芦名 雅 / 第141話

第43話 神官、今度は間違えない

レジへ出されたのは、買い物かごじゃなく、透明な小袋だった。 「これを頼む」  袋の中には二枚のレシートが入っている。俺が顔を上げると、白い長衣の神官が、青い縁取りの外套を腕へ寄せて立っていた。淡い灰色の髪を首の後ろで束ねた、見覚えのある客だ。杖の先の銀の円環が、カウンター脇で小さく揺れた。 「お久しぶりです。ちゃんと持ってきたんですね」 「同じ物があれば、これで選べると言っただろう」 「言いました。見せてもらいますね」  神官が袋を開け、一枚を差し出した。前に、共同で出す旅の金を記録したいと話していた時のものだ。余白には本人の文字が書き込まれている。俺には読めないが、商品名の印刷はまだはっきり見えた。  午前零時四十八分。店内に他の客はいない。俺はレシートを濡れていないカウンターへ置き、神官の指した行を探した。スポーツ飲料が三本、パンが二つ。その下のナッツや日用品までは、指が下りてこなかった。 「飲み物の方ですね。同じのが、今もありますよ」 「それを、今日は四本」 「四本。パンの方は?」 「あとで見る。まず、これが欲しかった」  俺はレシートを返し、入口のかごを一つ取って渡した。前に買った記録を出されたからといって、その日の買い物まで全部同じではない。三本出しかけていた頭の中の数字を直し、飲料ケースへ案内する。 「聖水のやつ、こっちか」  レジから顔を上げた先輩が言った。神官の足が止まる。 「それは、前にも訂正した」 「先輩、レシートの人って覚えてくださいよ」 「それなら分かるのか?」  神官に問い返されて、俺は一瞬黙った。レシートをもらう客は他にもいる。先輩が口の端だけを上げたので、俺は聞こえなかったことにしてケースを開けた。 「この白と青のラベルです。変わってません」 「分かる。場所が少し広くなったな」  神官は一本取り、ラベルの正面を確かめた。次の三本は、俺が数を言うより先にかごへ収まる。最初に来た夜には、杖へ体重を預けて水を探していたが、今はボトルを下ろす時も腰がぶれない。前回の買い物で見たのと同じ、落ち着いた手つきだった。 「今日は、ここから遠くまで行くんですか?」 「二日ほど先の村へ向かう。頼まれた祈祷がある」 「じゃあ、道中の分もですね」 「ああ。仲間と分ける」  そこまで聞けば、俺の説明には十分だった。仕事の中身まで尋ねる前に、神官の目が隣の列へ移る。黄色いラベルの別の商品を、まだかごへ入れずに持ち上げた。 「こちらも、同じ種類か?」 「スポーツ飲料ですね。味は違います。こっちは、少し酸味のある果物の味です」 「甘さだけではないのか」  神官は白と青の一本をかごから少し起こし、黄色い方と並べた。量や容器は似ている。俺はそれぞれの表示を読み、別の商品だと分かるように名前を伝えたが、彼の眉は少し寄ったままだった。 「名を聞いただけでは、次まで覚えられそうにない」 「それなら、またレシートへ書いておきますか」 「今日はまだ、味を知らん」 「そうでした」  先走った。神官は黄色い一本を戻しかけ、もう一度、白い方のラベルへ目を向けた。 「同じ味ばかりだと、飽きる者もいる」 「それで、別のを?」 「私も飲んでみたい。まず一本なら、違っても困らない」  それなら試すための一本だ。俺は成分を詳しく説明しようとしていた口を閉じ、今夜飲むのか確認した。神官が頷くので、会計のあとすぐ取り出せるようにしようと伝える。 「薬の効き方を比べる話ではないぞ」  神官が先に言った。俺が何か言いたそうに見えたらしい。 「もう分かってますよ。そのつもりで説明してます」 「そこの男にも、そう伝えておけ」 「聞こえてる」  レジから返ってきた声に、神官はようやく少し笑った。毎回来るたび、最初の勘違いへ戻されるのは、本人も面白くないのだろう。俺にも、初日のリザードマンで騒いだ話を持ち出され続けたら困る、というくらいの覚えはあった。 「そういえば、最初に買った時の。聖別してみるって話は、どうなったんですか?」  聞いてから、俺も戻しているじゃないかと思った。神官は黄色いボトルを持ったまま、少しだけこちらを見た。 「していない」 「しなかったんですね」 「仲間に話した。これは聖水ではない。術も祈りも必要なく、そのまま飲むものだと」 「はい」 「なら、そのまま飲めばよいと言われた」  俺は返事より先に口元を押さえた。向こうで同じ説明を繰り返していたと思うと、おかしかった。神官は俺を見て、ゆっくり眉を上げる。 「笑うところか?」 「いや。俺も同じことを言いそうだなと思って」 「私も、そう思ったからやめた。気になったことは、別に残っているが」  神官はボトルをかごへ入れた。試さなかった理由も、納得したかどうかも、彼が自分で決めたことだった。俺が改めて正解を出す必要はなさそうだ。 「じゃあ、今日は味だけですね」 「それを知りに一本買う」  そう答えてから、神官は普通の水を二本取った。最初の夜に俺が勧めたからというだけでなく、自分で選んでいる。温かい飲料の狭くなった区画も見たが、そこからは何も取らなかった。 「前は、温かい茶も買ったな」 「寒い頃でしたからね。今日は冷たい方ですか?」 「ああ。これは甘くない茶だったか」  指された一本の表示を確かめ、無糖のお茶だと伝えた。神官はそれをかごへ加え、取っ手を持ち上げる。