芦名 雅 / 第41話

第27話 新人勇者はルールを知らない

 会計を終えてチキンの紙袋を二つ渡すと、常連のリザードマンは両方を持ち直し、入口脇へ寄った。すぐ食べる分と持って帰る分を分けたらしい。俺はかごを片づけ、榊原先輩が追加した肉まんの位置を確認した。冬の商品は減り始めても、夜中の温かいものはまだよく出る。  自動ドアが開いたのは、その時だった。黒い森から、見覚えのある銀色の軽鎧が入ってくる。勇者の男に続いて、赤毛の女が杖を持ち替えた。金髪の治療役は扉を振り返り、弓を背負った女は早くもホットスナックケースを見ていた。 「お久しぶりです」 「また世話になる」  勇者が返事をしたあとも、扉が閉じなかった。もう一人、栗色の髪の若い男が入口に立っていたからだ。鎖帷子に革の胸当てを重ね、腰には細身の剣。ほかの四人より装備の傷が少なく、若草色の目が扉と店内を忙しく行き来している。 「今、森から入ったよな?」 「そうだ」 「触ってないのに、扉が開いた」 「近づけば開く」  赤毛の女が得意そうに答えた。若い男は半歩下がって確かめようとし、勇者に肩を軽く押されて中へ入る。すぐ後ろで閉じた扉の音に、もう一度だけ振り返った。 「新しい方ですか?」 「ああ。しばらく一緒に動くことになった」  勇者の紹介に合わせて挨拶すると、若い男は「ああ」と返した。ただ、目はまだ俺よりも、天井や冷蔵ケースに向いている。先輩の猫エプロンで一度止まり、それから俺の胸元にも同じものがあると気づいたらしかった。 「二人とも、その印なのか」 「ここの制服です」 「……そうか」  何を納得したのかは分からない。若い男は入口脇のリザードマンにも目を留めたが、仲間たちが棚へ向かうと、そちらを追った。勇者がかごを渡し、まずは手ぶらで商品を取ろうとしないよう教えている。  四人の買い方は、以前よりずっと早かった。弓の女はジャーキーを選び、金髪の男は水の本数を数える。赤毛の女がチョコをかごへ入れたところへ、新人が覗き込んだ。 「それ、必要なのか?」 「必要」 「ずいぶん迷わないな」 「甘いものだから」 「理由になってないだろ」  勇者が横からパンの棚を指した。 「長く持ち歩く物を買う時は、冷やしておく食事とは分けて考えろ。今食べるなら別だ」 「ここでは、そのまま食えるのか」 「会計してからな」  金髪の男は、水を新人のかごへいきなり入れず、持つ荷物の量を聞いた。前に一人へ重さが偏っていた時と違う。俺が案内しなくても話が進むので、レジへ戻って袋を補充した。  数分後、自動ドアがまた開いた。白に近い銀髪を耳の下で切り揃えた、魔族の男だった。以前、騎士団長と鉢合わせした客だ。黒い角の下に暗い赤色の目があり、軽い防具の脇には短く湾曲した剣が下がっている。 「温かい飲み物は、まだあるか」 「あります。前と同じ棚です」 「そうか」  男がホット飲料の方へ歩いたところで、棚の間から低い声がした。 「魔族……!」  新人の右手が腰へ落ちた。かごを持つ左手が下がり、剣の柄へ指が掛かる。俺が声を出すより早く、隣にいた勇者がその手首を掴んだ。 「抜くな」 「何を――あれは魔族だぞ」 「見えている。ここでは抜くな」  勇者の声は大きくなかったが、手は離れなかった。新人は仲間の顔を見て、また魔族を見る。相手は足を止めていた。飲み物へ伸ばしかけた手を下ろし、こちらを見返している。  先輩は伝票を台へ伏せていた。レジの内側から全員を見渡せる位置へ動く。ただし、勇者の前へ出て声を重ねることはしなかった。俺も新人だけに目を奪われず、魔族との間の通路を確かめた。 「手を離せよ」 「お前が柄から離せば離す」 「お前まで、何で」  弓の女がかごを置いた。