かぴ / 第2話

照らす光、照らされる光

 衝撃的な景色だった。  突如として現れた宙を浮かぶ球体に、急成長を続ける謎の植物。浮かぶ青の球体は息を吸い込む肺のように大きくなったり小さくなったりを繰り返し、合わせて光も強くなったり弱くなったりした。それがなんであるかは分からなくても、魔法であろうということ、触れたらひとたまりもないであろうことは直感で理解できた。  球体の発生と同時に生えてきた植物は大人の丈ほどまでに成長すると、大きさにして赤子ほどの巨大な花を咲かせた。五枚しかない花弁は中央部でお椀状の柱頭でつながり、花のどす黒い赤は残酷な印象を持たせた。  それだけじゃない、上も下もなく吹き荒れる風、粉雪のように舞う氷の鱗片。先刻まで小さな井戸があるだけだった狭い空間はあらゆる異常で包まれていた。嗜虐的、残酷的、扇情的。それは常世ならざる光景だった。男を中心に広がる世界はなんとも幻想的に暴力的で——  ——ただ、魅力的だった。 ───────​───────​────────  「……!!待ってくれ!」  ハンスはどこか上の空で男を眺めていたが、男の視線が自分ではなく井戸に向かっていると気づくと井戸を庇うように手を広げた。  「この井戸がないと俺たちはロウソクを作れないんだっ…。頼むっ、井戸を壊さないでくれっ……!」  「どけ、邪魔をするな。」  「お願いだ、なんだってする!」  ハンスは四肢を地面につけ額をこすりつけた。今まで村でのけ者にされようが、理不尽に殴られようが屈することなく決してしなかった行為。土下座だった。  汗ばんだ額に土がつく感触が気持ち悪い。男がどんな顔をしているかわからないのが怖い。しかし、この際なんだってやってやる。井戸が破壊されればどのみち未来なんてない。唯一の職さえ無くせば自分だけでない、父親の未来もなくなってしまう。  「今、額を地面にこすりつけるしかないお前にいったい何ができる。」  冷たく残酷な声。惨めだった。今までの矜持も意地もすべては無に帰した、そんな気がした。しかし、だからこそ冷静になれた。歯を食いしばり、土を握りしめる。何か考えなくては。  「……俺が、現代を教えてやる。」  それは大きな賭けだった。先ほどの四百年前の異常という言葉、風化という言い回しから男は今の世の中に詳しくないのではないかと踏んだ。そして旅をしてるであろう男にとって知識不足は小さな問題ではないはずだ。  「なかなかおもしろい着眼点だが、お前みたいなガキに教わらなくても済む話だ。」  「誰に聞いたって同じかもしれないが俺には嘘をつけない。」  今の自分にとって最大の武器。それは、危機的状況であるが故の言葉の重さだということをハンスは理解していた。男の返答から有利に立っている気さえして、ハンスの心には少し余裕が生まれていた。軽くあしらおうとする男にハンスはたたみかけるように続けた。  「別に一生壊すなとは言わない。魔法を無くす旅をしてるんだろ?その順番を最後に回してくれたらいいだけなんだ。なんだったら俺を旅に連れてってくれてもいい!雑用でもなんでもする!」  ――気持ち悪い。顔を上げると男はそう言いたげな冷ややかな視線をこちらに向けていた。  「自分の望みを他人の望みかのように言うな。それもこんな場面で。身なりを見ればお前の村での立場ぐらい馬鹿でも想像できる。お前は自分がこの村を出たいだけだろう、いかにも譲歩してやったかのように都合よく俺を利用するな。この独りよがりが。」   一瞬胸に魔法を打たれたのかと思った。それほどまでに男の言葉は心を深くえぐり、ハンスは何も言えなかった。そんなつもりはなかったが、そんな気持ちがなかったかと言えば嘘になる。  一瞬でも上に立ったと勘違いしてしまった。言葉の重さが自分の武器だと、誠実な心こそがこの場面を乗り越える最大の切り口だとわかっていたのに。しかし、しかしだ、思ってしまったのだ。  魔法が展開され目の前で常識が変わったとき、この男ならクソみたいな当たり前の日常を壊してくれるのではないかと。  そうだ、自分は旅に出たかったのだ。この村を出て身分も貧富も関係ない旅人となって、この世界を見て、聴いて、知りたかった。同じ世界の住人として皆に対等に扱ってほしかった。そしてその願いは自分が思うよりずっと強く深く根ざしていたのだ。しかし、その願いはもう叶わないだろう。なぜなら怒れる男の目に映るのは井戸ではなく自分になってしまったのだから。  ――ああ、ひどい人生だった。ごめん父さん、こんなことなら一言……。  死の間際、浮かんだのは父親への後悔だった。目を閉じ、じっとその瞬間を待ったがそれは訪れなかった。  「何をしている!」  聞こえてきたのは力強い男の声だった。急いで声のほうを見るとそこに立っていたのは、ブロードソードを中段に構えた筋骨隆々の男だった。  「ロルフ……?どうしてここに?」  「ハンス!?見回り中に急に東の空が明るくなったんで火事かと思ってな。