志乃創 / 第49話

第41話 答えは袖の先

 相談した人間は、みんな少し軽かった。  猫屋敷には、それくらいしか分からない。  正か、負か。  大きく傾いた方だけ。  目の前の女には、不安がある。  面倒くさいとも思っている。  けれど、さっきから話している昔のことだけが、どこにも引っかからなかった。 「一時期、ほんとしんどくて」  女は膝の上で指を組み直した。  窓際に置かれた観葉植物の葉が、暖房の風で時々揺れている。  その向こうに干された子供用の靴下が見えた。 「引っ越してきたばっかりだったし、仕事も慣れないし。旦那とも喧嘩ばっかりで」 「今は?」 「今も喧嘩はしますよ」  笑った。  それも嫌なものは見えなかった。 「昨日もしました」 「じゃあ、問題がなくなったわけじゃないんすね」 「全然」 「でも楽になった?」 「はい」  返事の前も、後も、傾きは変わらなかった。 『坊や』  女の声がする。 『そんなに見つめて。嫌だわ、その女のこと気になるの?』  いま、仕事中。 『まあ。こわいこわい』 「ハルくん?」  一度だけ目が合う。  何も返さないうちに、紫谷は女へ戻った。 「真子ちゃんには、直接?」 「最初は配信です。そのあと一回だけ、村で会った時に話して」 「話の最後って何言われたの」 「ああ。置いていっていいですよ、って」  また。  紫谷の指先だけが、頬の上で一度止まった。  頬杖をついたまま、続きを待っている。 「それで終わり?」 「はい」 「そのあと、何かした?おまじないとか」 「ないですよ」  女が吹き出した。 「そんな怪しいことしませんって」 「食べ物とかはあった?」 「いやあ……」  今度は少し長く考えた。  台所の方へ目をやり、それから首を振る。 「何かつまんでたかも、しれないですけど」 「そっか」  紫谷の膝が畳から離れた。  猫屋敷も立つ。  二人で頭を下げた。  外へ出ると、陽は先程より高かった。  道路の脇には細い用水路。  玄関の影を抜けた途端、白い路面が照り返した。  紫谷の片目が細くなる。  日向へ出る肩を手前へ引いた。 「そっち、眩しいですよ」 「ん。ありがと」 『ま、坊やにそんなことさせて』  それどころではない。  少しは静かにしてくれ。やかましい。 「過保護だねえ」 「違います」 「違うんだぁ」 「体調崩されたら面倒なんで」 「仕事的に?」 「……仕事的にも、です」 「へえ」 「なんですか」 「別にぃ。ね、ちなみにどう?」  この問いかけで通じるのが、どこか腹立たしい。 「楽にはなってます」 「どんな?」 「どんなって、言われても……」  困る。昔から、これを説明するのは苦手だった。  赤いとか。  黒いとか。  形があるとか。  指を差して、これ、と言えれば済む。  そういうふうに見えれば、もう少し楽だった。 「なんか。重いやつだけ、ないです」 「……ふぅん?」 「苛立ちとかはありますよ。さっきの人も、俺ら来たのちょっと嫌そうだったし」 「そりゃ、朝から警察来たら嫌でしょ」 「そういうのはあるんですよね」  用水路の藻は流れに伏せて、それでも根だけは残っていた。 「旦那さんと今も喧嘩するって言ってたじゃないですか」 「うん」 「だから、嫌なこと自体はある。でも、前のがなくて」  言葉にすると、やはり足りない気がした。 「そこにあったはずのやつが、ないっていうか」 「失くし物的なやつかなあ」 「……多分、?」  どこへ行ったかまで見えるなら、今までもマシだったかもしれない。 『坊やはちゃんと分かっているわよ』  甘い声が、すぐ横で響く。 『分からないなら、分からなくていいの。ねえ、坊や』  無視をした。  紫谷はもう次の家を見ていた。 「じゃ、もう一軒」 「まだ行くんですか」 「疲れた?」 「そうじゃないですけど」 「あ、俺が疲れたの方か」 「まあ。戻ります?」 「やだ」 「そういうとこですよ」  紫谷が先に角を曲がる。  開いた二歩を、そのままにはせず追いかけた。  二人目。  三人目。  電話で四人目。  悩みだけが変わった。  終わり方は変わらない。  そして、軽い。 「……六人目」  通話終了の文字が画面へ出る。  猫屋敷は携帯を下ろした。 「全員ですね」 「んー」  紫谷は民家の低い塀に背中を預けていた。  