芦名 雅 / 第155話

第48話 女王陛下、抹茶に挑戦

「冬の甘味は、もうないのか」  女王陛下が最初に尋ねたのは、店の外の気温でも、棚の大きな入れ替えでもなく、それだった。 「冬限定のものは終わりました。今なら、こっちです」  俺はデザートケースへ案内した。午前零時五十三分。ガラスの向こうでは、二人の護衛が入口の脇へ離れて立っている。先に入った女王は、銀の留め具でまとめた濃い藍色の髪を背中へ流し、冷蔵棚の前で足を止めた。深紺の長衣の袖口が、ケースの明かりを受けて白く縁取られる。  前に買った冬の甘いものがないと分かっても、何か用意しろとは言わない。ただ、いつものカラメルプリンを一度見てから、その隣の緑色へ顔を向けた。 「これは?」 「抹茶のプリンです。お茶を使った味ですね」 「茶を甘味にするのか。では、苦い?」 「ものによります。この濃い方は、苦みと香りが強いと書いてあります」  俺は二つの札を示した。一つは、濃い緑の上に白いクリームが少し載ったプリン。隣は、色の薄い抹茶ミルクプリンだった。こっちは甘さを売りにした説明がついている。 「両方、食べたことがあるのか」 「いえ。これはまだです。説明に書いてある違いなら言えますけど、俺が比べた感想ではないです」 「ならば、そう聞こう」  女王は頷いた。青灰色の目が、濃い緑と薄い緑を往復する。俺は甘い方を勧めかけて、待つことにした。今までプリンを何個買ったか知っていても、今夜何を食べたいかまで決められるわけではない。  長い指が伸び、濃い方のカップを取った。 「こちらにする」 「結構、特徴の強い方ですね」 「初めてなら、違いが分かる方がよい」 「前は、最初に普通のプリンを選んでましたよね」 「プリンが何かは、もう知っている。今日は、この茶の方だ」  なるほど。同じ初めてでも、知らない部分が違うらしい。俺はカップを受け取らず、女王がかごへ置くのを待った。 「ただ、フェアは終わりかけです。次も同じものがあるとは限りません」 「そうか」  女王の手が一度止まった。棚へ残った数を見て、かごの一つを見下ろす。もう一個取るのかと思ったが、指は取っ手へ戻った。 「今日は、まず一つだ」 「分かりました」 「二つ買えとは言わぬのだな」 「まだ味を知らないでしょう?」 「そうだ」  口元が少し緩む。俺の方がいつもの数に合わせようとしていたら、たぶん今度も、そのことを見抜かれただろう。  飲み物は甘くないお茶がよいというので、冷たい無糖の緑茶を案内した。抹茶プリンと同じものではないと伝えると、女王はラベルを確かめ、一本をかごへ入れる。その途中、普通のカラメルプリンへもう一度目を向けたが、何も取らなかった。 「今日は、これだけだ」 「はい。二点ですね」  レジへ通すと、女王は迷わず革袋を開いた。薄い金色の硬貨を精算機へ入れ、戻ったお釣りを受け取る。誰かに代わりに払わせるでもなく、機械を不思議がるでもない。俺はレシートを渡し、袋を使うか尋ねた。 「いらぬ。ここで味を確かめたい」 「では、こっちへどうぞ。お茶も置けますから」  給湯器脇の台を空け、客が出入りする通路から外れたところへ案内する。スプーンを一本渡すと、女王は茶のボトルを台へ置いた。カップの透明な蓋を外し、その横へ裏返して置く。護衛の一人がガラスの向こうでこちらを見たが、女王が手を上げると、それ以上は近づかなかった。 「まず、緑のところだけだ」  白いクリームを避け、少量をすくう。俺はレジへ戻りかけた足を止めた。商品説明には苦いとあるが、食べた人の顔を見るのは初めてだった。  女王が一口食べる。すぐ次はすくわなかった。スプーンをカップの上へ戻し、舌に残った味を確かめるように少し口を閉じている。俺は、どうですかと急かしかけて黙った。 