芦名 雅 / 第10話

第9章 卒業式はできなかった

※本作は架空の島・架空の戦争を舞台にしたオリジナル創作です。 特定の実在人物・部隊・出来事を直接描いたものではありません 少女たちは解散命令を受けた夜、軍の壕を出た。 残っていたのは七人と昌子だった。 山の反対側にある半壊した農家を目指した。 朝子は高熱で、何度も足が止まった。 それでも置いていかなかった。 夕方、農家へ着いた。 畑だった場所には砲弾の穴がいくつも口を開け、折れた芭蕉の葉が地面へ伏していた。家の障子はなく、柱には焼けた跡が残っている。風が吹くたび、屋根の隙間から細かな灰が落ちた。人が暮らしていた匂いだけが消え、空き家ではなく、人の生活を無理やり剥がした殻のようだった。 屋根の半分は落ちていた。 井戸は枯れていた。 床には瓦礫が散らばっていた。 それでも、少なくともその瞬間は砲撃が届いていなかった。 家の隅には小さな茶碗が二つ重ねて残っていた。壁には子供が背を測ったらしい鉛筆の線があり、その横に日付がいくつも書かれていた。最後の日付は数か月前で止まっていた。 夏子が線の一つへ背中を合わせた。 「私より小さい」 「子供の印でしょう」 律子が言う。 「分かってるよ」 夏子はすぐ壁から離れた。 灯子は、ここにいた家族が今どこにいるのか考えた。避難できたのか。別の壕にいるのか。もう死んでいるのか。答えはどこにも書いていなかった。 戦争は家を壊すだけではなく、家の続きまで分からなくした。 夏子が壁にもたれて座った。 「先生」 「何?」 「卒業式、やろうよ」 昌子が夏子を見た。 「今?」 「帰ったらやるって言ったじゃん」 夏子は笑おうとした。 「帰るけど。帰るけどさ。今、やってもいいでしょう」 夏子は手元の泥を見ながら続けた。 「何か一個くらい、学校の続きをしたい」 誰も笑わなかった。 卒業式がしたいというより、講堂、黒板、返事をする声、先生に名前を呼ばれる順番――そういうものを一度だけ取り戻したかったのだと灯子には分かった。 誰も「縁起でもない」とは言わなかった。 それを言う力も残っていなかった。 昌子は瓦礫の中から汚れていない紙を探した。 一枚だけ見つかった。 紙には油染みがあり、端が焦げていた。それでも昌子が膝の上で伸ばすと、少女たちは自然にその周りへ集まった。たった一枚の紙が、久しぶりに教室の机のように見えた。 七人分に切ろうとして、途中で手を止めた。 「小さすぎるね」 夏子が言った。 昌子は紙を裏返した。 一番上に『宮里灯子』と書いた。 その下へ『真栄田千鶴』。 『新垣澄江』。 三人目を書いたところで、遠くで砲撃音がした。 全員が顔を上げた。 静かになった。 「続けよう」 昌子が言った。 『比嘉夏子』。 『城間律子』。 そこまで書いた。 初江が、自分の名前がまだないことを笑った。 「先生、忘れないでよ」 「忘れてません」 昌子が鉛筆を持ち直した。 その瞬間、農家の外で爆発した。 壁が揺れた。 窓の残骸が内側へ飛んだ。 全員が床へ伏せた。 二発目。 天井の一部が崩れた。 「外!」 誰かが叫んだ。 紙は床へ落ちた。 鉛筆も転がった。 七人と昌子は裏口から飛び出した。 雨のように土が落ちてきた。 農家から離れ、窪地へ伏せた。 砲撃は数分で止んだ。 戻ったとき、紙は泥水の中にあった。 『宮里灯子』の字は読めた。 『真栄田千鶴』も。 その下は滲んでいた。 初江と朝子の名前は、最後まで書かれなかった。 卒業式はできなかった。 名前を呼ぶことも。 返事をすることも。 将来何になりたいかを語ることも。 紙を拾い直して、名前を書き直して、順番に「はい」と返事をする。その程度の時間さえ、次の砲声は待ってくれなかった。 灯子は泥水に浮く紙を拾えなかった。自分の名前だけがかろうじて残り、友達の名前は滲んでいく。その光景を見ていると、これから起こることを紙だけが先に知っているような気がした。名前が消える。人も消える。そんな考えを振り払おうとして、灯子は視線を逸らした。 夏子が泥の紙を見ていた。 「またやろう」 誰も返事をしなかった。 できると思っていなかったからではない。 できるかどうかを考えること自体が、もう怖かった。

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