芦名 雅 / 第139話

第41話 栄養ゼリーは薬じゃありません

「これは何の薬ですか?」  銀色のパウチを差し出されて、俺は一度、商品の表を見た。棚へ戻したばかりの栄養ゼリーだ。隣の列へ間違えて薬を並べたわけではない。キャップの付いた細い口を、若い女性の指が不思議そうになぞっている。 「それ、薬じゃないです。ゼリーという食べ物ですよ」 「……食べ物?」  女性はパウチを裏返した。何行も並ぶ日本語を見て手を止め、もう一度俺へ向ける。店の中では言葉が通じても、文字まで読めるわけではない。そのせいだけでもなさそうだった。彼女の視線は、説明書きより袋の口へ何度も戻っていた。  午前零時四十七分。ミッドマート北森店へ入ってきた時も、この人は食べられるものを探していた。長い三つ編みを肩へ寄せ、深緑の短い外套の留め具を緩めながら、「今日は少し歩きすぎました」と言ったのだ。俺より少し年下に見える顔には薄いそばかすがあり、苔のような緑色の目が、店の明るさに慣れるまで何度か瞬いた。  腰には布袋がいくつも下がっていた。一つの口から乾いた茎が出ているのに気づき、彼女はそれを折らないよう指で押し込んだ。その指先には緑褐色の汚れが残り、爪の際だけは丁寧に洗われている。食料を選ぶ前に荷物の方を気にするので、仕事の帰りなのかと思った。 「できれば、あまり重くなくて、すぐ口にできるものを」  そう聞かれてパンや小袋の菓子を案内したら、この棚で足が止まった。軽くて、そのまま食べられる。そこまでは、希望どおりの商品だったのだが。 「飲めば、歩いた疲れが治るのではないのですか?」 「疲労を治す薬として売っているものではないです。軽く何か食べたい時に選ぶゼリーですね」  曖昧に濁さず言うと、女性は袋の表を見直した。がっかりして棚へ戻すのかと思ったが、手は離れなかった。 「では、味がありますか」 「あります。これは果物の味です」 「苦くはない?」 「甘い方です。実際に食べると、飲み物より少しどろっとしています」  女性の親指が、柔らかい袋を軽く押した。中身が移り、銀色の表面に小さなしわが寄る。白いキャップの方へ、今度は確かめるように顔を近づけた。 「この口から食べるんですね」 「はい。キャップを回して開けて、吸って食べます。強く押すと、いきなり出るので気をつけてください」 「瓶ではないのに、蓋ができる」  なるほど。薬だと思った理由が、少し分かった。俺が聞く前に、女性は腰の袋を押さえた。 「煎じたものを、小瓶へ入れて持つことがあるんです。これは中が見えませんし、同じようなものかと」 「容器の方で思ったんですね」 「はい。瓶より軽そうなので、気になりました」  俺はパウチの裏にある表示へ目を落とした。自分なら味や値段から見る商品でも、この人は持って歩いた時のことを先に考えるらしい。袋を押す指が、破れない程度を確かめるように緩んだ。 「中身も、何が入っているか教えていただけますか」  読めるところを確かめ、食品として書かれている内容を伝える。細かい成分名の全部を、分かったように説明するのはやめた。女性は途中で口を挟まず、俺が読み終えてから、また一つだけ尋ねる。 「では、これを食べれば、その後は食事をしなくてもよいというものではない?」 「それだけで何でも済ませるつもりでは、勧めないです。お腹が空いているなら、さっきのパンもありますよ」 「パンは買います。これは別に一つ、試してみたいです」  彼女はようやく頷いた。最初から欲しかったのは、万能な薬というより、今夜の荷物へ入れられる食べ物だったらしい。俺は隣に並んだ別の味も示したが、彼女は首を横に振った。 「まず、こちらだけで。知らないものを一度に増やすと、どれがどう違ったか分からなくなるので」 「それは分かります。俺、違う味を買ったつもりで、同じの二個買うことありますから」 「それは見ていないだけでは?」 