何やら火事よりやばそうだが!」  そういってロルフは豪快に笑うと、すぐに男に向き直り問いかけた。  「旅の人よ、できればここらで引いてもらいたい。」  「私には今ここでお前を殺すこともできるが?」  「ああ、あんたならそんぐらいどうってことないだろうな。体中がこいつはやばい、殺されるってビンビン警報発してるよ。」  よく見ると、剣を構えるロルフの手元は小刻みに震えていた。  「だが、ここに来る前にハンスのおやっさんに村の人を呼ぶように頼んだ。俺の信頼できる馬鹿どもがこっちに向かってる。俺をここで殺しても国の指名手配犯待ったなしだよ。」  男はふむ、とうなずくと一歩後ろに下がった。男はハンスを見てにやりと笑うとそのまま二歩、三歩と続き、驚くほどあっさり森の中に消えた。男が森の木々に隠れる瞬間、展開されていた魔法が消え、三度、世界が暗闇に包まれた。静けさを取り戻した森の中、男の声だけが響く。  「旅が拘束されるのは面倒くさいからな、私はこのまま森の中で夜を越すとしよう。なに、心配することは無い。明日の朝、夜明けとともにこの村を出よう。」  そう言い残し、あの身の毛のよだつような存在感は一切感じられなくなった。 ───────​───────​────────  男が去った後、二人はすぐにその場を離れた。男はこれ以上何もしてこないだろうとは思っていたが、それでも急いで立ち去りたくなるほど恐怖は強烈だった。  帰り道の途中、ロルフからは多くの質問(主にあの男に関しての)を受けたが、自分もよくわからないで通した。ロルフは少し不服そうにしていたがそれ以上何も聞かなかった。  改めてロルフに感謝を伝えると、ロルフは飯の一つでもおごりやがれ!と冗談めかして言ったが、すぐに気まずそうな顔をして冗談だよ、と付け足した。ハンスにそれすらの金がないことを思い出したからだ。そこから別れるまで会話はなかった。  森の出口につくとロルフは何かを言いかけたが、結局何も言わずに昼間のようにひらひらと手を振りながら村に帰っていった。その背中は昼間より少し小さく見えた。  家の裏戸をあけ、戸口の横に木桶を置くと、食卓に着いたままの父親が見えた。両手を組んで机の上に乗せて、何か思い詰めているようだった。  父親は土で汚れたハンスを見ると、驚いた顔で何事かと聞いてきた。ロルフから人を呼ぶように言われたはずの父だが、村に人を呼びに行ってから帰ってくるにはあまりに早すぎるため、あれはロルフの命を賭したハッタリだったのだと気づいた。    何があったかを知りたがっていた父親に、疲れたからといってハンスは何も話さず床の準備をはじめた。本音を言うと何を話せばいいのかわからなかった。  家の裏でぬるま湯に浸した絹布で体を拭きながらハンスは震えていた。それは寒さからか、恐怖からか、はたまた魔法を見た高揚からなのかは本人にも分からなかった。きっと全部だったのだろう。    ――自分が村を出たいだけだろう  床についても男の声が何度も何度も反芻はんすうした。ハンスの頭の中は色々な感情がぐるぐるしていて、今にも吐き出しそうだった。  ここではないどこかへ行きたいと思っていた事は事実だった。しかし、自分と父親の命よりそんな俗な願いを優先した自分に衝撃を受けたし、それでもなお自覚してしまった願いが収まらない自分に嫌気がさした。父親への申し訳なさと、自分勝手にやまない気持ちからハンスは自己嫌悪で死にそうだった。  男はわざわざ出発のタイミングを伝えてきた。まるでついてきたければついて来いとでもいうかのように。寸前まで自分を殺そうとしていた者のあまりにも不確かで疑わしいその言葉がハンスを未練でからめとっていた。  腰の悪い父親は村までロウソクを売りに行くことすらままならない。自分がいなくなった父親の将来なんてわかっている。そうだ、父親を旅に連れていけばよいのではないか。いいや、村までの距離も歩けないのに世界をまわる旅などそれこそ無理な話である。  本来なら天秤に乗せるのもはばかられる選択を、ハンスは延々と試行錯誤しており、そんな自分に気づく度にハンスはまた自己嫌悪で死にそうになった。選択肢なんて一つしかないのだ。  意思は固まらないままに残酷にも時は過ぎた。眠れない夜を超えてふと気がづくと夜明けが近づいていた。ハンスは夜中に必要最小限の荷物をまとめた背負い袋を見ておもった。夜明けまで外を歩いて、仮にもし男に会うことがあればそのまま旅に出よう、会えなかったら再びこの日常に戻ろう。  この期に及んでハンスの気持ちは固まらないでいた。  音を立てないようにできるだけ静かに自室を出て戸口に向かった。途中、物をひっかけないように背負い袋を前に抱えて、一歩一歩ゆっくり歩いた。  「ハンス……どこへいくんだ?」  不意に声を掛けられ肩がはねた。ゆっくり振り返るとそこには燭台を持って立ちすくむ父親の姿があった。部屋の壁には二人の影だけが寂しげに揺れた。父親はハンスが抱える背負いかばんを見て息をのんだ。  