底にボトルが集まった重みで、腕が少し下がった。 「八本ですから、重いですよ」 「そうなるな。パンは上に置く」  パンの棚へ移ると、二つを選び、潰さない場所へ収めた。さらに小袋の塩味のクラッカーを一つ。あれも聖水ではない、これも薬ではないと確認することはなく、読めない表示だけ俺へ尋ねてくる。知っているものと、聞く必要があるものを、ちゃんと分けている。  レジへ戻った神官は、杖を左側へ寄せてかごを置いた。それから透明な小袋を取り出し、口を開けたまま待つ。俺は商品を読み取りながら、最後にレシートを渡す場所も空けておいた。 「同じ飲料が四本、黄色い方が一本。水が二本、お茶が一本。パン二つとクラッカーです」 「合っている」  支払いが終わると、神官はお釣りを先に戻した。俺が切り取ったレシートを渡すと、すぐ昔の一枚と並べる。前の紙に似た文字の列を見つけ、新しい方の四本の行を指した。 「一つ多いのが、ここか」 「はい。黄色い方は、その下です」 「では、これだけ別に書く」  神官は腰に下げた薄い帳面を出した。新しい紙を挟み、余白へ短く書き込む。俺は読めない字を覗き込む代わりに、かごからボトルを取り出し、重さが片寄らないよう袋へ分けた。 「冷たいものだけだから、一緒でもよいぞ」 「温度はそうですけど、八本まとめると持ちにくいので。お仲間に渡す時も、二つの方が楽です」  神官は杖を見た。少し考え、広げた袋の方へ頷く。 「そうだな。前も分けてもらって助かった」  飲料が四本ずつ収まるよう二つの袋へ分け、片方の上へパンとクラッカーを載せる。ただし、今飲む黄色い一本の場所だけは空け、袋の外に置いておいた。神官がそれを見て、小さく頷いた。 「忘れなかったか」 「今飲む分ですからね」  レジ前を空けてもらい、買った袋をカウンター端の安定したところへ置く。神官は杖を手の届く壁際へ立て掛け、両手でボトルを開けた。ぱき、と音がしても、もう俺へ確認はしない。キャップを片手に持ったまま一口飲み、そのまま少し黙った。 「どうです?」 「酸っぱい」 「苦手な方でした?」 「いや。先にそれが来た。あとから甘い」  もう一口は、確かめるように少しだけだった。神官は黄色いラベルを見下ろす。横から店内の照明が透け、減った液面がよく見えた。 「前の方が、甘さが分かりやすいな」 「こっちは、同じものの味違いというより、別の商品なので」 「なるほど。仲間には、そう言えばよいか」 「味の説明もしてくださいね。黄色い方も聖水ではない、だけじゃ分からないので」  先に言ってしまった。神官の目が俺へ向き、ほんの少し細くなる。 「そこまで疑われるか」 「今のは、俺が引っ張りすぎました」 「そうだ」  きっぱり言ってから、彼は笑った。俺も頭を下げながら笑う。飲みかけのボトルを置くと、神官は帳面をもう一度開いた。書いたばかりの行へ、さらに短い字を添える。 「それ、感想ですか?」 「酸味がある、と。四本頼まれていたものと混ざらないように」 「ちゃんと買い物の記録になってますね」 「最初から、そのために残している」  その通りだった。俺が紙を大事に持つことへ感心している間に、本人はもう、次に困らないための道具として使っている。  神官はキャップをしっかり閉め、空けておいた袋の一本分の場所へ戻した。帳面は腰へ戻し、二枚の古いレシートと新しい一枚を透明な小袋へ収める。口を閉じてから、杖を取った。二つの袋の持ち手を確かめ、重い方を右へ、もう一方を杖と同じ左へ持つ。 「持てそうですか?」 「ああ。これなら途中で渡しやすい」  少し歩いても、袋は膝へ当たらなかった。俺は入口側を空け、神官が向きを変えるのを待った。 「次は、黄色い方を増やすかもしれない」 「お仲間が気に入ったらですね」 「私が気に入った分だけなら、今日と同じ一本でよい」 「ああ、全員の好みが同じとは限らないですもんね」  神官は頷いた。一人が好きになったから、次は全員分。それだけで数が決まるわけではないらしい。俺はかごを重ねながら、今夜も先に四本と言われたことを思い出した。 「では、また来る」 「ありがとうございました」  自動ドアの前で、神官が一度だけ振り返った。杖の銀の円環が、店の光を受けて白くなる。 「同じ紙を持ってきても、数まで同じとは限らないぞ」 「今日は、ちゃんと四本で用意しましたよ」 「ならよい。今度も頼む」  青い縁取りの外套が、森の夜へ消えていく。ドアが閉まると、冷蔵ケースの低い音が戻った。俺はかごを入口へ戻し、二種類のスポーツ飲料の列へ向かった。 「白い方が四本、黄色い方が一本」 「声に出さねえと忘れるのか」  先輩が言った。俺は黄色い列の残りを確かめながら答えた。 「次も同じとは限らないって、言われたので」 「今日の売れた数は変わんねえだろ」 「そうなんですけど。こっちを増やしすぎないようにしようと思って」  一本試した客がいた。それは今日分かったことで、次も四本売れるという意味ではない。俺は端末に出た在庫を見てから、黄色い方の発注欄を確かめた。先輩は数字を一度見て、余計なことは言わずに伝票へ戻った。  最後に白と青のラベルを正面へ向ける。次の注文は、また紙を見せてもらってから聞けばよかった。

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