「……悪くない」  前にも聞いた言い方だった。けれど、今回はそれだけで気に入ったと決めるのも違う気がした。女王の指がスプーンを回し、次は白いクリームへ先を入れる。 「一緒に食べてみる」 「そっちは甘いクリームですね」 「そのようだな」  二口目を食べると、さっきより早くスプーンが下りた。目元も少し緩んでいる。女王は緑と白の境目へ視線を落とし、三口目も両方をすくった。 「これなら、苦みが変わる」 「白い方と一緒の方が好きですか」 「今日は、こちらがよい」  普通なら、それで感想は終わってもよかった。俺が黙って頷くと、女王はかえって、何か待たれている気になったらしい。青灰色の目がこちらを向く。 「何だ」 「いえ。食べたことなかったので、参考になりました」 「お前も買って確かめればよい」 「前もそんなこと言われた気がします」 「前も、自分では食べていなかったのだろう」  その通りだった。レジの先輩が、カウンターを拭きながら小さく笑う。女王はそちらへ目を向けたが、咎めるような顔ではなかった。  半分ほど食べると、彼女はスプーンを空いた包みの内側へ置いた。両手を空け、お茶のキャップを開ける。一口飲んだところで、ほんの少し眉が寄った。 「こちらも、甘くないな」 「甘くないものを、選んでもらったので」 「甘い茶もあるのか」 「抹茶ラテとかなら、あります」 「では、それを先に――」 「甘くないものって、言いましたよね?」  思わず声が強くなった。女王の目が俺へ向き、そこで、はっきり口元が緩む。 「覚えている」 「わざと言いました?」 「お前が覚えているか、確かめた」 「確認方法が意地悪なんですよ」  女王は返事の代わりに、もう一口お茶を飲んだ。嫌で飲めないわけではなさそうだ。キャップを閉め、プリンにも蓋を戻してから、俺へ顔を向ける。 「甘い方を見せてくれ。買うとはまだ言っていない」 「分かりました。食べかけは、ここに置いておきますか」 「そうする」  俺たちが離れても邪魔にならない位置へ、カップとボトルを寄せた。スプーンは包みごと横へ置く。先輩に一言伝えてから、俺は女王を飲料棚へ案内した。手元に食べかけを持たずに済むと、女王も商品の表示へ顔を近づけやすそうだった。 「これが抹茶ラテです。牛乳を使った、甘い方の飲み物ですね」  小さなカップを示した。女王は持ち上げず、棚の中を見たまま、原材料や味の説明を聞く。俺が話し終わると、一度だけ頷いて離れた。 「今日は茶を買った。飲み物は、それでよい」 「買い足すのかと思いました」 「見たいと言っただろう」 「そうでした」  かごを持ち直す女王の横で、俺も向きを変えた。ところが、戻る先は食べかけのプリンがある台ではなかった。彼女はそのままデザートケースの前へ立つ。 「店員。先ほどの、甘い方はどれだ」 「抹茶ミルクプリンですか?」 「そうだ」  俺は薄い緑のカップを示した。女王は今度は迷わず取り、蓋越しに中身を見る。濃い方を食べたあとだと、こちらの色が一層淡く見えた。 「比較する」 「食べ比べですね」 「あちらの苦みが強いことは分かった。これがどう違うかも知りたい」 「それなら、こっちも気になりますよね」  今度は俺も、余計にからかわなかった。濃い方を失敗した買い物だと決めているのではない。食べたから、別の方にも理由ができたらしい。  抹茶ミルクプリンがかごへ入る。女王の手が、隣の黄色いカラメルプリンへ移った。こちらは、さっきから二度見ていたものだ。 「……そっちは?」 「基準が要る」 「普通のプリンも、比較に?」 「いつもの味と比べた方が分かる」 「食べたいだけでも買えますよ」  女王は俺を見た。すぐには何も言わない。そのまま黄色いカップを、薄い緑の横へ置いた。 「では、両方だ」 「分かりました」  レジへ戻ると、先輩がかごを見て口元を押さえた。