空いた片手を新人へ見せ、その手でホットスナックケースを指す。 「買い物に来たんだろう。あいつもそうだ」 「同じ場所にいて、放っておくのか?」 「今、あいつは飲み物を選んでた」  金髪の男の答えに、新人の目が一度だけ動いた。それでも手は柄に残っている。魔族が黙って見ていることまで、何かを待ち構えているように感じているのかもしれなかった。 「初めてか」  入口脇から、リザードマンの声がした。紙袋を持ったまま、二人の間へは近づいてこない。新人はその鱗を見て、唇を引いた。 「お前も、魔物側か?」  俺は口を開きかけた。だが、常連の答えの方が早かった。 「我は客だ」  その声のあと、新人が言い返さなかった。リザードマンは顔を逸らさず、黒い爪が袋を裂かないよう持ち直した。 「ここでは剣を抜くな。順番を守れ。取った物は会計する」 「……敵でも?」 「外の争いは持ち込まぬ。我もそうしている」  新人は常連の腰にある剣を見た。次に、魔族の腰の剣を見る。誰も抜いていない。勇者に掴まれている自分の手だけが、柄を握っていた。 「誰が決めたんだ」 「詳しい始まりは知らん」  勇者が答えた。 「だが、俺たちはここで買い物をする。お前にもそうしてほしい」  今度は店全体の説明ではなく、一緒に来た仲間の言葉だった。新人は勇者を見て、少しずつ指を緩めた。柄から離れた手が下がるのを見届けて、勇者も手首を離す。 「分かった。ここでは、抜かない」  声はまだ硬かった。赤毛の女が軽口を言いかけたようだったが、口を閉じて自分のかごを持ち上げた。弓の女も商品を拾い直す。金髪の男だけが新人の横に残り、落としかけたかごを持ち直すのを待っていた。  魔族はしばらくその様子を見ていたが、やがて温かい飲料へ手を伸ばした。黒い缶を一本取る。以前はココアを選んでいたが、今夜は無糖のコーヒーだった。俺はレジへ戻り、カウンターを空けた。 「こちらへどうぞ」 「ああ」  バーコードを通す音が、さっきより大きく聞こえた。魔族は硬貨を革袋から出し、精算機へ入れる。俺はいつもどおり表示を確かめ、釣り銭とレシートを取り忘れないように示した。新人は棚の横から、その一連の動きを見ていた。  支払いを終えた男は、缶を手にして勇者の方へ顔を向けた。視線が新人で止まる。 「新入りか」 「……そうだ」  返事と一緒に、新人の肩がわずかに上がった。男はそこへ歩み寄らず、レジ前に立ったまま言った。 「ここでは、先に並んだ者が先だ。それも覚えておけ」 「そこ?」  思わず俺が口を挟むと、暗い赤色の目がこちらへ来た。 「違うのか」 「違わないです」 「ならいい」  男はそのまま自動ドアへ向かった。途中でリザードマンの前を通っても、二人は一瞥するだけだった。黒い角が森へ消え、ドアが閉まっても、新人はしばらくそこを見ていた。 「……普通に買って帰った」 「そうだ」  勇者が答える。新人は握ったり開いたりしていた右手を、今度はかごの取っ手へ添えた。俺はそこで初めて、さっきより近い声をかけた。 「買い物の続き、どうします?」 「この流れでそれを聞くのか」 「来た時、まだ何も選べてなかったので」  言うと、男は空に近いかごを見た。何を買えばいいか思い出すのに、少し時間が掛かったようだった。弓の女がホットスナックケースを指す。 「新人。これを食え」 「その呼び方、ずっとするのか」 「ここでは新人だろう」 「……肉か?」 「肉だ。うまい」  俺が中身を説明すると、新人は一つ買うと言った。袋に取る前に、今食べるなら先に会計しようと伝える。男は頷き、財布代わりの革袋を出した。勇者が隣へ立ったが、今度は手首を掴まず、精算機を示すだけだった。 「硬貨はそこへ入れる」 「店員に渡さないのか?」 