神成仁 / 第4話

02

そもそも、なぜ私がこの金髪を“病院送り”にしたのか。 タンジー・ウインターはアメリカの不動産王グラジオラス・ウィンターの孫娘でゴシップネタの常連。 ハムスター(2週間後に死亡)にクルーズをプレゼントしたり、 入浴中の父親の元へ生配信で突撃し、いっときSNS上に全裸の父親のミームがあふれた。 そのせいで会社の株価は大暴落──その手の武勇伝には事欠かない。 常にトレンドとバカの最前線をゆく彼女にとって、とにかく注目されることがビタミンなのだ。 私たちに接点はほぼない。ただ一つ、共通の汚点があった。 ――ユスフだ。 ユスフ=ジャマル=ザイールは小さな島国の王族の末息子で、 まあ早い話元カレだ。 彼とは長付き合いだったが、同じ方向に歩む未来なんて1ミリも考えたことがない。破局と復縁をを繰り返し、半年前にドライブ中に置き去りにしてやっと正式に縁を切った“はず”だった。 ただ別れてからも私のいく先々に現れると“俺を見捨てないで”と跪き、危うくその場で涙と嗚咽の公開記者会見を開かれるところだった。 その後もメッセージや着信などかなり粘着されて、いよいよほとほと愛想が尽きてしまった。 ――ただあんなみっともない奴でも恋人の噂が絶えないのには理由があった。 小国であろうとも“プリンス”の肩書きは魅力的なエッセンス。 それに加えて圧倒的財力、鍛え上げた肉体、プラスチックみたいな白い歯、褐色の肌に涼しげな目元。 世界中のティーンがその笑顔に骨抜きになった。 タンジーも例外なくその1人だった。 ハンサムな王子の恋は若い彼女の虚栄心をくすぐり、彼の生涯のバービーとしてバージンロードを歩く未来こそ、羨望の眼差しを一心に受けられる最高のシナリオだった。 しかし恋人が元カノ私に復縁を迫っていることを嗅ぎつけて、その後彼女はあらゆる場所で私に噛み付くようになった。 ただ、ユスフは外見こそケン人形だが、常に好みの美女がいないかキョロキョロ歩きながら回転ドアにぶつかるような男だ。 あんなダサい男のどこがいいのか、正直一度腹を割って聞いてみたいところだ。 とは言え私は徹底して沈黙を貫いた。 こんな面倒に関わり合いたくなかった。 ――その矢先に、例の事件である。 さして興味もないだろうに、ご令嬢はパリで開催されるチャリティーイベントの出席者リストでめざとくも私の名前を見つけ、主催者へ自分も参加すると連絡。 私を待ち伏せて別れを迫るつもりだったのだろう。 ただ、私が渋滞で到着が遅れたせいで、彼女は車内であのラテックスのドレスで身じろぎもできず、トイレにも行けず考える人みたいになりながら私を1時間も待っていたようで。 だめだ、想像しただけで笑える。 「あら、信じられないユスフのストーカーじゃないの!!!」 私がカメラの前から立ち去ろうとすると、あの独特の甲高い声が。 「前から言いたかったんだけど、私たちもう付き合ってない。」 と振り向けば、彼女はまるで鬼の形相。 「嘘!彼に付きまとってるのバレないとでも思った?いい加減、ユスフに近づくのはやめて。」 「してないってば!!! なんならマジでこっちはずっと迷惑してるの!」 私はとうとう声を荒げた。 しつこく連絡してくるのは向こうであって私じゃない。 だがそれを伝えたところで──彼が彼女のものになるわけではない。 ミス・ウィンターは決して“メインディッシュ”にはなり得ない。世界中の美女をフルコースのように楽しむあの男にとって、せいぜいおつまみ程度だ。 時間と金を注ぎ、“最大限愛される努力”をしたのに、一口つまんでポイなんて。 そんな屈辱にあの我儘で見栄っ張りの彼女が耐えられるだろうか。 