「お前……」  「ち、違うんだ父さん!ちょ、ちょっと散歩にでも、そう!散歩にも出かけようとお、思って、えっと……それで……。」  言ってるうちに胸に息が詰まって上手く話せなかった。父親を前にした途端あいまいな覚悟の代償として涙があふれでた。そこで初めて、二度と父親に会えない可能性に気が付いた。一晩、いや母親が死んでから淀み続けた感情が制御できなくなって激しく流れだした。  「ごめん、俺どこにも行かないからっ……だからっ、」  違う、そうじゃない。すでに分かっているのだ、本当に言いたい言葉なんて。  「……そこで待っていなさい。」  そう言うと父親は持っていた燭台を机に置いて工房に入っていった。ろうそくの小さな揺らめきが侘しさを演出した。すぐに帰ってきた父親の腕の中には小さな木箱があって、箱の中には出来上がったばかりの二十本ほどのロウソクが詰まっていた。  「これを持っていきなさい。」  父親の声は少しくぐもっていて、箱を差し出しす手は小刻みに震えていた。  「ハンス、俺がしてやれることはこれぐらいだ。隣町で売れば、しばらくの足しにはなる。」  「そっ…じゃなくて、おれはっ……!」  「ハンス!」  父親は突然大きな声でハンスの名を呼んだかと思うと、持っていた木箱から手を放してハンスを抱きしめた。静かな家の中に木と木がぶつかる重い音とロウソクがころころと転がる音が響いた。父親は感情を嚙み潰すように、それでもなお消せない激情がこもった声で言った。  「今までつらい思いをさせた。させているのも分かってたし、お前が外に行きたがってるのも気づいてた。お前がずっと内でこらえているのに甘えてたんだ。ごめん、ごめんな。」  謝ってほしいわけじゃなかった。むしろ自分が謝りたいくらいだった。流れる涙が少しでもこぼれないように前を向くと、ハンスの目には裏戸の横に置かれた空の木の桶が父の肩越しに映った。  昨日、ロウを汲みに行ったばかりの木の桶。父親の体からは甘いロウソクのにおいがして、父親も夜通し起きていたことを悟った。ふいに、今までの日常の記憶が滝のように脳内を流れた。つらいことはあった。理不尽なこともあった。けどそれ以上にたくさんの愛情をもらっていた。  「俺がいなくったら父さんは……」  「馬鹿が、お前が初学校を卒業して本格的に仕事を手伝い始めてからたったの三年だぞ。それまでどうやって生きてきたと思ってるんだ。」  父親は涙でしわくちゃになった顔で笑いながら言った。  「いいか、ガキが親の心配なんかすんじゃねぇ。ただ、いつかふらっと帰ってきて、笑って話を聞かせてくれたらいい。それだけでいいんだ。」  父親はハンスの肩をしっかり掴んで正面から向き直った。  「お前は俺の息子だ。」  ハンスの喉がひゅっと小さく鳴って、ハンスは膝から崩れ落ちた。ハンスは両の手で顔を覆いながら振り絞るように答えた。  「……ぁっ……ありがとうっ……。」  部屋を照らし続けて短くなったロウソクが、部屋の隅で照らされ続けた次のロウソクに火を繋ぐように、照らす光は照らされる光に、照らされた光は照らす光に。愛情という暖かな光は後悔と罪悪感にとらわれたハンスの心をやさしく包み、想いに火をくべる。  ハンスの父親は拾い上げたロウソクをハンスの胸に押し当てて言った。  「わざわざこんな時間に出ようとしたんだ。時間、ないんだろ?」  ハンスはロウソクを大事に抱えながら立ち上がり、父親と向き直ってこくりとうなずいた。  父親はふうっと息を吸い込むと精一杯に笑顔を浮かべて、息子の肩をつかんで戸口に向き直し、息子の背中を後押しするように強く叩いた。  「行ってこい!ハンス!」    ——ハンスが本当に言われたかった言葉、本当に言いたかった言葉。    「行ってきます!」  ハンスはそう言って、目に浮かぶ涙を拭いながら満面の笑みで飛び出した。  ───────​───────​────────  涙で晴らした顔を誇るかのようにまっすぐに前を向いた少年。  胸にはいっぱいのロウソクが詰まった木箱を抱え、背には貧相な背負い袋一つ。  夜明け前のほのかに明るい光に包まれた世界の中、十歩先にはなだらかな草原にそびえたつ山々を背にしてこちらを見つめるフードの男。  ここはリーグレット村西端、一歩踏み出せばそこはもう未知の世界。  朝日が差し込み足元に影と光の境界が生まれる。そう、これは文字通り境界。踏み出せば戻ることはない。  ごくりとつばを飲み込む少年の背にどこからともなく突風が吹きこみ少年はよろけるように、いや、背中を押されるように一歩前に出た。  顔を上げた青年の目にもう迷いはなく、力強く踏み出した。  こうしてハンスの冒険が始まった。
お読み頂きありがとうございます! 評価・感想励みになります! 次話もぜひお読みください!じゃねばい!(じゃあねばいばいの略)

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