「機械が数える」 「通貨が違っても?」 「俺たちのは通った」  新人が硬貨と投入口を見比べる。俺は急かさず待った。一枚目を入れて表示が動くと、残りの硬貨を出す手が少し早くなる。支払い完了の声を聞いてから、俺は温かいチキンを渡した。 「熱いので気をつけてください。食べるなら、入口脇で」 「分かった」  男はリザードマンがいる方を見て、一瞬迷った。常連はまだ紙袋を持っていたが、入口へ近づく新人に場所を空けた。声をかけ合いはしない。新人もすぐには横へ並ばず、少し間を取ってチキンへ口を近づけた。  一口食べた顔を、弓の女が見ていた。 「どうだ」 「……うまい」 「肉は裏切らない」 「ずいぶん信用してるんだな」 「お前もうまいと言った」  新人の口元がようやく動いた。笑いきる手前の顔だったが、少なくとも店の出口だけを気にしてはいない。勇者たちはそれを見届けると、それぞれ買い物の続きへ戻った。俺も、温かい飲料の空いたところを前へ出した。  常連が食べ終わった包装を捨て、持ち帰りの袋を持ち直す。俺に片手を上げて入口へ向かった時、新人が少しだけ身を引いた。最初のように剣を気にしたのではなく、大きな身体が通れる幅を空けたのだと分かった。 「ありがとうございました」 「うむ」  常連が出ていったあと、新人は食べ終わった袋をどこへ捨てればいいか聞きに来た。俺が示すと、素直に頷いた。買い物かごを取りに戻る途中で、先輩を一度だけ見ている。先輩は目が合っても何も言わず、レジの台を拭き始めた。  最後の会計では、新人のかごにも水とパン、絆創膏が入っていた。チキンももう一個頼まれたので、最初の分とは別に通す。勇者たちの保存食と一緒に混ぜないよう、会計と袋を分けた。 「増えましたね」 「うまかったからな」 「肉は――」 「もう分かった」  弓の女の言葉を新人が途中で止めた。赤毛の女が笑い、金髪の男は出来上がった袋を持ち比べて、重さが偏らないように渡していく。若い男も今度は黙って任せず、自分が持つ分を選んだ。  五人が入口へ向かった時、新人だけが扉の前で足を止めた。 「外で、さっきの魔族に会ったら?」  勇者はすぐに答えず、隣に立って森を見た。 「その時は状況を見て決める。追いかけに来たわけじゃないだろう」 「敵でも?」 「必要なら対処する。ここでは買い物をする」  新人は少し黙った。その答えで、外のことまで何もかも安心した顔にはならなかった。けれど、今夜この扉を出る理由は、来た時と同じ旅の続きなのだと受け取ったらしい。手にある袋を持ち上げ、こちらへ振り返る。 「次に来た時も、あの肉はあるか?」 「売り切れてなければ」 「取り置きは?」 「できません」 「私もプリン、断られた」  赤毛の女が横から言った。新人がそちらを見る。 「本当に、何度も来てるんだな」 「だから詳しいの」  女は胸を張り、勇者に先へ行くよう促された。五人が森へ出ていく。最後尾の男は、剣より袋が扉に当たらないよう気にしていた。  ドアが閉まったあと、俺は先輩の方へ戻った。 「剣に手を掛けた時、出ていきませんでしたね」 「止められてたろ」 「でも、ちゃんと見てましたよね」 「客がいるからな」  先輩はケースに残ったチキンを確かめた。俺も覗くと、二個追加でいいと言われた。冷凍庫を開け、作業台を空ける。その間も、さっき先輩が黙って立っていた場所が目に入った。  俺は油へチキンを入れ、タイマーを押した。先輩はもう伝票へ戻っている。次にドアが開いた時は、俺も入口だけでなく、その奥で買い物をしている客の手を確かめてから声をかけた。

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