あくまで想像だが、今ここで決着をつけなければと捨てられた哀れな女からの脱却を図りたいのだろう。 「うるさい、彼に近づかないでって言ってるの!」 「そんなにユスフが大事なの?アンタの為に敢えて断言するけど、あいつクズだよ?」 「なにそれ、あたしに説教しないでくれる? あんたみたいな──」 「私が何?」 「プリンセスになり損ねた偽善者セレブもどき。」 言うじゃない。 「アンタも家族や周りに迷惑ばっかりかけるクズ女ね!」 なんでアンタに言われなきゃいけないのか。 「継承権がないからロイヤルファミリーから追い出されたって、正当な血じゃないって、BuzzRazziに書いてあったんだから!」 ―― うっそ……タンジーって字が読めたんだ。 真に受ける“間抜け”がいるうちはタブロイド誌も安泰だな。 アホらしくなって無視を決め込む私に 調子づいたのか彼女はついに一線を超えた。 「どうせあんただけじゃなくて、妹だって偽者なんでしょ。あんなに上品ぶってるけど中身はアンタそっくりの図々しいビッチだったりしてね!」 よく覚えていないけど、体が勝手に振りかぶって、タンジーが悲鳴を上げた時にはクラッチを片手にただただ肩で息をする自分がいた。 これがクラッチで一発“お見舞い”事件の一部始終だ。 妹を侮辱されるのは、自身が嘲笑されるよりも許せない。 ただ、この一件で私は一躍各面のトップニュースを飾り、ウィンター嬢は早々にアメリカに帰って訴訟だと息巻いているらしい。 ざまぁみろ、自業自得だってんだ。 一口だけ運ぶコーヒーの苦味が、より現実へと自分を引き戻していく。 そろそろこのカフェにもいられない。 元々パリに来たのは所属のNPOの資金集めだった。チャリティイベントでかなり目標に近い額の支援が得られそうだし、早く支援キャンプの活動に戻らないと。 虚ろな目で、クロワッサンをコーヒーに浸す。 台無しにしたいんじゃない、浸せば少しは美味しく食べられるのではと思ったからだ。 じゃぶじゃぶとコーヒーにパンを沈めていると視線を感じて前を向く。 向かいの席の安物の白シャツ男だ。 お願い、気づかないで… 「おい、あんた……嘘だろ。これ、あんだろ?」 願いも虚しく、男は私のテーブルに移ってくるなりニヤニヤしながら新聞の一面を指さす。 「そんな女知らない。」 さすがに無理があるのはわかってる。 お願い、騒がないで…二日酔いも相まってもう最悪。 「いやいや、どう見てもあんただって! なぁ、本当にこのブロンド女を病院送りに──」 口を開いたら本当に吐きそうで黙っていると、視界の端を黒のトレンチコートがひらりと横切った。 「お話中失礼、ムッシュー。こちらの方と待ち合わせでございまして。」 聞き覚えのある声に私は顔を上げる。 男は彼を見るなり、咳払いをすると新聞をたたみながら向かいのテーブルに戻っていく。 その声の主は、私の“身内”だった。 「ただ、殿下。差し出がましいながらひとつ申し上げますと──」 この声、この台詞。久しく聞いていなかった。 「クロワッサンにはブラックコーヒーより、カフェオレがよく合います。」 あの柏木が迎えに来た。 もう何年も顔を見ていない。今まで私が好き勝手してきたことを知っているはずなのに、この男は一度だって尋ねてこなかった。 その彼が、ここにいる。 ただ事ではない、と悟った。 何が起きているのか見当はつかない。 ひとつだけ確かなのは──この時まではまだ、私の運命は私だけのものだったということ。 コーヒーをすっかり吸い上げたクロワッサンが沈むカップを見て思う。 ――これは、まずいことになったと。 (つづく)

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