芦名 雅 / 第142話

第44話 夜道にはこれです

 長い包みが自動ドアへ先に入ってきたので、俺はとっさに、入口のかごを一つ横へ寄せた。 「いらっしゃいませ」 「これを、少し置いてよいか」  包みの向こうから低い声がした。持ち主は灰色の狼の獣人だった。細身に見えるが、茶色の短い外套の肩はしっかり張っている。身体を斜めに横切る革のベルトが大きな鞄を支え、そのうえ両腕に、人間なら運ぶだけで前が見えなくなりそうな荷物を抱えていた。  午前一時十二分。入口の外は、月の光が枝葉に遮られた森だ。男は店へ入っても天井を仰がず、包みを置けそうな場所と、そこへ至る通路だけを見た。 「ドアを塞がない方なら。こっちの壁際で大丈夫です」  俺が示すと、男はかごの出し入れを妨げないところへ包みを下ろした。床へぶつける音はしない。布で巻かれた端を一度押さえ、倒れないことを確かめてから、ようやく顔を上げた。 「灯りはあるか。夜道で使う。手は塞ぎたくない」  条件まで一息だった。琥珀色の目が俺を待っている。右耳の先が小さく欠けているのに気づいたのは、その耳が、レジ奥の物音へ一度向いた時だった。 「手を使わないのなら、頭につけるものがありますよ」  俺は日用品棚へ案内した。小型の懐中電灯の隣に、バンドの付いたライトが掛かっている。前に魔法を使う客へ説明した時は、火も魔力もいらないところで話が長くなった。今夜の男は、先に包装の写真へ目を留めた。 「額に固定するのか」 「はい。ヘッドライトです」 「重さは」 「箱ごとなら、持って確かめられます。使う時は、これに電池の重さも加わります」  男は包装を受け取り、片手で軽く持ち上げた。鞄を下げた肩を動かしても、商品の方の手はほとんど揺れない。それから写真の人間の頭と、自分の耳のあたりを見比べる。 「これと同じ位置には、巻けない」 「耳にかからないか、そこを先に見たいですね。長さは調節できますけど」  俺も写真を指した。包装の透明な部分からバンドの通り方を確かめ、頭のどこを通す形なのか説明する。男は空いた手で耳の前から後頭部へ触れ、固定できそうな位置を探した。 「額の少し下なら通せる。後ろも届きそうだ」 「締められても、動いた時にずれないかは確かめた方がいいです。耳の位置も違うので、合うとは言い切れないです」 「俺も初めてだ」 「それは、そうですね」  真顔の返事に、少し笑いそうになった。男はバンドの調節部分をもう一度見てから、光の強さについて訊いた。俺は箱を受け取らず、彼が持つ向きに合わせて横から表示を読む。 「強い明るさと、弱い明るさを選べます。長く使えるのは弱い方ですね」 「途中で消えることはあるか」 「電池が切れれば、点かなくなります。交換が必要です」 「その電池というものが、これの燃料か」  男の指が、写真の小さなライトへ向いた。俺は隣に掛かった電池の包装を示した。 「光らせるために、これを三本入れます。油みたいに燃やして使うものではないです」 「使うと、なくなる?」 「形はそのまま残ります。でも、使い終わったものを入れたままでは光らないので、新しい三本へ替えます」 「予備を持てばよい」  理解が早かった。男は不思議な道具だと見入るより先に、ライトと電池を並べ、両方でどれほどの荷物になるか見ている。 「今夜、どれくらい使う予定ですか」 「次の荷を受け取る場所まで六時間ほど。その後さらに三時間。休憩は別だ」 「九時間歩くんですか?」 「ああ。途中で夜は明ける。灯りが要るのは、それまでと、暗いところだ」  九時間ずっと夜道なのだと思い込みかけていた。俺は店の時計を一度見てから、箱の表示へ戻った。道の様子も、男がどれだけ明るさを上げるかも、ここからは分からない。 「書かれている時間は目安です。使い方や電池でも変わるので、それをぎりぎりまで当てにするより、替えを持つ方がいいと思います」 「途中で、これを売る店はない」 「じゃあ、なおさらですね」 「三本で一回。六本あれば二回替えられるな」  男は六本入りを指した。俺が頷くと、続けて三本入りにも指が移る。 「では、この九本。入れて使う分とは別に、二回分残す」 「三本使って、六本が予備ですね」 「途中で止まれば、受け取る側も待つ」  男は入口へ目を向けた。