芦名 雅 / 第10話

十二日目

覚えている範囲で、山荘を出るまでの出来事は書き終えた。 今になって思えば、あの吹雪の中を生き延びられたこと自体が奇跡だったのかもしれない。 目を覚ますと、私は見知らぬ部屋のベッドに寝かされていた。 木でできた天井。 見慣れない家具。 窓の外には静かに雪が積もっていた。 部屋の隅で椅子に座っていた若者が、私が目を覚ましたことに気付くと、何かを言いながら部屋を飛び出していった。 しばらくすると数人の男女が部屋へ入ってきた。 彼らは安心したような表情を浮かべながら、私へ次々と質問を投げかけた。 名前。 どこから来たのか。 家族はいるのか。 私は記憶がないことだけを伝えた。 そして唯一覚えていたこととして、山奥の山荘で目を覚ましたこと、吹雪の中を歩き、雪崩に巻き込まれたことを話した。 すると、その場にいた全員が怪訝そうな表情で顔を見合わせた。 しばらくして、一人の老人が部屋へ入ってきた。 私は老人にも同じ説明をした。 記憶がないこと。 病院へ連れて行ってほしいこと。 そして警察へ連絡してほしいこと。 老人は静かにうなずき、ここはアルバリナルという村だと教えてくれた。 病院という言葉は理解していたようだったが、警察とは何か、と逆に尋ねられた。 さらに、なぜ魔王の怨念が眠る山へ踏み入ったのか、命が惜しくなかったのかと問い返された。 何を言っているのか理解できなかった。 最初は誰かの悪ふざけか、テレビ番組の収録なのだと思った。 しかし、その場にいた誰一人として笑う者はいなかった。 人々は私をかわいそうなものを見るような目で見つめると、部屋を後にした。 部屋には最初に私を見つけた若者だけが残った。 私は彼に、この場所のことを教えてほしいと頼んだ。 記憶がない以上、自分で状況を理解するしかない。 若者はゆっくりと話し始めた。 ここはアルバリナルという小さな村で、住人は五十人ほどしかいないらしい。 私は次に日付を尋ねた。 返ってきた答えは、天の月の九日目だった。 今この瞬間も、この日付をこのように記すのが正しいのかは分からない。 だが、このノートに記録を残すため、とりあえず私はこのように記しておくことにする。 私は記憶を失っている。 だが、常識まで失ったわけではない。 月日という概念は理解できる。 それなのに、その暦にはまったく覚えがなかった。 アルバリナルという村。 天の月という暦。 警察という言葉を知らない人々。 そして魔王という存在を疑いもなく口にする世界。 一つ一つなら偶然で片付けられるかもしれない。 だが、それらが重なると、一つの考えが頭から離れなくなった。 私は若者に、この世界の歴史について尋ねた。 若者が語ったのは、神話のような話だった。 はるか昔、この世界には魔王と呼ばれる存在が現れたこと。 世界が滅びかけたとき、別の世界から勇者が召喚されたこと。 勇者は三人の仲間とともに魔王を討ち倒し、世界に平和をもたらしたこと。 そして今でも、この村から見える雪山だけは吹雪に閉ざされ、人々は魔王の怨念が眠る山だと信じていること。 理解できたのは、それくらいだった。 私は窓の外を見つめた。 あの山荘があった山も、今なお白い吹雪に包まれていた。 今もこうして日記を書いている。 この部屋には電気がない。 それでも部屋は明るい。 卓上にはランプのようなものが置かれているが、油を燃やしているようには見えない。 炎のようで炎ではない光が静かに揺れている。 もしかすると、これが魔法なのかもしれない。

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