芦名 雅 / 第143話

第45話 抹茶は薬草ですか?

「今日は、食べ物を買いに来ました」  入口でそう宣言されたので、俺は挨拶のあとに何を言うべきか、一瞬迷った。栗色の長い三つ編みを肩へ掛けたリネットさんが、こちらの反応を待っている。深緑の外套も、腰に下がった薬草の袋も、前に来た夜と同じだった。 「……いらっしゃいませ。前も食べ物、買いましたよね」 「最初から食べ物だと分かって来た、ということです」 「ああ。そこを念押しするんだ」  リネットさんの口元が少し緩んだ。苔色の目は、もう菓子棚の方を向いている。前の帰り際、緑色の粉を使った菓子について聞きたいと言っていた。俺は二段だけになった抹茶フェアの棚へ手を向けた。 「まだありますよ。抹茶のやつ」 「よかった。前より、緑色が少なくなりましたね」 「そろそろフェアが終わるので。入ってくるものも、変わり始めてます」  初夏が近づいた午前零時二十六分。棚の端では、別の新商品の札が裏返して重ねられていた。入れ替えるのはまだ先だが、いつまでも同じだけ並ぶわけではない。俺は残っていた抹茶クッキーを前へ寄せ、彼女が選びやすいよう横へ退いた。 「その前に、ゼリーはどうでした?」 「食べやすかったです。食べ終わった容器も、師匠へ見せました」 「詰め替えたりは、してないですよね」 「していません。そちらに教わったことも伝えましたから」  返事は落ち着いていた。俺だけが先回りして心配しているようで、少し気まずくなる。リネットさんは腰の袋を直してから続けた。 「師匠も、口の形に興味を持っていました。ただ、薬を入れるつもりで使うなとも」 「そこは、同じだったんですね」 「はい。まず食べ物として見ろ、とも言われました」  レジの中で、榊原先輩が小さく頷いた。俺はまた「よかった」と言いそうになり、やめた。彼女はちゃんと前の説明を持ち帰り、師匠とも話したうえで、もう一度ここへ来ている。 「では、今日はこれを」  リネットさんが抹茶クッキーの箱を持った。表の緑色の写真を、照明へ反射しない角度に傾ける。最初に見たのは、値段でも箱の大きさでもなかった。 「抹茶は、葉を粉にしたものだと聞きました。薬草も乾かして粉にするので、どう違うのか気になって」 「薬じゃないですよ」  反射で返した。リネットさんの顔が上がる。 「今、薬だと言いましたか?」 「……言ってないです」 「違うところを聞きたいんです。前に、茶だと教わったので」  横から先輩が「最後まで聞け」と言った。俺は箱へ視線を戻した。知らないものを何でも薬へ結びつける人、という最初の印象に、俺の方が戻っていたらしい。 「すみません。今日は何から知りたいですか」 「この菓子は、粉をそのまま固めたものですか?」 「いえ。クッキーに抹茶を使ったものです。甘さもあります」 「抹茶そのものが甘いのではなく?」 「それ自体は甘いというより、苦みがあります。これはお菓子として甘くしてある方です」  リネットさんは箱を裏返し、俺へ向けた。読めない文字の中から、知りたいところを探してほしいらしい。俺は原材料の表示を確かめ、菓子の材料に抹茶を加えていることを伝えた。 「では、緑色だから全部葉、というわけではないのですね」 「そうです。食べた感じも、葉をそのまま食べるのとは違います」 「瀬尾さんは、これは食べたことがありますか」 「これはあります。俺、結構好きなんで」  そこでようやく、自分で答えられる話になった気がした。リネットさんも、原材料の欄から顔を上げる。 「どのあたりが好きなんです?」 「甘いんですけど、あとから少し苦いんですよ。ずっと甘いだけじゃないところですかね」 「苦い方がよい?」 「何でも苦ければ好き、ではないです。このクッキーの、そのくらいが好きです」  言いながら、自分でも少し考えた。気に入って何度か買っているのに、好きな理由を聞かれたことはなかった。リネットさんは急かさず、緑色のクッキーの写真を見ている。 「苦いものを、わざわざ甘い菓子に残すんですね」 「完全に消したら、抹茶味じゃなくなる気がします」 「なるほど。それなら味を知りたいです」  彼女は一箱だけかごへ入れた。新しいものを一つ試す時の慎重さは、前のゼリーと同じだった。俺が他の種類も示すと、冷蔵ケースの抹茶プリンには足を止めたものの、手は伸ばさなかった。 「これも同じお茶を使う?」 