壁際の長い包みは、まだそこにある。何を運んでいるのか分からなくても、あれを持ったまま暗い道で電池を探すのは困るだろうということだけは、俺にも分かった。 「運ぶ仕事なんですか」 「運び屋だ。灯りを持つ手があれば、その分、荷物を持てない」 「だから頭に、なんですね」  最初に教わった条件へ、ようやく戻ってきた。俺は普通の懐中電灯には手を出さず、ヘッドライトの説明を続けた。雨のことも聞かれ、箱にある防滴の表示と注意を確かめる。 「水へ沈めるものではないです。強い雨にずっと当てて大丈夫とも言えません」 「強くなれば、荷と一緒に雨を避ける」 「それなら。濡れたまま電池を出し入れするのも、避けてくださいね」 「壊れたら直せるか」  それは難しかった。俺が言葉を探していると、レジから先輩が口を挟む。 「ここじゃ修理はしてねえぞ」 「俺も中を直すことまではできないです。使い方を説明するところまでですね」  男はすぐ返事をしなかった。安いから買えばいい、と続けそうになった俺は口を閉じた。この客にとって高いかどうかも、途中で使えなくなることがどれほど困るかも、俺が決めることではない。 「値は」  聞かれて、ライトと二つの電池の包装、それぞれの値段を伝えた。男は自分の革袋を確かめ、もう一度箱の写真を見る。 「試す。使い方を確かめる時間は取る」 「分かりました。会計したら、一緒に電池を入れてみましょう」  男は頷き、商品をかごへ入れた。そこで初めて、別の棚へ目が向く。 「食べ物も欲しい。手早く食えるもの」 「パンなら、そのまま食べられます。米のものもありますけど」 「パンでよい」 「迷わないですね」 「今は、それで足りる」  総菜パンを二つ、水を一本選ぶ間にも、男は入口の荷物を時々確かめていた。慌てているのではなく、次に何をするかが決まっている感じだ。俺はその歩幅に合わせてレジへ戻った。  ヘッドライト一つ、電池三本入りと六本入り、パン二つに水一本。合計を伝えると、男は半セルフ精算機を見た。 「ここへ入れるのか」 「はい。この店では、機械が硬貨を判定します」 「お前が数えるのではない?」 「俺は商品を確認する方です」  男は短く頷き、革袋から硬貨を出した。画面へ反映されるのを待ってから、次の一枚を入れる。支払いが終わると、戻った硬貨を確かめてしまい、買ったものを手元へ引き寄せた。  パンと水は配送鞄の一角へ収めたが、ライトと電池は残した。俺はレジ前を空け、給湯器脇の台で包装を開けてもらう。空箱を置く場所も作ってから、電池の蓋を示した。 「ここを開けます。中に、向きの印があります」  男は包装から出した三本を並べた。一本ずつ手に取り、両端の形と本体の印を見比べて収めていく。俺が最後の一本を指す前に、すでに向きを確かめていた。 「取り替える時も、この印だな」 「そうです。三本とも、新しいものへ一緒に替えてください」 「覚えた」  蓋が閉じると、男はライトを床へ向けた。俺がボタンを示す。白い光がタイルへ落ち、男の耳が一度立った。 「明るいな」 「もう一度押すと、弱い方です」  親指が動き、光が少し落ち着く。強く、弱く、消える。男は一通り試し、もう一度弱い方を点けた。明るい店内の床では、違いが分かりにくいのか、棚の下へ光を入れて確かめる。 「暗いところで、もう一度見る」 「それがいいです。あとは、バンドですね」  男はいったん消灯し、調節用の金具を動かした。耳の前を通して、額の少し低いところへ当てる。後ろを締めると、片側だけ毛が引かれたらしく、耳が伏せられた。 「そのまま締めすぎないでくださいね」 「分かっている。ここを少し上へ通す」  太い指がバンドを浮かせ、毛の流れを整える。もう一度位置を直してから左右を見ても、今度は耳へ当たらなかった。俺が手を出すより、本人に調整してもらう方が確かだった。 「どうです?」 「歩く分にはよさそうだ。荷を持って確かめる」  男は鞄を背負い直し、入口へ戻った。置いていた包みを両腕で抱え上げると、俺の方を見ず、足元へ顔を向ける。まだライトは消えたままだったが、どこを照らすかは分かる。 「これなら、両手を灯りに使わずに済む」 「荷物でいっぱいですけどね」 「そのために空けたいと言った」 「そうでした」  俺は笑った。