捨ててない。」  顔を伏せたままの言葉。表面上に説得力はなくとも裏には強い決意を伏せている。  「それに、えらく虫のいい話じゃないか。それならもっと早く声をかけてくれてもよかったのに……。今更誘ってくるのはなんでだよ。目の前でガキが人殺しになるのを見過ごすのは後味が悪いからか?いつか俺が人を殺したことを聞いた時に相手に同情しないようにか?それとも俺のことを哀れに思ったのか?」  「ハンス!俺はそんなことが言い……」「俺はっ!!可哀そうでも、逃げ出したわけでも、捨てたわけでもないっ!やりたかったことをやりに行くんだ!あのクソみてぇな村抜け出して、自分の足で地面に立ってこの目で世界を見るんだ。……中途半端に口出すんじゃねえよ。」  売り言葉に買い言葉、全部が全部本音という訳ではなかったはずだが、口をついて出てしまった。吐いた唾は飲み込めないし、飲み込めたとしても自分に返ってくるだけだ。  ロルフはぐっと堪えると何かを言いたそうにしたが、結局何も言わなかった。悲しそうな眼で川辺を後にするロルフの横顔は小さくも重い鉛をハンスの心に落とした。  あれから森の中を歩き続けると半日で森を抜けた。道中は会話もなく、三人が土を踏みしめ、石を蹴る音だけが聞こえた。怒っているわけではなかったが、何となく虫の居所が悪く、口をきくには気まずかった。  森を抜けると広い平原が広がっており、足元は整備された石畳の道路に変わった。定期的に宿屋や酒場の看板を見るようになり、ぽつぽつと建物が並び始めた。そこからさらに一刻ほど歩くと高い城壁に囲まれた街が見えてきた。  城壁のふもとまで歩くとその高さがより鮮明になった。一体、人が何人肩車すれば上まで届くのだろうか、見上げた首はもげそうなほど曲がっていた。  門の前には商人やら旅人らが列になって検問を受けており、街の外からでもミリスクの活気が想像できた。  検問は鉄のチェインアーマーに革の胸当てをつけただけの軽装の兵士が四人体制で行っていたが、一応形式として行っているだけで大した効力はないように見えた。数口の言葉を交わし次々と街に入っていく。それだけ今の人の世は平和なのだろう。列はスルスルと進みすぐに自分たちの番になった。何用かと聞かれ、旅人だと簡潔に答える。ハンスの抱えている箱をちらりと見たが、兵士らは特に怪しむ様子もなくするりとハンス達を通した。  城壁は思っていた以上に分厚く、門口の側壁には部屋が彫り込まれていた。  木造の扉が一つ不格好に取り付けられているだけの窓もない質素な小部屋の中では、きっと交代を待つ門番がその時を渋りながらお茶でも飲んでいるのではないか。いくら平和な世だと言え流石にお茶だと信じたい。  門内は暗く、出口から差し込む光で街の様子は中からは見えない。しかし、流れ込む音は壁に反響して大きく響く。一歩進む事に大きくなる街からの声。光の先の景色を想像して胸が膨らむ。手で顔の前にひさしをつくって光の中へ踏み込む。  ——喧騒、弾ける。  光の先にあったのは想像以上に華やかで、想像以上に騒々しいものであった。家々はどれも煉瓦作りで高級感があり、前に通る大通りの両端には所狭しと|出店《でみせ》が立ち並ぶ。道路には荷馬車が走り、かつかつと蹄鉄を響かせている。  いかにも怪しい品を売りつける商人に酒屋の客引き、青々と輝く野菜が並ぶ八百屋、もう一声と値引る女性。わいやわいやと声が行き交う。どの人々の衣服は華やかで農耕服を着ている者など見当たらない。  間豊祭だってこんな盛り上がりにはならない。リーグレット村とは似ても似つかない街の熱気に自然と口角が上がる。何が面白いのでもない。ただ身を包む新鮮な感覚が楽しかった。  「……じゃあ、俺はお役目果たしてくるわ。」  ハンスを現実に引き戻したのはロルフの言葉だった。何をしに行くのかという疑問を孕んだ視線を向けると意を汲んだように話し始めた。  「昨日話したかもしれないけど、領主様から俺達にお触れが出ているんだよ。詳細を聞きに一旦あそこまで行ってみようってこった。」  俺たちというのは村に駐在する騎士たちのことだろう。彼らは領主お抱えの騎士団であり、広大な領地を管理するために少人数ずつ領地内の村や町に配属されていた。  ロルフも普段はリーグレット村の警備の任についているが、一度領主から声がかかれば何よりも雇い主を優先してミリスクを訪れないといけないというわけだ。上に立つ人間というのは何とも傲慢である。  村では嫌われ者のハンスをロルフだけがひいきにするのも、村育ちではないがゆえに村の価値観が身についていないからだった。  ロルフが指さした先には、街の中心を通る大通りの先、一際存在感を放っている小城があった。きっとあれが領主の住む城なのだろう。  戦闘用に建てられた城では無いのだろう。