「抹茶味です。クッキーより柔らかくて、冷たいお菓子ですね」 「では、今日はクッキーだけにします。違うものを一緒に食べると、味が混ざりそうなので」 「飲み物は、どうします?」 「できれば、甘くないお茶を。抹茶そのものを飲めるものはありますか」  店で抹茶を点てることはできない。俺はそう伝え、冷蔵ケースの無糖の緑茶を示した。リネットさんはラベルに描かれた葉を見て、すぐ手を伸ばしかけ、途中で止める。 「これは、今の抹茶とは別のものですか?」 「はい。こっちは緑茶です。どちらもお茶の葉を使いますけど、作り方や飲み方が違います」 「作るところまでは、見たことがありますか」 「この商品を作っているところはないです。詳しい加工の違いを全部聞かれると、説明しきれないですけど」 「分かりました。では、まず味を比べます」  もっと問い詰められると思っていたので、少し拍子抜けした。リネットさんはボトルを持ったまま、腰の紙束を取り出す。折り目を広げ、余白へ細い線を引き始めた。 「何を書いてるんです?」 「袋や箱の形です。それと、見分ける印を」  まだ読めない日本語の一部分も、形を確かめながら写していた。その隣へ、自分の文字で短く書き足す。俺は正面のラベルを見やすい向きへ回した。 「この辺が商品名です。同じものを探すなら、ここを見せてもらっても分かります」 「ありがとうございます。絵だけなら、似たものと取り違えるかもしれませんから」  前の俺なら、色で覚えればよいとだけ言ったかもしれない。でも、この棚には緑の箱も袋も何種類もある。リネットさんはクッキーの箱も横へ並べ、二つを別々の場所へ描いた。葉の色が同じでも、同じ商品として扱うつもりはないらしい。 「これは甘くない、と書いておきます」 「無糖って書いてあります。砂糖の甘さはない方ですね」 「その確認ができれば十分です。今日はこの二つを」  紙を畳み、かごへボトルを入れる。人差し指の付け根をかばうような動きは、前ほど目立たなかった。 「絆創膏の方は、足りてます?」 「まだあります。二枚使いました」 「使い方、困りませんでしたか」 「教わった絵を見て、できました。残りも包んだまま持っています」  それで話が済んだ。俺はまた全部を説明し直さず、レジへ案内した。抹茶クッキー一箱に無糖の緑茶一本。かごの底が大きく見えるくらいの買い物だった。  会計を済ませると、リネットさんはクッキーを一枚試してよいか尋ねた。俺は給湯器脇の空いている台を示す。そこへお茶と箱を置き、外側を開けてから、個包装を一つ取り出していた。 「中まで、別に包まれているんですね」 「一度に全部食べなくてもいいですし、持ち分けられます」 「それは助かります」 小袋の開け口を探し、爪を立てずに端から裂く。緑色の丸いクッキーを出すと、リネットさんは鼻先へ寄せた。眉を少し寄せる。嫌がっている顔じゃなく、知っている匂いを探す顔だった。 「乾かした葉だけとは違いますね」 「ほかの材料も入ってますから」 「ええ。甘い匂いもします」  小さくかじると、さくりと音がした。彼女はすぐに感想を言わず、口を閉じたまま噛んでいる。俺も先回りして、甘いでしょうとは聞かなかった。 「……あとから、という意味が分かりました」  飲み込んでから、リネットさんが言った。 「最初は甘いです。でも、少し待つと別の味が残る」 「それ、俺の好きなところです」 「では、同じところを食べられた気がします」  妙な言い方だったが、伝わった。さっきは苦みがあると説明しても、二人で同じ味を思い浮かべていたとは限らない。彼女がもう一口かじったので、俺はそこで安心して笑った。 「苦いのは平気なんですね」 「仕事では、もっと苦いものの味を確かめることもあります。ただ、これは我慢して食べる味ではないです」  残りの一口も食べ、リネットさんは開いた小袋を箱の横へ置いた。それから、緑茶のキャップを回す。前に買った水と同じように開け、少し飲んだところで目を細めた。 「こちらは、甘くないですね」 「そのつもりで選んでもらいました」 「知っていても、菓子のあとだとはっきり分かります。口に残った甘さも変わる」  ボトルを下ろし、今食べたクッキーの箱と見比べる。緑色だから似ていると考えていたものが、今は一緒に食べるかどうかを考える二つになっていた。 「榊原さんも、こういう味が好きですか?」  