「いきなり正しいこと言うなあ」  レジの方で、榊原先輩が短く息を漏らした。笑ったのかと思って見ると、発注端末へ顔を戻している。女性は少し遅れて口元を緩めた。 「すみません。師匠にいつも言われているので。形が似ていても、同じと思うなと」 「薬草の仕事をしているんですか?」 「まだ見習いです。リネット・ファルといいます」  名乗りながら、リネットさんは袋から覗いた茎をもう一度確かめた。今度はしっかり中へ収まっている。俺も名前を伝え、レジの先輩を紹介すると、先輩は端末を持たない方の手だけを上げた。 「薬草のことを聞かれても、俺の方こそ分からないですけど」 「教わっていないものの効能を、私も勝手には言えません。今日はお客ですから、そちらの説明を聞きます」  試験を受けさせられているような気分になりかけていた俺は、そこで少し肩の力を抜いた。リネットさんはパウチをかごへ入れ、さっき見たパンの棚へ戻る。食べるまでの時間を聞いて表示を確かめると、少し日持ちするものを一つ選んだ。  水は五百ミリのボトルを一本。大きなものもあると伝えたが、今夜持ち帰る分はこれでよいという。かごを持ち上げて重さを確かめ、そのままレジへ向かう途中で、日用品棚の前に止まった。 「こちらの絵は、指に何を巻いているんです?」  箱に描かれた手を見ていた。絆創膏だ。さっきのパウチとは違い、今度は用途を推測してから訊いている。 「小さい傷を覆うものです。布を長く巻く代わりに、粘着するところで留めます」 「結ばなくてよい?」 「そうです。こっちに使い方の絵があります」  箱を持ち替えて見せると、リネットさんは自分の右手へ目をやった。人差し指の付け根に、細い赤い線がある。血は出ていなかった。 「枝で少し切りました。洗ってはあるんですが、紙を持つ時に、ここへ触ってしまって」  反対側の腰に下がった紙束を、彼女は指先だけでつまんだ。折り目を押さえると、ちょうどその場所へ当たるらしい。俺は箱の裏側を示し、貼る部分の汚れや水分を取って使うことを、表示に沿って伝えた。 「中は一枚ずつ包んであります。今は箱を開けられないですけど、買ったあとなら一緒に見られます」 「では、開けた分だけ使えるんですね。残りを全部出さずに済む」 「はい。それは助かりますよね」  俺が頷くと、彼女も箱をかごへ入れた。今度は薬かどうかを聞かなかった。絵に描かれた使い方をもう一度見てから、角がパンに当たらない向きへ置き直す。 「大きな傷を治すものとは違うんですね」 「そうです。その箱で何でも済ませるものではないです」 「それなら、持ち歩く布と分けておきます。小さいものを、手早く覆いたい時用に」  使い道が決まった声だった。俺はそこから先へ説明を増やさず、レジへ戻った。小さなかごに、ゼリーとパン、水と絆創膏が一つずつ収まっている。  四点を読み取り、合計を伝えると、リネットさんは革袋を開いた。銀色と銅色の硬貨を精算機へ入れ、表示の変化をじっと見る。お釣りが出たところで俺の方を見たので、受け取ってよいと示した。 「もう食べても?」 「どうぞ。こっちなら、次のお客さんの邪魔にならないです」  レジ前から給湯器脇へ寄ってもらい、買ったものを置く場所を空けた。リネットさんは水のボトルで薄いレシートを押さえ、その横にパウチを立てる。両手が空いたところで、白いキャップを回した。  ぱき、と封が切れた音に目を上げたが、すぐ自分の手元へ戻した。袋は握り込まず、口を付けて少しだけ吸う。頬のそばかすが動くほど目を丸くして、それからキャップを持つ手を下ろした。 「甘い……。果物のお菓子ですね」 「最初から、食べ物だって言ってますよ」 「聞くのと、食べるのは違いました。薬のつもりで口を付けていたみたいです」  もう一口は、さっきより迷いがなかった。俺はつられて笑った。説明が足りなかったというより、彼女の知っている容器と、知らない味が、ようやく同じものになったのだろう。 