決して豪華という訳では無いが、細部まで丁寧に装飾されているのがここからでも見て取れた。いくつか並ぶタレットの先端には赤い旗が立てられ、屋根は煉瓦ではなく青灰色のスレートで作られている。古くて小さいが重厚感と高級感があった。  「旗に何かのっているな。」  そう言われて目を凝らして旗を見てみる。  「……ん、狼…かな?」  風になびく旗は見づらかったが、両のまゆがくっつくほどに視線を集中させると、掲げられた旗には剣をくわえた狼を象ったであろう紋が黒に織られていることが分かった。  あの紋は見たことがあった。村を通る荷馬車がたまにつけていたのだ。聞くところによるとあれは領主貴族の家紋などではなくミリスクの歴史にまつわる物らしい。  「二人ともあんな遠くのものがよく見えるな。俺には旗があるかどうかすらわからないぞ。」  両の眉をくっつけたロルフを見る。必死に目を凝らす真面目な顔と、横一列につながった眉毛がどうにも合わなくて珍妙にして滑稽である。おかしくて吹き出してしまった。  「……っ!な、なんだどうした!?」  変なツボに入ってしまった。どうしよう、笑いが止まらない。  「ははっ、あははははははは!!!」  「なんだよ、お前ら二人の視力がおかしいだけでお、俺だってめ、目は、いいほうなんだぞ!」  花が咲いたような笑顔につられて、ロルフも笑い出した。  ロルフの言葉は笑いに阻まれてとぎれとぎれになっていた。先ほどまでの気まずさなどどこに行ったのか。  「短かったけど、ここでお別れだな。」  ひとしきり笑った後、ロルフがぽつりとつぶやいた。  また重たい気持ちに戻って表情が冷めた。  このまま別れれば、この広い街でまた会えることなんてあるわけない。もう二度と会えないかもしれない。ロルフも分かっていた。  こちらをうかがうロルフは幾分ましになってはいるもののやはり気まずさを携え、ごまかすように不器用に微笑んでいた。このまま曖昧なまま終わらせる気だろう。きっと彼自身もそれでは行けないとわかっているが一歩が踏み出せずにいる。双方、互いの考えが分かる、だからこそどちらが正しいかなんてわからない。どっちも間違ってはいないのだから。  平行線だ、答えは出ない。  しなし、だからこそ謝らなければならない。今朝の態度、投げかけた言葉……。 「そっか……。」  想いとは裏腹にハンスは正直にはなれなかった。頭ではわかっていてもそこまで大人になりきれない。自分から切り出す勇気もなく、その社会性を身につけるほどの経験もしていなかった。  彼の顔を見れなかったが、落胆してるであろうことは小さく漏れた息からわかった。  気まずい沈黙。ロルフも逡巡している。  「じゃあ、俺は行くわ。またどこかで会えたらな。」  覚悟を決めたのか、手を振りながら大通りへ足を進めるロルフの背中を見つめる。騎士隊長らしくよく鍛え抜かれたたくましい背中。村でよく見たあのやさしさにあふれた背中。でも、いつもより小さく見えた。  ——短くない。  ふと考えが浮かんだ。そうだ、短くないのだ。旅を共にしたのはたった半日をほどかもしれないが、彼にはずっと助けられてきたではないか。村での鬱屈した毎日、向けられる差別的な目に、投げかけられる悪意に満ちた言葉。彼だけだ、普通に話しかけてくれたのは。彼だけだ、やさしく気にかけてくれたのは。彼だけなのだ、自分を友として接してくれたのは。ずっと、ずっと、助けられていたのだ。  ——このままじゃ、だめだ。  「ロルフ!!!!」  一目も気にせず大声で叫んだ。一気に街の視線が集まる。  「ありがとう!!!」  頭を下げた。それはもう深々と。きっと言葉は足りていない。もっと適した言葉も行動もあるはずだ。だが彼だけにはそれでいいと、伝わると思った。  下を向いたまま顔をあげれなかった。彼の心配を無視して進むのだ。誠意を見せなければならない。覚悟を見せなければならない。この目に浮かぶ涙を見せてはならない。長い間頭を下げていた。体に添わせた手をぐっと握りしめた。いま、覚悟を決めたのだ。 「いつまでそうしてる?早くついてこい。」  そう言われて顔をあげると、少し離れたところからくだらなそうにミコが見ていた。辺りを見るともう誰も自分のことなど見ていなかった。大通りの先に視線を戻す。ロルフの背中は群衆にのまれて分からなくなっていた。
最近ハンス泣きすぎだぞ、泣くな男だろ お読み頂きありがとうございます! こういうしみじみとした話が好きであります。そろそろくどいのでしばらくありません笑 評価・感想励みになります!それではじゃねばい!(ここまで読んでくれている方に万感の想いを込めて)

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