片手でも持てる小さな懐中電灯では、この荷物は同じように抱えられない。箱の写真より、今の姿の方が使い方をよく説明していた。 「名前を聞いてもいいですか。また電池を選ぶ時に、分かった方が」 「フェルド・ガラン」 「瀬尾悠斗です。あっちは榊原先輩」  先輩は名前を呼ばれて片手を上げた。フェルドさんは俺たちを順に見て頷く。荷物を運ぶ道をすべて知っているような顔ではない。ただ、この包みを届けるまでに何が要るかは、自分で判断している。 「今夜は、森を抜けて北へ行く。明ける前に橋を越えたい」 「じゃあ、まず外の見え方を確かめた方がよさそうですね」 「そうする」 「予備、置き忘れてるぞ」  先輩の声で、フェルドさんが振り返った。台には六本入りの電池が、未開封で残っていた。男は包みを先ほどの場所へ下ろし、取りに戻る。 「袋に分けて入れておいた方が、取り出しやすいですよ。濡らさないようにもしたいので」 「この鞄に、小さいところはある。雨を避ける袋も売るか」 「チャック付きならあります」  俺は日用品棚から一つ持ってきた。完全に水を防げるとは言えないことを伝えると、フェルドさんは厚みと口の閉じ方を見て、追加で買うと決めた。 「必要なものは増えるな」 「それでも、荷物は増やすんですね」 「手を空けるためだ。止まらないための分は持つ」  今夜、何度目かの訂正だった。俺は頷いて追加分を会計し、袋の包装を開けてもらう。六本の電池は裸でまとめず、元の包装に入ったまま一枚へ収まった。フェルドさんはチャックを端まで確かめ、鞄の上側の小さなポケットへ入れた。残った袋も、その隣へ畳んでしまう。  空箱は本体の表示を見返せるよう持ち帰るという。不要な包装だけを捨ててから、男は再び包みを抱えた。額のライトを点けるのは、その直前だ。荷物を持ったあとでは、ボタンへ手を伸ばしにくいことまで、もう順番に入っていた。 「外で見てくる」 「店の光の先で、足元を確かめてください」  自動ドアが開く。フェルドさんは数歩進み、店内の照明が薄くなるところで止まった。顔を下げると、白い光が土の上へ伸びる。前を向けば、低い枝にも光が当たった。俺はカウンターの中から、その動きを見ていた。  フェルドさんはしばらく足元と進む先を交互に照らし、一度店へ戻ってきた。包みを壁際へ下ろしてからボタンを押す。明るさを変えたあと、もう一度外を見る。 「森の中では、強い方も要りそうだ」 「弱い方だけじゃ足りないですか」 「今見たところはな。道へ出たら、そちらも試す」  まだ歩いていない場所まで言い切らなかった。その返事に俺が頷くと、フェルドさんは鞄のポケットを一度押さえる。 「次は、電池だけ買えるか」 「同じ型のものがあれば。使ったライトか、電池の包装を持ってきてもらえれば、合わせられます」 「この六本入りを見せる」 「はい。それなら間違えにくいです」  聞くことが済むと、男は必要な明るさへ戻し、包みを持った。鞄のベルトも、額のバンドも、さっきより身体に馴染んで見える。 「では行く。助かった」 「ありがとうございました。お気をつけて」  フェルドさんは頷き、店を出た。白い光が地面を動き、木々の間へ入っていく。両手は荷物で埋まったままだった。俺には橋の位置も、その先の道も分からない。ただ、最後に見えた足元だけは、店から離れても照らされていた。  入口の壁際へ戻ると、長い包みのあった場所が空いていた。退けておいたかごを戻し、給湯器脇も確かめる。予備の電池も、箱も残っていない。 「九本、全部持ってったな」  先輩が言った。 「本体に三本、鞄に六本。そこは確認しました」 「なら、棚の方も確認しろ」  俺は電池売り場へ戻った。三本入りと六本入りの列が、一つずつ減っている。隣の普通の懐中電灯は、今夜の客には選ばれなかった。  ヘッドライトの写真を前へ向け直す。さっきは人の頭に付いている絵としか見ていなかったのに、今は、その下に両手が空いているところまで目が行く。俺は写真を隠していたフックの札を少しずらし、次に手を伸ばす人からも見えるようにした。

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