俺が先輩を見る前に、女王が堂々とカウンターへ置く。追加は二個。最初の濃いものを合わせれば、今夜もプリンは三個になった。 「数まで比較しなくてよいぞ、店員」 「まだ何も言ってません」 「顔が言っている」 「この店、その指摘をする人が多すぎません?」  女王が笑った。先輩も、今度は笑っていないと言わなかった。俺は二つを読み取り、支払いが済むのを待って袋を広げた。 「スプーンは、追加で二本ですか?」 「三本」 「いま使った一本もありますよ」 「持ち帰る二つの分と、予備を一本だ」 「予備まで数えてましたか」 「落とすかもしれぬ」  理屈は通っていた。俺は新しい三本を入れ、先ほどの台へ戻る。合計では四本だが、女王は何も多すぎると思っていないらしい。最初の一本を空の包みへ戻し、残りのスプーンと分けて袋へ収めた。  濃い抹茶プリンは、まだ半分ほどある。女王は蓋を確かめ、カップの底を掌へ載せた。 「こちらは、手で持つ。倒さずに帰ればよいな」 「はい。開けた分は、早めに食べてください。お茶と、新しい二個は袋へ入れます」  冷たい茶のボトルが転がらないように置き、二つのプリンを重ねずに収める。食べかけのカップまで同じ袋へ押し込むことはしなかった。女王は片手にカップを、もう片手に袋を持って、重みを確かめた。 「抹茶は、悪くない」 「はい」 「ただ、苦みの強い方は甘いものと合わせた方がよい」 「女王陛下の好みとして、覚えておきます」 「一般論だ」 「今、クリームと一緒に食べる方を選んだじゃないですか」  女王は答えず、手の中のカップを見た。それから、蓋の向こうに少し残った白いところを、指先で示す。 「まだ比較は終わっていない」 「便利な言葉ですね、それ」  先輩が横から言った。 「次は最初から甘い方買えば」 「それでは、新しい味が分からぬ」 「じゃあ、また両方だな」 「並んでいればな」  最初に伝えた、次もあるとは限らないという話は覚えていた。俺は取り置きの約束をせず、袋の持ち手だけを持ちやすい向きへ直した。  女王が入口へ向かうと、護衛の一人が姿勢を正した。自動ドアが開く。外へ出た女王へ、男が荷物を持つ手を差し出した。 「陛下、お持ちいたします」 「こちらだけ頼む」  渡したのは、新しいプリンと茶の入った袋だった。半分残ったカップは自分で水平に持ち、女王はもう一度俺を見る。 「次も、特徴の強い方から選ぶ」 「今日で懲りたわけではないんですね」 「挑戦と言え」 「はい。次のも、味の説明は読んでおきます」 「お前が食べた感想なら、なおよい」  俺は返事に詰まり、それから笑った。女王は軽く片手を動かしかけ、カップを持っていることを思い出したのか、そのまま顎だけを引く。護衛二人とともに、白い店の光から森へ離れていった。  戻った台には、何も残っていなかった。俺は軽く拭いてから、デザートケースへ向かう。濃い緑、薄い緑、黄色。一個ずつ違う列にできた空きを、奥の商品で埋めた。 「結局、三個でしたね」  今度こそ口にすると、先輩が小さく頷く。 「苦いのも売れたな」 「食べられなかったから追加した、っていうわけでもなさそうでした」 「半分、持ってっただろ」  俺は濃い方のカップを一つ持ち上げ、白いクリームの量を見た。全部混ぜるのと、少しずつ一緒に食べるのとでも違うのだろうか。札を読むだけでは、そこまでは分からない。 「帰り、これ買ってみようかな」 「薄い方じゃなくて?」 「特徴の強い方から」 「影響されてんじゃねえか」  先輩が笑う。俺はいったんカップを棚へ戻した。勤務が終わるまで残っていたら、それを自分で選ぼうと思った。
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