「もっと苦いのを覚悟してました?」 「ええ。私が作るものは、大抵そうなので」 「それなら、最初に甘いって言ってよかった」 「かなり疑っていました」 「信用されてなかった!」  今度はレジから、はっきり笑い声がした。先輩は俺が振り返る前に、次の商品の数量を見始めていた。リネットさんも笑っていたが、ふと自分の袋へ目をやり、パウチを持ち直す。 「これは、瓶より楽ですね。食べ終わると薄くなる」 「空の容器を持つのにも、かさばらないです」 「中へ別のものを入れ直せたら、便利そうですが」 俺は、彼女がキャップの外れた口を覗き込むのを見た。さっきと同じものに戻っていても、今度は中身じゃなく容器を見ている。そこは取り違えないよう、手元を指した。 「詰め替えて使うための商品ではないです。中を洗って別のものを入れて大丈夫かまでは、保証できません」 「口も細いですものね。中を全部確かめるのは難しそう」  リネットさんは納得したように袋を傾け、光へ透かそうとして、銀色の面に遮られた。俺が何度も止めなくても、本人にも気になるところがあるらしい。 「入れ直すつもりで買うなら困りますけど、形を見るだけなら」 「それなら、食べ終わったあとに師匠へ見せます。こういう容器があるという話をしたいので」 「薬と間違えた話も?」 「そこまで報告する必要がありますか?」  真面目な顔で返され、俺は言葉に詰まった。先輩が横から「ねえだろ」と言うので、二対一になった。 「じゃあ、そこは俺も黙ってます」 「お願いします。次に来た時も、最初から薬だと思っていた人、という呼び方はやめてくださいね」 「名前、ちゃんと聞きましたから」 「リネットです」 「もう確認されてる」  彼女はパウチのキャップを閉めた。開けた分は早めに食べることを伝えると、パンと一緒に取り出しやすい方へ入れる。水は荷物の下へ、絆創膏は紙束に当たらない方へ収まった。買い物をした分だけ増えた重みを確かめても、歩幅は入ってきた時ほど重くなかった。  入口へ向かう途中、リネットさんが菓子棚へ目を向けた。端に残った抹茶フェアの札は、彼女の外套より明るい緑色をしている。 「次は、あれについて聞いてもよいですか」 「抹茶のお菓子ですか?」 「はい。緑色の粉を使っているように見えたので」 「お茶を使ったものですね」  俺が答えると、彼女の目が札と商品の間を往復した。今すぐ近づきそうになって、腰の荷物へ一度手を当てる。 「……今日は持ち帰るものがあるので、次にします」 「まだ並んでいたら、説明しますよ」 「では、また来ます。瀬尾さん」  自動ドアが開いた。長い三つ編みが背中へ揺れ、深緑の外套が店の白い光から外れていく。俺は見送ってから、給湯器脇に何も残っていないことを確かめた。さっきまで並んでいた四つの商品も、レシートも、彼女が自分で持って帰っている。 「先輩、袋の口が薬に見えたんですって」 「そう言ってたな」 「俺、一度もそこから考えたことなかったです」  棚へ戻り、残ったパウチのキャップを正面へ揃えた。知らなければ中身は見えない。袋に大きく描かれた果物の絵も、薬に混ぜたものの絵に見えるのかもしれなかった。 「瀬尾」 「はい」 「お前、さっきからそれ持ってるけど、買うのか?」  気づくと、一つを手に取ったままだった。リネットさんが甘いと言った時の顔を思い出し、俺は値札を確かめる。休憩まで取り置きするのも変なので、いったん棚へ戻した。 「パンと、どっちにしようかなと思って」 「腹と相談しろ」 「それで薬だと思う人は、さすがにいないですね」  先輩は答えず、カウンターへ戻っていった。俺は今度こそ手を空け、パンの減った列を揃えた。買うのは、自分が客になる時に決めればよかった。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