煙草を一本出す。 「吸うんですか」 「吸いたいけどねえ」 「なんで出したんですか」 「手遊び?」 「子供じゃないんだから」 「え~」  火のついていない煙草は、指の間を行ったり来たりしている。  猫屋敷は携帯へ戻った。 「緋毬さん」 「ん?」 「これ、尾峰さんが何か仕掛けてる線は薄くないですか」  手遊びが止まった。 「何か、って?」 「分かんないですけど」  言い切るには、まだ証拠に不足している。 「全員、ほんとに抜けてるんで」 「うん」 「話聞いてもらうだけで、こうはならないでしょ」 「なる人もいるんじゃない?」 「俺が見た限りでは、です」 「ああ」  煙草がまた指の間を滑った。 「そっちか」  値踏みのような感情。  視線はもう外れていた。  こういうところが嫌いじゃない。  メモを閉じる。 「いらないんじゃないですか」 「水?」 「そうです。田中がメールで送ってきたの」 「んー、まだ向こうが何拾ってるか分かんないもんなあ」  水なしでも抜ける。なら水は必要ない。  もう一度、メモ帳を開いた。 「水なくても成立してるじゃないですか」  煙草は指の間で止まったままだった。 「そうだと楽なんだけどねえ」 「何ですか、その返事」 「なーんも?」  視線だけがこちらへ向く。 「まだないよ」 「まだ、って」 「ハルくん」  ジッポライターに火がついた。  細い紫煙が、二人の間をくゆる。 「分かんない時に考えると、あとで邪魔になるから」 「……そうですか」 「そうだよう」  結局、一本だけ減って、煙草の箱は胸元へ戻った。 『嫌味な子。坊やの話も聞けないのね』  メモ帳を閉じた。  そんなこと、誰も言う資格はない。 『そんな。怒らないで。悲しいわ。嫌よ坊や』  うるさいな。 「んは、また何か言われた?」 「や、別に」 「俺の悪口?」 「……まあ」  「やっぱりぃ」  くふ、と息がこぼれた。  どこか少し嬉しそうにしている。 「慣れてますね」 「もう長いからねえ」  何が、とは聞かなかった。  視えないものとの付き合いか。自分との。  八人。  九人。  十人を越えたあたりで、数えるのをやめた。  仕事を辞めたい。  親友と話したくない。  恋人を許せない。  金を返してもらえない。  話は違う。  直接会った人も、画面の向こうだけの人もいた。  それでも辿れば、どの話もよく似ていた。  置いていっていい。  そこで切れる。  仕事も、母親も、恋人も、借金も残っている。  残っているのに。  軽い。 「助かったんです」 「優しい子だから」 「話したら、どうでもよくなって」  似た言葉を何度も聞いた。  真子を悪く言う人はいなかった。 『嫌だわ』  お岩の声が沈む。 『みんな坊や以外の子をそんなに好きなのね』  そっちか。  息が漏れた。 「ん、どしたの」  数歩先で紫谷が振り返る。  片手で陽を避けるように目を細めていた。 「なんでもないです」 『坊やが一番可愛いのに』  朝からずっとこれだ。 『優しい坊や。好きよ。坊や』  褒めるか心配するか誰かを嫌うか。  面倒くさい。  昔から。 「ハルくん」  また呼ばれた。  今度は紫谷が、道の先へ顎を向けている。  坂の下から、二人と一本。  田中が先にこちらへ気づき、大きく腕を上げた。 「紫っ谷さーん!」  よくまあ、あんなに声が出る。  その隣で柏城が頭を下げた。  蛇の目は、とっくにこちらを見ている。  田中の手には手帳。  柏城は朝より少し静かだった。 「お疲れ様です!」 「おつかれぇ」  近づいた田中の額には汗が滲んでいる。 「そっちどうでした?」 「結構拾えたよ。ね、ハルくん」 「十人ちょいです」 「わ、多っ」 「電話も入れてですけど」 「どうでした?」  柏城の視線は、携帯ではなく猫屋敷へ向いた。 「全員、楽にはなってます」 「あ、猫屋敷が見ても?」 「うん」  田中も柏城も頷いた。  それで済んだ。  田中の手帳が開く。 「水って話にあった?」 「こっちは出なかったけど」  ページを捲りかけていた指が止まった。 「一人も言わなかったって事?」 「はい」 「……マジかあ」  年月の欄はばらばらだった。  行の最後だけが揃っている。 《水を飲み解散》 「こっちはほぼ全員です」 「昔から住んでる人?」 「はい。