急に聞かれた先輩が顔を上げた。手元の伝票を置くほどではなかったが、ちゃんとこちらを向く。 「食えなくはない」 「好きか、聞かれてるんですよ」 「甘い方が欲しい時もあるだろ」 「ああ。いつも同じ気分ではない、ですか」  リネットさんが納得すると、先輩は小さく頷いた。俺が一番困る返事だと思ったところを、彼女はそのまま受け取ったらしい。 「瀬尾さんは、これを何度も?」 「何度か買ってます。味が分かった方が、お客さんにも説明できるので」 「自費の試食って言ってたな」  先輩の一言で、俺はそちらを見た。 「わざわざ言わなくていいでしょう」 「買い物だろって言ったら、それだ」  リネットさんが笑った。隠していない笑い方だったので、俺も言い訳するのをやめた。 「はい。ただ自分が食べたかっただけです」 「では、私もそれにします」 「何をです?」 「調べるためと言えば、もう一枚食べてもよさそうな気がしたので」  箱にはまだ個包装が残っている。リネットさんは二枚目へ伸ばしかけた手を戻し、いったん蓋を閉じた。 「買ったんだから、食べたくて食べればいいですよ」 「そうですね。持って帰ってからにします」  彼女はお茶にも蓋をし、紙束の短いメモへ目を落とした。食べる前に書いたところへ、何かを付け加える。俺は中身を読もうとせず、空いた小袋を捨てる場所だけ伝えた。 「師匠には、クッキーも見せるんですか」 「一枚渡そうと思います。残りは私の分です」 「気に入ったんですね」 「はい」  今度は、研究ですとも試食ですとも言わなかった。その返事があまりに素直で、俺は少し笑ってしまった。  リネットさんは飲みかけのお茶を持ち、菓子の棚へ戻った。抹茶フェアの札をもう一度見る。札の裏へ重ねてある次の商品案内に気づいたのか、視線がそこへ止まった。 「次に来た時は、これがないこともあるんですね」 「あります。同じのを入れられるか、発注の方も確認しないと分からないです」 「取り置きではなく、今日もう一箱買うことはできますか?」 「はい。まだありますよ」  彼女は一箱を手に取った。最初は知らないから一つ、と決めていた人が、食べてから二つ目を選ぶ。俺が勧め足さなくても、さっきの一枚で判断したらしかった。 「師匠の分です」 「一枚じゃなくなった」 「私の分を減らさずに渡せますから」 「いま、すごく分かりやすかったです」  リネットさんは少しだけ目を逸らしたが、箱は戻さなかった。師匠が好きかどうかは分からない。それでも、食べてみてほしいとは思ったのだろう。俺は余計な正解を出さず、二箱目を会計した。  開けた自分用の箱と、新しい箱を別々に確かめ、リネットさんは袋へ収めた。緑茶だけは蓋の締まりを見て、箱へ水滴がつかないよう分ける。最後に紙束を腰へ戻した。 「瀬尾さん、次はこの紙を見せます」 「同じのがあれば、それで分かります」 「なければ、似た味のものを聞きます。緑色とは限りませんね」 「そうですね。苦みのある甘いもの、とか」 「さっきは、ややこしいと思いました。でも、今なら分かります」  リネットさんは自分用の箱の上を軽く押さえた。俺がした説明より、食べた一枚の方が、短く話を終わらせてくれたらしい。 「では、また来ます」 「ありがとうございました」  自動ドアが開き、長い三つ編みが外套の上へ揺れた。森へ戻る前に、彼女は一度だけ袋を持ち直す。二箱とも潰れていないのを確かめてから、暗い道へ進んでいった。  俺は棚に残ったクッキーを数えた。二箱減っている。次の発注が通るかどうかを端末で確認しようとすると、先輩が隣から声を掛けた。 「今日は、お前の方が薬にしてたな」 「してないです」 「最後まで聞く前に、薬じゃねえって言ってただろ」 「……それは、しました」  俺は画面から目を上げた。棚の緑を見ていた人に、前と同じ説明が要るとは限らない。次に来た時は、先に聞こう。何を買うつもりなのか、どの味を知りたいのか。 「こっちは追加できるか、まず見ます。なくなるって先に決めつけるのも違うので」 「それでいい」  発注画面を開く。リネットさんの分を勝手に取り置くのではなく、残っている数と、次に入れられる数を見る。入力する前に、俺は自分が帰りに買うつもりになっていないかも、一度だけ確かめた。

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