神成仁 / 第9話

07

忠告とは雪のようなものだ。 穏やかに降るほど、長く消えずに残り、心に染み込んでいく。  - コールリッジ 「明日の国葬に関してでございますが、 運びは後ほどご連絡をいたしますので、はい。」 柏木がなにやらで電話をする背後で私はあるものを探していた。 先ほどの休所に戻ってくると自分が着てきた服と トートバッグがあった。 スマホに、カードしかない財布、スマホバッテリー、ガム、ボールペン、携帯灰皿、ライター、 あとは…なんだこれ。 ちぇっ、ガムの包み紙だ。 肝心のものはなかなか出てこない。 3日もいるのに持ってこれたのはこれだけ。 改めてあんまりだと思う。 私はふと自分のコートのポッケに入れた最後の記憶を思い出し、コートを弄っているとやけに静かになったのことに気づく。 「何かお探しでしょうか。」 電話はもう終わったみたいだった。 「別に。」 「もしかしてこちらですか?」 柏木はどこからか先ほど車内で吸っていた私のタバコを掲げてみせる。 「あ!!!」 奪い取ろうとすると私をかわし柏木がタバコごと腕を高くあげる。 「まったく… 病気ですね。」 深くため息をつきながら私をジロッと睨みつける。 「車に置いていくようご忠告申し上げたはずですが。 宮内は禁煙です。こそこそ吸おうとしても無駄です。お忘れなきよう。」 この野郎、絶対吸ってやる。 気にしてない素ぶりで部屋を後にしようとした時、ふと向かいの大広間が見えた。 その奥の棺の前でただすむ母がいる。 背を向けているので様子はわからないが、 遺影を見上げ、しばらくそのままずっと動かない。 母は、 お祖父様の最期を見たのだろうか。 あの人は月明かりのような人だった。 決して快活な訳ではなく、かと言って非情でもない。 そうだ、 ダンブルドア校長だ。 ハリーポッターのダンブルドア先生は 常にハリーを優しく見守り、時には嘘偽りない進言をしてくれる。 決して誤魔化しや小細工は仕掛けないし、親のいないハリーにとってこの上ない敬愛と信頼をおく人物だった。 私にとってのダンブルドアだった祖父は偉大ではあるものの、 草葉の陰で私に無言で頷いてくれていた唯一の後援者だった。 私が母にこっぴどく怒られたときも、 学校で問題を起こしたときも、 孤独を募らせてお祖父様に対してもひどく反抗したときも、 ただ一言、 「それでいい。」と。 そんな風に言われるたび心が落ち着きを取り戻し、不思議な気持ちになった。 いつも深く頷きながら目を閉じて、 それでいいと呟き、それ以上は語らない。 そのあとは大抵、ただ私が気の済むまで横にいて 何をするでもなく一緒に嫋やかな時を過ごした。 何があっても、そういう人だった。 いつだってそう言ってくれるから、 これがお祖父様なりに私と向き合ってくれている証なのだと分かってた。 通っていた中学校で校内暴力を起こし、マスコミに取り沙汰された私は3年生の9月にロンドンの寄宿学校へ転入するため花宮を立つことになった。 家を去る日、乗せ込まれたセダンの後ろ窓からぼんやりと我が家を見納めていたあの時、 2階の図書室の大窓からからそっとこちらを見下ろすお祖父様の姿を見つけた。 大きな過ちを犯し、挙句皆を置き去りにしようとしている私に、 窓辺から「それでいい。」と頷き、赦しをくれていた。 ただ私はそれを、受け取らなかった。 しでかしたことの重大さ、羞恥心と絶望、そしてこれからの未来を憂い、焦燥感で溺れそうになってた当時の私はあの見送りが本心からくるものだと信じる勇気がなかった。 それからというもの私は過去を引き摺り、堕落し、 結局一度も振り返ることのないまま13年の月日が流れ、 あの眼差しに応える機会を失ってしまった。 母は、最期にお祖父様と何を話したのだろう。 「もう3日も経つのです。」 柏木の声に振り返った。 「何が?」 「野薔薇様です。 春夏冬帝がお隠れになってからはほとんどお食事もせず、 かと言って小百合様のようにおひとりで沈まれることもない。 私には野薔薇様が敢えて、今は忙しなくいることで辛うじてお心を保たれてるように見えて、そのお姿がかえって辛いのです。」 この冷徹男であってもこうまで寄り添って話すことがあるのか。 「あの人は平気。 みんなと違って強いから。」 私が母を遠くに見つめながらぼやく。 「本気でおっしゃってますか。」 少し食い気味に迫る柏木の勢いにどきりとしながらも言葉を続けた。 「前からそういう人でしょ。」 いつだってどんなときも、 表情ひとつ変えず涼しい顔で大勢の前に立つ彼女を見てきた。 ヒラヒラと手を振り優雅に立ち回るのは決して表向きだけではない。 普段から他愛もない無駄話をしたり、屈託ない笑顔を見せるなんてことはなかった。 ましては悲しむ姿なんて。 私は母を知らない。 自分の親なのに。 「本気でそうお思いなら想像力が無さすぎます、 それは常に囚われてる過去や積年の恨みからですか。」 なんでも知った気になりやがってと言いたいところだがかなり核心をついている。 ただもうこれ以上答えたくなかった。 私が娘として寄り添えないのは、あの涙一滴こぼさないあの母の背中が 今こそ泣いているのだと分かるから。 だからこそ今の今までそんな姿一度も子である私に見せてくれなかったことが許せない。 かくいう自分はお祖父様の声も忘れかけてて記憶の引き出しを涙で満たせてないのに。 非情なのはどっちだ。 私は堪らなくなってそのまま柏木からタバコを引ったくり、部屋を後にした。 休所を出て、長い廊下を歩きながらも1本取り出し、震える手でライターをかざした。 もう線香の匂いなのかタバコなのかもわからない。 煙を吸って心がぐちゃぐちゃになっていく。 分かってた。 本当は分かってたのに。 私にはずっとお祖父様がついてくれていたんだ。 戻って来るのを、信じてずっと待っててくれていたのに。 ひとりぼっちになった事実が肺に満たされて、押しつぶされそうな気分の中、 煙を吐きながらそれでいい、それでいい、とつぶやく。 廊下を振り返ってなんでもいいから、期待してしまう。 どうして泣けないんだろう。 ようやく私は一度も家に帰らなかったことを悔やむ気持ちを認めて受け入れた。 漂う不安の香りの中、ふとこれからのことを考えた。 私は昨日までの生活に戻れるのだろうかと。 つづく

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