今のとこ六人」  相談した年も、相手も違う。  最後だけが同じ。 「真子さんに言われて?」 「最後に出されるらしいです」 「なんで飲むの、それ」 「えーと……誰も、知らないんですよねぇ」 「はあ?」  田中も困った顔をしている。 「昔からそうだから、って」 『そう言ってたなあ』  唐傘が蛇の目を細めた。 「全員それで納得してんの?」 「ううん……習慣って、そんなもんではありますね」  田中が肩を竦める。 「俺らだって正月に餅食う理由とか毎回考えないでしょう」 「やぁ、ま、確かに」  田中がページを一枚戻した。 「あ、あと。聞き方ね、変えてみたんですよ」  紫谷が手帳へ顔を寄せる。 「何を?」 「どこで相談が終わったと思ったか」  田中の指が、行の終わりを順番に辿る。 「昔からいる人、全員、水を飲んだところです」 「話した時点じゃなく?」 「はい」 「預かってもらった時点でも?」 「そこはまだ途中だって」  途中。  今日会った人間の顔が、いくつか浮かんだ。  助かった。  もう大丈夫。 「こっちは、誰も途中だと思ってないです」 「だよねえ」  終わった顔ばかりを見てきた。 「ハルくん。嫌なものって中からなくなってる?」 「無い、と思います」 「戻ってきてる感じは?」  最初の女は警察を面倒がっていた。  男は今も上司が嫌いだった。他の人も同じだ。 「少なくとも、今はないですね」 「んー、そっか」  手帳へ戻る。  目の下には薄く疲れが残っている。  なのに、こういう時だけ瞬きが減る。  ちゃんと疲れてればいいのに。  ……この人は、無理か。 「今の人も、預けるところまでは出来てる?」 「多分。ただ、そこまでは」  猫屋敷が答えるより先に、風がページを持ち上げた。  柏城が端を押さえる。 「失敗しているわけではないでしょうね」 「ああ、預かるっての?」 「猫屋敷さんが見て変化は起きてます。本人達も、それを助かったと認識している」  指の下で紙が震える。 「であれば、少なくとも成立はしてます」  水を飲む。  たったそれだけが、今日の十人には無い。 「昔は、その先があったはず」  柏城が続ける。 「預けると終わらせるって、別なんじゃないですか?」  口の中が、乾いた気がした。 「じゃ、俺達が聞きこんだ方。終わってないんですかね」  何度も聞いた「助かった」と、噛み合わなかった。 『坊や』  お岩の声が近くなる。 『怖がることなんてないわ』 『嫌なら、もうやめましょう。いいじゃない。ねえ、』  帰れる訳がない。仕事中だって今日だけで何回目だと。  甘い声が、少しだけ細くなる。 『困ったわね、困ったわ』 「……うるさい」 「え?」  田中が顔を上げる。 「田中には言ってない」 「あ、お岩さん?」 「帰ろう、て」 「へえ。賢いじゃん」 「緋毬さん、」 「冗談だって」  口角は上がっている。  視線は手帳へ下がったままだった。 「とりあえず決めないでおこ」 「終わってない、をですか?」 「うん」  紫谷の指が水、と書かれた行へ落ちる。 「配信と最近の人は、手順がないのだけは持っといて」 「本人に聞き行きます?」 「うん」 「答え出ますかね」 「さあ。知らなそうだけどねえ」 「なんで、」 「なんとなく」  もう背中が遠ざかり始めている。 「それ、俺が言ったら怒るじゃないですか」 「俺はいいの」 「は、ずる……」  田中が手帳を閉じ、柏城も続いた。 「真子さんには、水のことから聞きますか?」  目を細めた紫谷が、柏城を向いた。 「それはやめよ」 「どうしてですか」 「こっちから答え作りたくないから」  坂の向こうには尾峰家の屋根が出ていた。 「相談ってどう始まって、とか。順番から聞いてこ」  間違いがなければ多分、真子は快く玄関を開ける。  嘘なら暴けばいい。  悪意なら止めればいい。  善意なら。  置き場所がない。 『大丈夫よ』  お岩が囁く。 『何も、坊やには触らせないわ』  前を歩く紫谷が、また少しだけ日向へ寄った。  袖を摘んで戻す。 「ん?」 「そっち眩しいんですって」 「ああ。ありがと」 『ほんと、嫌な子』  そ。俺は好き。  指先には、まだ嫌な子の袖が残っていた。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